第4話 天導騎士団
リズとレアの家は木造の、一階建ての一軒家であった。レアとリズの自室以外は居間と風呂、トイレという簡素な構造である。家の中は必要最低限の日用品や家具以外目立ったものはない。居間のテーブルを囲んで座り、今後の予定について話し合う。リズが帰りしなに買ってきた茶を出しながら、申し訳なさそうに呻く。
「すいません、あまり大したものが用意できなくて……レアの私物はほとんど教会に没収されてしまいました。私も彼女を助けるためにほとんどの財産を使ってしまいましたが……徒労に終わりました。けれども幸運なことに私に最後に残されたものが……あなたを召喚するための魔導書でした」
分厚い本がテーブルの上にドンと置かれる。モラクスの魔導書。モラクスという名前の意味、どのようにして人々に害をもたらすか、召喚にあたって必要となる材料やその手順。いかにして使役するかなどが書かれている。
一応、ボルクスはページを何枚かめくってはみたものの、生前ですら魔術の知識がなかったので、中身はさっぱりわからない。字も細かいし目が痛くなるような模様が描かれている。五秒くらい見た後に「わからん!」と言って本から目を逸らし、ぶっきらぼうに閉じる。
リズはそれを見て苦笑しつつ、天導騎士団の簡易的な組織図を机の上に置く。ピラミッド型の階級組織の図。この国の教科書にも同じような図が載っているため、国民は誰しもが常識的にこの組織図が頭に入っている。
「今のところ、最大の仮想敵は天導騎士団です。今朝も言いましたが、聖十字教直属の、この国の警察、軍事、治安維持を担う組織です。レアの身柄を拘束しているのもこの組織で、恐らく処刑も執り行います。所属する騎士の階級は全部で下級、中級、上級、最上級の四つに分かれいて、神の地上代行者と言われている聖皇がその頂点に立ち、組織を束ねています」
「どれくらいの規模なんだ?」
「詳細な数は把握していませんが、とにかく多いです。そもそも、聖十字教に敵対する勢力は多く、悪魔はもちろんのこと、本物の魔女、竜、吸血鬼、堕天士などが聖十字教の信仰の破壊を目論み、魔界で天導騎士団と膠着状態となっています。その他にも小規模な勢力がいますが、それら全てを敵に回してもなお、国防を維持できているので軍隊といってもいいかもしれません」
自分が敵に回そうとしていた組織が予想よりも大規模であったことに、真顔になる。もしも自分一人で天導騎士と揉め事になっても暴力沙汰にはせずに上手い具合にのらりくらりとやり過ごそうと心に決めた。可能かどうかは別として。
「なるほど、で、最上級騎士ってのはどれくらい強いんだ?」
「すみません、私は闘っている姿を見たことがありまんので、正直よくわかりません。ただ、聞いたところによると最上級騎士は国一つくらい滅ぼすくらい強いんだとか…なにせ聖皇に続く聖十字教の象徴で、天導騎士団の最高戦力です。四人しかいませんので四大天士とも呼ばれています」
最上級騎士、四大天士とは、召喚以降、格下としか闘っていないボルクスにとっては、如何にも強そうで非常に魅力的な響きであった。未だその姿を見てすらいないが、逸る闘争心を表に出さないようにしつつ、慎重に質問を選ぶ。
「そいつらが俺と闘う可能性は?」
「恐らく低いでしょう。上級以下の騎士と違ってその力は隔絶した領域にあるので、そう簡単に動ける立場にありません。今は四人全員聖都にはおらず魔界の勢力に睨みを利かせています。レアの処刑の日程が今から大体一か月後なのでそれまでになんとか救出できれば…」
リズが申し訳なさそうに続ける言葉をボルクスが手をパンと叩いて中断する。この状況を打破する解決策が頭の中に浮かんでくる。
「そうだ! なら、アタランテを俺と同じように召喚すればいい! こういう敵地に潜入して誰かを脱出させる役割をこなせそうなのはあいつ以外にいない! できそうか?」
アタランテさえ加わればほぼ勝ったようなもんだ。という楽観的な思考をリズは目を伏せて首を横に振り、否定する。
