第30話 新ラミエル
「思ったよりも最上級騎士が出て来るのが早かったわね、でもちょうといいわ。あなた達との闘いに勝って撤退させれば、この私は天導騎士団の最高戦力をもってしても、容易に手出しができない脅威的な存在だと、聖十字教や天導騎士団は認識せざるを得ない。そうなればより多くの人が魔王ジャンヌの復活を信じるでしょう?」
ジャンヌはモードレッドにもラミエルにも、全く物怖じしなかった。それどころか、挑発するような口調で薄く笑っている。
「最上級騎士様のあられもない敗走で、この島以外の聖十字教の信者たちにも、魔王の復活と、天導騎士団ご自慢の最高戦力を退ける力を広く知らしめてもらおうかしら」
クスクスと口元で小さく笑っているが、目は全く笑っていない。
「そこまでする目的はなんなの?」
ボルクスは一応、アンナから魔王ジャンヌのこの島での目的、信仰の否定について聞いていたが、改めてその先の目的を当人の口から聞いておきたかった。モードレッドとは違い、どこか呑気な質問にジャンヌは一瞬目を丸くした後、再び薄く笑いながら答える。
「神の不在の証明」
あっけらかんととして言い放たれたその言葉に、ボルクスとモードレッドは目を細めた。
「私はね、この島で起こったことを、聖十字教圏の全土で繰り返したいの。神の代行者気取りの聖職者も騎士団も私の力で完膚なきまでに叩きのめす。祈りを蝕み、信仰も余すことなく喰らい、全ての信徒に神の不在を事実として、未来永劫忘れることのないように脳髄に刻み込む」
「たった四人で我々に歯向かってそのふざけた野望を達成しようといのか? 無謀だと言わざるを得んな」
「勝算ならあるわ」
勝算という言葉に、ボルクスとモードレッドが眉根を寄せ、警戒を強める。ジャンヌが腕がゆっくりと上がり、モードレッドの持つラミエルを指差して止まった。
「滅殺一条」
ラミエルの力を完全解放するためのその言葉にボルクスとモードレッドが目を見開く。二人とも驚いてはいたが、ジャンヌはモードレッドの方を指差し、満足そうに歯を見せて笑う。
「ふふふ、それよそれ、いい顔よ~、自らの精神の拠り所が揺らいだその顔! 今の最上級騎士様と同じ顔を、私はもっと多くの人間にさせたいの。四大天士も聖皇もすべて倒せば、全ての信徒がその顔をして、私に底なしの恐怖を抱くはずよ。神への信仰も崩壊し、神聖書は噓八百を書き連ねたゴミとなる、私が信仰を捨てさせるのじゃなく、信徒自らが信仰を捨て、神聖書を焼くような日がきっとくる」
ジャンヌが話しながらその表情に、神の存在を何としてでも否定したいという狂気のようなものを宿し始めた。
「最上級騎士様が私たちに負けても、魔王復活の裏付けとしてこの島から生かして出してあげるけど、ラミエルは貰うわよ。四大天士の武器は持ってるだけで敵の出方を牽制できる抑止力だから、一つでも奪えば私たちにも充分勝機が見える。四つとも奪って私たち四人が使って教会とかや無駄にデカい大聖堂を破壊しまくれば、ジェネシスへの信仰を捨てるには十分な絶望を、わかりやすく愚民どもにも叩きつけられるじゃない? 言っておくけど、私は他の四大天士の武器の力を完全解放するための解詞もすべて頭に入っているし、私も私の部下も問題なく使えるだけのマナは持っているから」
ジャンヌが人差し指で自分の頭を指した。ボルクスにとって解詞という言葉はよく分からなかったが、文脈から察するに恐らく滅殺一条のことを指すのだろう。
滅殺一条、モードレッドがその言葉を詠唱し、完全解放されたラミエルによってもたらされた光景を、ボルクスは鮮明に覚えている。地形や景色を巨大な雷で丸ごと削って形を変え、敵対する者に絶対的な破壊と死をもたらす危険極まりない力。完全解放のラミエルの力は、闘わずして相手を従わせる強大な抑止力になるというのもおかしな話ではない。
そしてジャンヌはラミエルを持って同じことができるだけでなく、他の四大天士の武器も同様に完全解放ができる。あのラミエルと並びうる威力を持つ武器が他にも三つあるというだけでも、ボルクスにとっては気味が悪かったが、それらがもし全て、ジャンヌの勢力に奪われてしまえばどうなるか、想像に難くない。四大天士もジャンヌの勢力もちょうど四人だ。ジャンヌとその配下がそれぞれ四大天士の武器を握れば、四人だけで聖十字教を破壊するというのも現実味を帯びてきた。
「なるほど……」
