第5話 この世界の神秘
一気にブランクを取り戻そうとしてはいけない。体に相当な負荷がかかってしまうからだ。体を壊してしまってレアを助けに行けませんとなってしまっては悔やんでも悔やみきれないし、リズにも申し訳がない。
徐々に、体を慣らしていくことから始めるつもりである。処刑までは後、一か月、それまでに闘いのカンなどを取り戻し、ベストコンディションに持っていく必要があった。相手が何人であろうと、集まった騎士の質が瞬殺できたゲス二人と大差ないものであっても、油断はしない。強大な力を持つ者であっても油断、慢心は容易に命を奪い取る。
まずはこの世界の闘いにおけるルールから復習する。そのため、ボルクスは修業に入る前に師匠ケイローンの言葉を思い出していた。生前、ボルクスが半神としてとてつもない力を秘めていると周囲の人間が認知すると、すぐにケイローンの元に預けられた。六歳くらいの時の話である。
ボルクスよりも遥かに思慮深いカストルも一緒にケイローンに預けられた。自分には受け継がれなかったボルクスの力に嫉妬することはなく、むしろ誇りにさえ思っていた。子供である内ならまだしも、成長するにつれ、自分の力が疎ましくなることもあるだろう。ボルクスの傍にいて、支えてやりたいという強い動機があった。また、ボルクスが道を踏み外しそうになった時は自分が兄として正してやらねばならぬと幼少の身の上ながらも考えていた。
ボルクスがトレーニングをしながら思い出すのはケイローンに預けられてからの日々。初日にはマナ闘気の概念について習った。
「いいですかカストル、ボルクス、この世界の根源とはマナです。マナとは即ち、私たちの体内に存在する神秘のエネルギー! 雷を落としたり、大雨を降らしたり、大地に豊穣をもたらしたりといった神々が持つ権能も、天地創造にいたるまで、全ては神々のマナによって引き起こされるのです。マナとは、使う者の意志に応え世界の理を無条件に捻じ曲げる万能なパワー! 人間たちが使う、魔術、魔法陣、詠唱、呪文などは全て、神々がそのマナを用いて引き起こす超自然的現象の劣化にすぎません。足りない部分を言葉や、円陣などで補っています」
ケイローンの手の平の上で、炎から氷、氷から雷など様々なものが表れては形を変えていく。マナを扱う上での基礎動作を、三角座りで珍しそうに見上げてくる新しい弟子二人に見せている。ボルクスは不可思議な現象を次々に起こすケイローンの手だけを凝視していたが、カストルはちゃんとその現象も見つつ、ケイローンの目を見ている。
「ですが我々はマナの源流たる神の血を引いているのでそんな手間は必要ありません。一般的な魔術師よりもより高度な次元でマナを扱えます。ですが慢心は許しません。あなた方の兄弟子同様、半神でありながらもその身体と能力を鍛え上げることはいくらでも可能です。少々ハードなトレーニングになりますがね。しかしボルクス。あなたはマナは大量に持ってましたが、魔術の方はからっきしでしたね。なあに、恥じることはありません。魔術が扱えないなら闘気を扱えるようになればいいんです」
名前を呼ばれたボルクスはその身を縮こませる。それを脇目に見ながらカストルが手を上げた。
「闘気とマナの違いとは何ですか」
「いい質問ですねカストル。闘気も大元はマナです。身体という器を通して出る過程で生命エネルギーに転化したマナです。これを身に纏うことによって身体能力が爆発的に伸びます」
手の平で形を変えていたマナは最後に拳と同じくらいの大きさの石になった。ケイローンが手に力を込めてその石を「フンッ!」と粉々に握りつぶす。パラパラと破片がこぼれ落ちていく握り拳を見れば、光っていた。晴天の下であっても、陽光よりもなお、明るく輝きその存在感を示す。それこそが闘気である。
闘気を引っ込めて、パンパンと手を叩き、残りの石の破片を落とす。ボルクスにとってはマナが起こす現象よりも、こっちの方がより派手に見えたらしく。目が蘭々と輝いている。カストルも小さく感嘆の声を上げていた。
「これは人間であろうが半神であろうが同様です。体を鍛えれば自然と、無意識的にその使い方が分かるようになります。極論を言えば、力めばで出ます」
「ウンコみたい!」
「おやめなさい。闘気はマナと違って神の血を引いていようが、より高度なレベルで扱おうとなると相応の修業が必要になります。逆に言えば魔術などと違い、生まれ持った才能に左右されることはありません」
この頃のボルクスは思っていたことをすぐに口に出す。しかも、無駄にデカい声を出したからか、カストルが少し驚いて、小さく跳ね上がる。