「それは不可能です。一冊の魔導書に対して召喚できる悪魔は一体だけなので。魔導書自体も天導騎士団の目もあるため、闇市で売買されますが、滅多に出回らないうえに、偽物も多いです。何より、非常に高価な代物です。レアを助けられないと諦めかけた私は、半ば賭けをするような考えでこの魔導書を買い、あなたを召喚しました。それに英雄の本当の名前と魔名を私はある程度考察して、どの英雄がどの悪魔になったのかを予想できますが、それでも確実に自分の思った通りの英雄を召喚できるとは限りません。召喚した悪魔が全部あなたのような太古の英雄とは断定できませんし、人の形を保っていて、会話できるほどの知能があるとは限りません」
依然とした状況の厳しさにボルクスは腕を組み唸り声を上げる。戦力はこれ以上増やせそうにない。ボルクスがアタランテの名前を出した理由は単に、この状況を簡単に打破できそうだと思ったからである。
優れた狩人である彼女以上に隠密活動が得意な人物をボルクスは知らない。アタランテなら警備が多少厳しくても難なくすり抜け、戦闘すら起こさずにレアを救出。騎士団が侵入者の存在と脱獄に気づいた頃には国境のはるか向こう。リズにとって理想的な結果をササっともたらしてくれそうな技量をアタランテは持っている。ボルクスはそう信じていた。
「……なら一つ、言っておくことがある」
ボルクスが人差し指をリズの前にを突きつける、今までの話を聞いてある作戦が思い浮かんでいた。成功すると自信をもって言えないが、騎士団に潜入するよりは堅実な作戦である。
「あの建物から俺一人でレアを脱出させるのは、リスクが高すぎる。俺はそれほど隠密行動に長けているわけじゃないし、何よりも俺自身、今の俺の力を測りかねている」
「どういう意味ですか?」
「今は、確実に生前より力が落ちているという感覚がある。昨日の時点でそう思った。大方、今の俺が悪魔として伝えられている影響か、親父も悪魔になった影響だろう。あるいは両方か。まあ結果的に親父の血を引く俺の力も落ちる。なんにせよ、生前の全盛期が100だとしたら今の俺はいいとこ30から40だ」
「……」
「情けないことをいうようだが、今の俺の力をあまり過信しないで欲しい。英雄といっても所詮は強大な力を持っただけの一個人だ。組織を相手にするとなればどうしてもとれる手段は限られてくる」
苦々しい顔をしてリズの方を見る。やるせない。本来の力を持って召喚されたのなら今すぐにでも天導騎士団本部に駆け込み、敵が何人出てこようと、颯爽とレアを助けることもできるはずだったが、今更出来ないこと、そうならなかったについて未練がましく思考を巡らせるのは良くない。だが方法はあった。
「半神としての力は期待できそうにないから、もう半分の人間の部分を徹底的に、1か月間必死に修行して鍛えて……処刑当日に直にこの俺が殴りこむ、本部に潜入するのと違って、群衆に紛れればある程度まで近づくのは簡単だ。処刑場に集まる天導騎士団を俺が全員殴り倒して援軍が来る前に、この国から出る。レアを助けた後はリズはどうするつもりなんだ?」
一か月間の修行。どこまで力を取り戻せるかわからないが、これしか方法がないと思った。生前の経験からもそう証明している。持って生まれた半神としての超越的な力すら修行によってさらに伸ばすことができた。今、ボルクスが持っているのは、悪魔の力だがそれでも修業は自分に応え何かしらの成果をもたらすはず。信仰にも近い信頼を、体を鍛えること、ただその一点に寄せている。
「私もこの国を出ます。聖十字教の手が届かない極東の島国に亡命するつもりです。レアを一人、異国の地に放り出す訳にはいきません」
リズにはイザークやジョンや、他の冒険者などの顔馴染みは多数いたが、飽くまでも顔馴染み止まりで、別れを惜しむほどの中ではなかった。冒険者という職業の特性上、いつ命を失って死別するか分からないので、リズはそこまで深い人間関係を築くつもりはなかった。右も左もわからない異国の地であってもレアと一緒なら何が起きても大丈夫だと無条件に信じていた。
「……本当にレアを大事に思ってるんだな」