その手があったか、と続けようとしてボルクスは言葉を飲み込む。とにかくリズとレアを逃がすためにがむしゃらにモードレッドと闘ったボルクスと違って、ジャンヌはある程度先を見据えている。ラミエルを奪うというのも当時のボルクスには思いつかなかった方法だ。しかし、気になることがある。
「そのやり方はある程度、四大天士の戦力としての価値を知らないと出てこない発想だ。解詞といい、誰かを拷問にかけて情報を吐かせたのか?」
モードレッドの問いに、ジャンヌは一瞬で表情を変え、眉間にしわを寄せてモードレッドを睨んだ。
「拷問なんて、あんたらと違ってそんな野蛮なこと、私たちがするわけないじゃない。私がなぜ天導騎士団についてある程度詳しいのか、教えるつもりはさらさらないけど、知る過程において血生臭い手段は断じて使ってないわ」
モードレッドが顔をしかめ、無意識にラミエルをより強く握りしめた。島の外部から救援に来た天導騎士にとっては、ここが瀬戸際なのだ。ここでモードレッドが負け、ラミエルを奪われてしまえば、四つの内たった一つの武器であっても、聖十字教の破壊に大きく近づいでしまうことになる。何としてでも魔王ジャンヌの進撃はここで食い止めなければならない。
「この力は聖十字教の信徒たちを守るためのものだ。魔王が神の力を使えるなどと、思い上がるなよ。ましてやこの俺はラミエルを死んでも貴様らには奪わせんぞ」
モードレッドの強い意志のこもった視線を受けたジャンヌは、何かを諦めたように口の線が弧を描いた。
「精々吠えなさい。存在すらしない神に空虚な忠誠を誓う天導騎士と違って、あなたには本当に騎士を見せてあげる」
ジャンヌが踵を返して、町から遠ざかろうとする。
「逃げやしないわ、あの煙の下にある広場なら人が全くいないから、闘うならあそこにしましょ、最上級騎士様の無様な敗北もさぞかしよく見えることでしょうね」
二人に背中を向け、声だけでモードレッドを挑発するジャンヌに、当のモードレッドは何も返さない。ジャンヌもボルクスにとって強そうに見えたが、ラミエルのあるモードレッドが負けるとは到底思えなかったので、何も言わなかった。
「だからさっさとついてきなさい」
無反応の二人につまらなさそうに吐き捨て、ジャンヌが一瞬で走り去った。常人なら目の前から消えたと思うほどの速度だが、二人はしっかりと目でジャンヌの動きを捉えていた。
ジャンヌの背中を追うために、モードレッドが足腰に力を入れようとした。
「ちょい待ちモードレッド」
「なんだ小便か? その辺でしとけ」
意気込んでいたところを、ボルクスの呑気な声に邪魔され、適当に返事をするモードレッド。
「いや、ちょっとラミエル貸してくれ」
「ちょっとってお前……金みたいに気軽に言うなよ」
「? 俺は気軽になんかお金借りないぞ」
「そうことじゃなくてだな……いや、いい。先に理由を言え、少し触ってみたいとかなら貸さんぞ」
「理由先に教えちゃったらサプライズ感がなくなるじゃん」
「騎士団にとって超重要かつ厳格に管理すべき莫大な力で、魔王がこれを奪取することが目的なのに、サプライズ感とかあっても困るんだわ」
「じゃあ、もしもモードレッドの身にに何かあった時、魔王の勢力に奪われないために俺がラミエルを持つことになるかもじゃん? その時の取り回しとか間違えないために実際の重さとか長さとか知っておいたほうがいいと思う」
「『じゃあ』がなければまともな理由だな……まあいいか、ほら、丁寧に扱えよ」
「お、ありがと、やっぱ見た目より結構重いなこれ」
結局モードレッドはボルクスに呆れつつも、ラミエルを手渡した。ボルクスはラミエルを恭しく両手で受け取り、柄や刃の部分など細部に至るまでラミエルを持つ角度を変えながら見回し、重さや長さなどを手に取り馴染ませていく。何回か軽く振り回してみたりもした。
なんだかんだ言ってモードレッドは、ボルクスもラミエルの力を目の当たりにして、いかにこの武器が慎重に運用しなければならないかを理解しているだろう、とラミエルに関しては信頼していたので、子供が真剣を遊びで振り回すのを見るような、危なっかしい目をすることはなかった。
「いいな~これ」
「騎士団では天器(四大天士の武器)を持って闘えることは最大の栄誉だからな、一度手に取ってみたい気持ちもわからんでもないが……」
「グアッ!!」