「マナは時間、空間、精神といった概念まで干渉することが可能ですが、闘気がもたらすのはどこまでいっても物理的な破壊力のみです。マナほどの自由度はありません。精々、形を変えたり、武器にもまとったり、体外に放出した闘気を操るといったところでしょう」
「どっちが強いんですか?」
「一長一短ですね。単純な攻撃力なら間違いなく闘気が勝ちます。同じ量の素のアニマと闘気がぶつかれば闘気が打ち勝ちますが、総合力ならマナに軍配が上がります。身体強化の例に見てみましょう。マナ、魔術によって身体強化をするなら一般的に、詠唱が必要になりますね。その間は隙となりますが、闘気を用いた身体強化にはほとんど隙などありませんね。なにせ力むだけで同じような結果が出るのですから。しかし、身体強化の魔術には自分だけでなく他者を強化できるという、闘気にはない大きな長所があります」
「闘気も魔術も、向き不向きがあります。カストル、あなたは最低限の技術を一通り学んだら後はあなたの得意なものを伸ばしましょう。ボルクス、あなたに魔術は必要ありません。素の状態でさえ、常人より遥かに強い膂力があります。これは闘気によってさらに伸ばすことが可能です。よってあなたは闘気の一点集中強化とします。いいですね?」
「「はい!」」
愚かにも、無邪気にも、その時は期待に胸を膨らませていた。小さい世界で生きていた子供がより大きな世界を知り、そこに足を踏み入れる。子供ながらに自分でも強いと思っていた自分の力がまだ伸ばせるんだ。まだ先があるんだという未知の領域に心が躍った。が……
「強くなりたければ闘気を正しく理解しなさい! 闘気とは剣や槍などと同じ戦いの道具です! 熟練の戦士の手に使い慣れた武器がよく馴染むように、闘気を纏う感覚を改めて体に馴染ませなさい! 今まで無意識的にやってきた闘気を纏うという基本動作を無限に繰り返してより極めるのですッ!」
気が遠くなるほどの回数をこなした闘気の基礎訓練。
「突発的な暴力に対して一瞬で闘気を全身に纏うことを覚えなさい! これは暗殺、奇襲に対抗する術です! 何かあれば頭で考えるよりも早く闘気を纏う感覚を身につけなさい! この感覚は日常生活では鍛えられませんのであなたがここにいる間、定期的に闇討ちします! 半神は常人よりかなり体が頑丈ですが、気を抜いてはいけません! 半神の体にも毒は回りますよ! 少しでも反応が遅れれば仲間が死ぬと思いなさい! 静から動へと一瞬で切り替えなさい!」
その言葉通り、本当に、四六時中闇討ちされた。カストルが横にいようがお構いなしだった。一度カストルと入れ替わりも試してみたが、全く意味をなさなかった。
「いつでも最高のコンディションで闘えるとは思わないことです! 体調や精神状態によって纏う闘気のブレは極力なくしなさい! 疲労状態でも劣悪な環境下でも常に実戦に耐えうるレベルの闘気を纏いなさい! 基礎トレーニングで体力を使った後に休憩を挟まずに闘気のトレーニングを始めなさい! 全力疾走した後も闘い続けられるような粘り強くタフな男になるのです!」
闘気の訓練は無論、走力訓練や筋力訓練など基礎体力作りと並行して行われる。ただ、基礎体力作りにカストルも一緒にやっていたことは、幾らか救いになった。
ケイローンの修行は総じて、死ぬほど辛かった。ケイローンも半神の扱いには慣れていたようで、半神の体が動ける限界ギリギリを攻めるような修行をボルクスに施した。体が慣れてきたと思ったら、もう修行の段階が上がる。単純に回数や錘の質量を増やされる。その繰り返し。辛かったが、ボルクスは決して弱音を吐かず、止めたいとは欠片も思わなかった。しかしカストルは……。
「師匠、ボルクスの修行をもう少し楽なものにしてくださいませんか?」
ボルクスとカストルがケイローンに預けられてから一か月程立ったある日、夕餉の席でカストルは強い口調で言った。カストルはボルクスがしていた修業とは比較的、身体的疲労を伴うものではなかった。ボルクスから見れば魔術の修行も辛そうに見える要素もあったが、それでもカストルは日々、疲労困憊でベッドに入ったあと二秒で爆睡するボルクスに申し訳なさを感じていた。
「ボルクスがそう言ったのですか?」
「いえ……」
首を横に振るカストルをケイローンは優しく見つめる。
「ボルクスの意志ではないのなら、私はなんともできませんね。しかしカストル。あなたは賢い。言いたいことはわかりますよ。ボルクスを思っての提案でしょう」
「……」