「私の唯一の友達で、ほとんど家族のような関係なんです。だからどうしても、助けたいんです。何があっても、誰を敵に回しても」
リズの力強い視線を受けて、ボルクスは己の過去を顧みる。家族を、肉親を失った時の辛さ、絶望感はボルクスにも痛いほど分かる。その痛みに耐えきれずに、ボルクスは己の人生に幕を引いたようなものだ。故に、リズには決して、同じ苦しみを味わわせない。何があってもレアを助けるというリズの意志をボルクスは最大限尊重するつもりであった。
「出来れば、レアのことについて教えてくれないか? 外見だけでも把握しておきたい」
「それなら、これをどうぞ」
その提案にリズは頷きながら、懐から手と同じくらいのサイズの一枚の紙を取り出す。ボルクスがそれを受け取って見ると、胸から上までを収めた少女の絵が描かれており、丁寧に着色までされている。
誰でもすぐに心を許してしまいそうな人懐っこい笑顔。髪は綺麗な銀色で、ぱっちりとした丸っこい目はエメラルドグリーン。光を複雑に反射する宝石のような筆致である。妹が絶世の美女であったため、無意識に女性の容姿に対してハードルの高いボルクスでさえ、ちょっと可愛いんじゃないかと思った。紙の手触りもかなり良い、素人目に見ても高い紙だと分かる。あとなんか良い匂いがする。
「レアです。私が描きました。正直、多少誇張はしましたが、顔を覚えるという点ではその絵でも問題ありません」
「はぇー」
少し得意げなリズの言葉を聞きながら絵を見回す。レアの外見の大まかな特徴を頭に入れ、絵を丁寧に丁寧にリズに返す。
「その絵は差し上げますよ。私はあと何枚か持っているので。劣化防止の魔術もかけておきました。ちょっとやそっとじゃ破けません、濡れません、燃えません、しわもつきません、小さく折りたたんでも折り目がつきません」
「はぇー」
「……それで、どうですか? 私の描いた絵は?」
「はぇ……(咳払い)実に綺麗だ……どこぞの女神が嫉妬してしまうかも。ありがとう。大事にする」
リズがレアの絵を他人に見せるのは初めてのことであり、少し舞い上がっている。ボルクスは絵画の知識など全く持っておらず、実物を見ていないのでどう返せばいいのか分からない。とりあえず、絵としては上手いという無難な評価を下す。ボルクスにも、今までこういう感じで評価を求められる経験はなかった。ボルクスは、盛るという言葉の意味の理解が、より深くなった。リズは大変満足そうである。
「くれぐれも人前では出さないでくださいね。あとレアにも秘密にしといてください。レアはこのことを知りませんので」
もじもじと恥ずかしがるリズをボルクスは生暖かい目で見ながら、出来る限りの繊細かつ丁寧な手付きでレアの絵を懐にしまう。リズは念押ししていたが、レアが捕まる前は何度か人前で出したことがあった。レアの絵自体を見せたことはなかったが。
「さて、話が逸れたが、今必要なのは金と、情報だな。一か月後の処刑が何時に、どこで、どれくらいの規模で行われるのか出来る限り調べてくれ、そこから逃走経路とか諸々の計画を二人で考えよう」
「わかりました」
「俺はとにかく修行に専念したい。そこで頼みがあるんだが……この金貸してくれ!修行のための道具を揃えたい。絶対返すから!」
倒れんばかりの勢いで頭を下げるボルクスに対し、リズは困ったように小さく笑う。そもそも、ボルクスが毛皮を売って稼いだ金なのに、わざわざ頭を下げる律義さが少しおかしく見えた。
「頭を上げてください。別に構いませんよ。お金は返してもらわなくとも、私の方は冒険者ギルドの方に行って稼いできますから」
「ありがとうリズ! じゃあちょっくら修行してくる! 夜までには帰る! 」
ボルクスはそう言い残すと、風のように家を飛び出した。必要のもの、やらなければならないことは多い。しかし、それらを考えるよりも、早く体を動かしたい衝動にかられた。
今の体はどうにも自分が体を動かしているようには感じないぎこちなさというか、言いようのない違和感がある。その違和感をさっさと片づけてしまうことを念頭に置いて、どのように体を鍛えようか師匠ケイローンの教えも思い出しながら考えていた。