ボルクスがラミエルの柄を強く握りしめ、妙な掛け声を出した。すると同時にラミエルが雷を出す時とは違う黄金色の光を放った。光の量はかなり多く、直にラミエルに触れているボルクスの姿を飲み込み、モードレッドは眩しさ故に、腕で目元をかばい、目を細めた。
「おいなんだ!? なんで光っている!? 何の光だこれは!?」
モードレッドは四大天士の中では一番の新参者である。ラミエルの取り扱いには細心の注意を払っていたが、ラミエル、引いては、四大天士に持つことが許される神の力の一端である武器に対しては、まだ完全に理解しているとは言えなかった。
ボルクスは解詞を詠唱していない。ラミエルが放つ光も雷光ではない、何よりラミエルというか四大天士の持つ天器特有の、生命を脅かすような刺々しいマナを感じない。あの光から感じられるのはボルクスのマナだけだが、そんなに多くはない。しかし、モードレッドは何が起きているのか全く理解できていなかった。もしかしたら、四大天士以外の者が持つことによって誤作動か何かを引き起こしたのかもしれない。光に包まれて姿が見えないボルクスが心配だった。
やがて、光が収まるとともに、ボルクスの姿もモードレッドの目に映った。
「大丈夫かボルクス!?」
今立っているボルクスは、光に包まれる前と大して変わったところはない。何やらニヤニヤと得意げな顔をして笑っている。
「ほら見てこれ、モードレッド」
ボルクスがニヤつきながら、手に握っていたものを差し出した。眩しさに目がくらみ、薄目で見ていたモードレッドだったが、次の瞬間瞼を全開にして、目を見開いた。
「!?」
ボルクスの握るそれを見たモードレッドが珍しく狼狽え、驚愕の表情を浮かべる。ボルクスはラミエルを手に握ってはいるが、その形状は大きく、剣と呼べるものに変わっていた。にも関わらずモードレッドがラミエルだと一瞬で理解できたのはその形状や装飾、黄金色を中心とした色合いなどにラミエルの面影があったからである。
「お前……これは……」
疑問とかよりも驚きの気持ちが勝ってしまい、モードレッドは言葉を上手く繰り出せない。しかし、ボルクスのニヤついた顔を見れば、このわけのわからないラミエルの変貌がボルクスの手によって意図的に引き起こされたものだと、モードレッドは断定し、ボルクスの胸倉を掴み、揺さぶる。ボルクスの首がガクンガクン前後に動く。
「なんだこれはぁ!? お前さっきの話ちゃんと聞いてたのか!? いいか! これは唯一神ジェネシスから我々人間に、地上を守るために遣わされた神の力だぞ!?」
驚きや怒りなどがあったが、最終的に嘆きの感情が胸の内に残り、モードレッドはボルクスの胸倉から手を放し、頭を抱えた。
「何ということだ……天器が持ち主の力に反応して形を変えるなど聞いたことがない……俺は上になんて報告すればいい……俺が引退してラミエルを継承する騎士に、『俺の代でラミエルは剣になりました』なんて口が裂けても言えんぞ」
ぶつぶつと嘆いて独り言を矢継ぎ早に繰り出すモードレッドに、ボルクスは乱れた服装を正しながら、宥めるように言う。
「落ち着けってモードレッド、形を変えられるってことは元に戻せるってことでもあるんだぜ」
その言葉を聞いた瞬間、モードレッドのせわしない動きがピタリと止まった。
「……本当か?」
ボルクスが今まで聞いたこともないような情けなくて小さい声で、モードレッドはゆっくりと聞いた。シルヴィにもフライアにも死んでも教えられない、この一連のやり取りは二度目の墓までもっていこうとボルクスは無言で頷きながら心に決めた。
「グアッ!!」
再び妙な掛け声を出して、ラミエルの形状を変化させた。モードレッドは再び眩く光ると思い、目を細めたが、最初の時ほど派手に光らず、ラミエルだけが輪郭を残したまま光で包み込まれた。ラミエルを完全に飲み込んだ光とその輪郭がゆっくりと形を変え、元の片手槍のような形に戻っていく。そして、光が弾けるように消え、元のラミエルがボルクスの手の中に現れた。何もおかしいところがなく本来の形に戻ったラミエルを見て、モードレッドは少し安心して、息をついた。
「なぜ最初の時ほど眩しくならないんだ?」
「二回目で慣れたもんだからな、あと元に戻すがなんとなく楽」
「よくわらんがそういうもんか。まあとにかく元に戻ってよかった。これについては俺はもう何も聞かんし、誰にも何も言わんから、早くラミエルを返し……」