「私は別に今のを聞いて怒った訳じゃありません。人のことを思いやれるのはあなたの立派な長所です。だからボルクスに聞いてみましょう。ボルクスはあなたが思っている以上に固い意志があります。以前、それを話してくれたから、私は彼に遠慮なく厳しくすることができます」
「それとはどんなものなのですか」
「今、本人から直接聞けばいいでしょう」
カストルとケイローンがボルクスの方を見る。今までの会話はボルクスの耳に微塵も入っていない。彼の意識は料理を食べることのみに注がれている。修行で使い果たしたエネルギーを一刻も早く補充せねばという本能がフル稼働している。というか、カストルとケイローンからボルクスは見えない。食べ終わった料理の皿がボルクスの回りに積まれているからだ。その状態でもなおボルクスはモリモリ肉を食べている。
「ボルクス……ボルクス! ボルクス!! ……オラァ!!」
ケイローンがナイフを投げつける。名前を呼んでも一向に反応がないボルクスに向かって真っすぐと、しかも薄っすら闘気が込められている。修行の一環である闇討ちは食事中にも何度か仕掛けられたことがある。飛んでくるナイフを小慣れた動作で指に挟んで受け止めると、ボルクスの意識がケイローンに注がれる。次の手を警戒している。まだモリモリ食いながら。
「ボルクス、真面目な話をしましょう。いったん食べるのをおやめなさい」
口の中の食べ物を一気に飲み込み、怪訝そうに答えを返す
「これあれでしょ、俺の答えようによっては、明日から修行がめちゃくちゃ厳しくなるとかそういうやつでしょ」
「違います。カストルがあなたに聞きたいことがあるそうです」
「兄者が俺に? わかった」
警戒を緩めて、口の回りの食べかすをナプキンで拭う。ボルクスはちょっと頭の足りないところがあるので、兄であるカストルに色々質問をすることが多かったが、カストルの方からボルクスに何かを聞くというのは初めてのことであった。自分がそうしてくれたようにボルクスも真剣に答えよという心持ちであった。
「ボルクスは俺とは違う、厳しい修行を止めたいと思ったことはないのか?」
「ない」
即答。カストルは多少驚きつつも質問を続ける。
「なんでか説明してくれるか?」
「俺は強くなりたい。強くなってみんなを守りたい。兄者も、妹たちも、俺の大事な人はみんな守りたい」
ボルクスの真剣な眼差しにカストルは口を引き結ぶ。
「みんなを守りたいから、どんな修行でも諦めずに頑張ってこれたんだ。これからもっと修行が厳しくなるってわかっていても、この気持ちさえあれば、俺はどんな修行にも耐えれると思う。だから兄者も心配しないでくれ」
「ああ……」
「それに師匠、前に俺に話してくれたじゃないですか、俺たちよりも前に師匠のところで修行をしていて、そん中でも特にスゴかった人たちのこと……名前なんていうんでしたっけ」
「テセウスやヘラクレスのことですか?」
「そうです! 俺は師匠からその人たちがどんな修行をして、それから、どんなことをしたのかっていうのを聞いたとき、俺はめちゃくちゃスゲーって思ったし、俺もいつかそうなりたいとも思った。あと、その人たちに負けたくないっていうのもある」
決して強がりや痩せ我慢ではないボルクスの真っすぐな言葉。それを受けてカストルは無意識に握り拳をつくる。ああ、弟はちゃんとしていたんだな。自分の助けがなくともケイローン師匠の修行を途中で投げ出さずに、最後までやり切れるんだな。と安心した。自分よりも遥かに厳しそうな修行を毎日するボルクスが心配だったのだ。
ボルクスの意志が分かった時、カストルは自分が如何に愚かな真似をしたのか理解した。頭を深く下げて反省する。
「師匠、申し訳ありません。要らぬ世話というやつでした。ボルクスも、僕があれこれ余計な口出しをしようとして、すまない」
「謝る必要はありません。むしろ私は感心しましたよ。二人ともちゃんと話し合いができて」
「そうだぞ兄者、俺のことは気にしないで兄者は、兄者の修行に頑張ってくれ」
「分かった」
ケイローンが和やかに笑い、ボルクスもそれに釣られて笑い、さらにカストルも笑う。その日から兄弟の絆はより一層深まった。話し合うことが大事なのだとカストルは子供ながらに理解した。
あったなーそんなこと。ボルクスが心の中で呟きつつ、訓練を続ける。何回も続けた結果、体が訓練の動作を覚え、身体を動かしながら思考を切り離し、昔の出来事を思い出すということが可能になった。とにかく筋力と体力を鍛えること、しばらくはこの一点のみに集中するように決めた。初日は、ひたすら筋トレと走力訓練をした。