「グアッ!!」
「何やってんだお前! 俺がまだ喋ってるだろ!」
妙な掛け声こそあったが、三回目にもなるとボルクスは完全に変形のコツを掴み、一回目二回目よりも遥かに速く、僅かに光っただけで一瞬でラミエルの変形を終わらせた。
再び剣となったラミエルがボルクスの手に現れる。モードレッドは妙な掛け声を聞き嫌な予感がして、さっさとラミエルをボルクスから取り返そうとしたが、既に遅かった。
「何エルだこれ……」
モードレッドが複雑そうな顔で剣となったラミエルを見つめた。ボルクスもそんなモードレッドを多少不憫に思ったが、こういうことがしたくてラミエルを貸してくれと頼んだわけじゃない。
「俺は何も無意味にこんなことしたんじゃないぞ。とりあえず一度、この状態のラミエルを持ってくれ」
ボルクスが神妙な顔つきでラミエルを差し出した。モードレッドが渋々、ラミエルの柄を握り、自分の方へと引き寄せる。ボルクスが手を放した瞬間、ラミエルの重みがモードレッドの手に全て伝わった。ラミエルを握りしめた手の平から何かグッと熱を帯びたものを感じ、腕へと伝わっていき、モードレッドの目の色が一瞬で変わる。
「これは……」
形が変わったラミエルを握るこの感覚には、この重みには、身に覚えがあった。戦場往来数年、モードレッドが剣を握って闘った期間はラミエルよりもはるかに長い。ボルクスという人生最大の強敵との戦闘の際にも、ラミエルよりも優先して頼み綱とした武器は何の変哲もない剣だった。
気づけば無意識にラミエルを両手で握り、腰を落とし構えていた。ボルクスもいつの間にかモードレッドから距離を取っている。
たった一度だけ、モードレッドはラミエルを真っ直ぐに振り下ろした。腰の辺りで握られた柄と両刃の剣身を見つめ、ゆっくりと息を吐く。
たった一度振り下ろしただけだったが、物言わぬ剣はモードレッドに多くのことを伝えた。剣の形となったラミエルの方が、元の形よりも手に馴染む。まるで自分の腕の延長だと錯覚するほどであった。ボルクスがモードレッドの表情を見て、してやったりというような顔をする。
「どうだった?」
「なるほどこれがお前の目的か……思いもよらなかったことだが、確かにこっちの方がこの俺にとっては使い慣れた形だ。勝手に天器の形を変えるのは神に対す不敬だが、正直に言うとかなり心強い。これなら魔王の勢力相手にも、より強い敵にも、剣の腕とラミエルの力を合わせて俺の実力以上のものを発揮できるだろう。ありがとうボルクス」
モードレッドが純粋に礼を言い、ボルクスが嬉しそうに鼻を擦る。
「いいってことよ。そんでその状態でさあ、あの……足で……剣使うやつやれば超強いじゃん?」
自分を死にかけの状態まで追いつめたモードレッドの技を上手く言い表せず、阿保みたいな言い回しをするボルクス。
「確かにそれも強いが、ラミエルは本来手で扱うべき天器だからな……足で使うのはやはり不敬だぞ」
「もう剣になったし今さらじゃん。言わなきゃバレんし」
「だな」
モードレッドの思考はボルクスのそれに少しずつ影響され始めていた。細かいことを考えるのは放棄した。
「だが、闘いが終わったら元の形に戻しておけよ。お前も上から変な疑惑をかけられたくないだろう」
「わかってるよ。さっさと魔王追って新生ラミエルの初陣と行こうや」
「ああ、お前のせいで完全に忘れていたぞ」
ボルクスはモードレッドと違って忘れていなかったが、ジャンヌの行き先である広場は煙の下にある。ということは煙が目印になっているし、ジャンヌを見失うことに何の不安も抱かなかった。
「おっそいわね! やり残したことがあるんなら先に言いなさいよ! 私だって待つことくらいできるのに!」
いつの間にかジャンヌが戻ってきていた。ボルクスとモードレッドからは離れた場所に立っているが、それでもはっきりと聞こえるくらい強く怒鳴っていて、ぷりぷりと不機嫌そうに腕を組んでいる。
「それとも私にわざわざここと広場を往復させて、無駄な体力使わせる作戦なの!?」
「すいませんもう行きます!」
「ならとっととついて来なさい」
魔王相手とはいえ、さすがに悪く思ったボルクスは詫びを入れ、敬語で返事をした。その返事をジャンヌは素直に受け取り、スッと怒りの表情を引っ込め、それ以上何も言わなかった。
ジャンヌは走ってくる二人をちゃんと確認し、今度こそ三人で例の広場に向かった。




