地下のルール
※※
広大な燃料保管庫は、責任者のダンと同行しなければ入ることができない。
「悪いな、ダン。」
「いいさ、どうせしばらくは採掘はできない。」
ダンが再構成された人造燃料のカプセルを選びながら言った。
「昨日は奥さんに世話になった。」
「かまわねぇさ。」
「お前はもう少し構ってやれよ?」
「……なんだ?何か言ってたか?」
「お前が地下の人間を嫌ってるんじゃないかと不安らしい」
「―――そうかよ」
ダンはそれだけ言うと、それ以上は何も言わなかった。
ジンはその背中に向けてまた言葉をぶつけた。
「それはいいとして、ダン、地下の話なんだが。」
「何だ?」
「サン・ランド・インダストリー―――」
ダンの巨体がゆっくりと振り返った。
※※
―――今日は造船は休業だが、アヤは『CASPER』に来た。
「おオ、アヤちゃん。今日は昨日のようにはいかないヨ。」
「そうですか?ドクさん、後半手が緩むんですよ。油断大敵ですよ?」
将棋の準備をしていると、ネルがやって来た。
「あら、アヤちゃん、いらっしゃい。ねぇ、サン・ランド・インダストリーって知ってる?」
「え?ええ。地下では有名な企業ですから。」
「この間、ウチを吹っ飛ばした船を調べたら、そのサン・ランドとかいう会社のものらしいの。アヤちゃん襲ったのは、末端が雇ったチンピラだったけど、一番上はそこ。」
アヤは驚愕し、目を見開いた。『SLI』と呼ばれるその企業は、ただの民間企業では無く、惑星のテラフォーミングを官民一体で行っていくために設立された“政府公認”の大企業だ。
「敵は、大きいナ。」
ドクが将棋の駒を動かしながら呟いた。
※※
今日も元気にアイが泣いている。あやしていると、インターホンが鳴った。
「あ、ダンさんの奥さんですか?」
モニターに男が映る。『S・L・I』の文字のある作業服を着ている。
「作業班長のダンさんに話を伺いたいので、伝言をお願いしてよろしいでしょうか?」
「はい、構いませんよ。ご迷惑おかけします。」
「いえいえ、採掘場は私、いや、サン・ランド・インダストリーの管轄ですから。」
※※
ダンの丸太のような腕が振られると同時に、ジンは飛び退いていた。
「どうしたダン、動きが鈍いぞ。奥さんとの子作りが大変か?」
ダンは険しい顔で、ジンを見据えている。
ジンは、軽くステップを踏み、ダンとの距離を測りながら肩を揺らして体をほぐす。
「余計な力が入り過ぎなんだよ。ケンカは力ばかりあってもダメだ。緊張した奴が負けるって、ガキの頃教えただろう?」
ダンは何も言わない。
「SLIじゃ、俺は人気者か?“DEAD OR ALIVE”の手配書でも・・・」
ダンが殴りかかってくるのを、スウェイでかわす。
「出回ってるのか?B1のダンさん。」
「B1の」を強調した。ダンの表情が、わずかに歪む。
「名前は分からない、だが、会社の動きを妨げてる奴がいるってのは伝わってた。」
「妨げる気はないが、ま、デカイ組織には、色々あるようだな。」
そう言って肩をすくめるジンにダンはさらに言う。
「お前だって分かったからには、俺は、お前を会社に引き渡さなきゃいけねぇ。」
「見逃しては、くれないようだな。」
「ああ、見逃したのがバレたら、どうなるか分からねぇ。最悪、首になる。」
「俺と一緒に来るってのはどうだ?」
答えは分かっていたが、ジンは敢えて言った。
「地表に?馬鹿言ってんじゃねぇ!あんなとこに戻ってたまるか!」
ジンは少し頬を持ち上げた。笑ったのか、それとも悲しんだのかは分からない。
「なぁ、ジン。地表は腐ってる。そうだろ?」
泣いているような怒声で、ダンが言った。
「ああ、そうだな。」
ジンが頷く。
「地下なら、あの腐った臭いを嗅がなくて済む。俺はあの臭いが大嫌いなんだ。」
「ああ、俺もそうだよ。」
「盗みも、殺しもねぇ。」
「ああ。」
「子供だって、ちゃんと育つ。」
「ああ。」
「地下に潜ったら、地下のルールに従うしかねぇ。そうしなきゃ、地表に逆戻りだ。」
「ああ。」
「それはできない。家族のためにも……俺のためにもな。」
ダンが近くにあった燃料カプセルを投げつけてきた。
避ける。が、避けた先にダンが回り込んでいた。
蹴りを繰り出すが、ガードされた。
ダンの手が、ジンの首を押さえると、そのまま床に叩きつけた。
「うっ!」
腹から息が洩れる。
ダンはそのままジンの上に乗り、首を締めあげる。
「殺しはしねぇよ。だが会社に引き渡したあと、どうなるかは知らねぇ。悪く思うなよ?」
ジンは声を振り絞った。
「思わないさ―――仲間だからな。」
ダンの力が、一瞬緩んだ。ジンは素早くダンの体をはねのけると、その腕に絡みつき、関節を決める。
ダンが悲鳴を上げるが、ジンは力を緩めない。
やがて気味の悪い音がしたところで、ダンの腕から離れる。
「仲間の、腕をへし折る奴が、いるか……。」
腕を押さえ、もだえるダンにジンが言う。
「奥さんが育児ノイローゼ気味だったからな。少し休みを取る口実を与えてやったのさ。」
「ふざけた野郎だ……いつもいつも……よぉ。」
「燃料は強奪させてもらう。悪く思うなよ?」
「持ってけ……二度と来んな。」
「ああ、来れそうも無い。奥さんの飯は、なかなか美味かったが。」
言うと、ジンはスパナを取り出した。
「ダン、いつか地表で会おう。」
ダンの頭にそれを振り下ろした。
※※
「むむム……」
ドクが長考を始めたので、アヤは外に出ることにした。この調子だと、またアヤの勝ちになりそうだ。
「あ!」
ジンが大きな荷物と共に戻ってきていた。
「よぉ、お嬢さん。ジジイの将棋相手ご苦労さん。」
そうやって頭を撫でる。その手を振り払いながらアヤは言った。
「ジンさんこそ、お疲れ様です。また明日から、忙しくなりますね。」
「ああ、そうだな。面倒なものを掘り出したようだしな。」
「どういう意味です?」
それには答えず、ジンは言った。
「なぁ、お嬢さん。地表は、臭いな。」
そう言ってわざとらしく顔をしかめる。アヤはその意図が分からなかったが、とりあえず
「ええ、でも、ちょっと慣れましたよ。」と言った。
「それに、地下にも臭いはありますし。人が生きてれば、臭いはしますよ。」
そう言って、しまった、と思った。
「いや、別に、ジンさんたちが臭いって言ったんじゃないですよ。だって、地表の臭いの元はダストだし、えっと……何言ってんだろ?」
「それはこっちのセリフだ。」
ジンは面白そうに笑っている。
「ごめんなさい。」
ジンは、アヤに訊いた。
「地表は、好きか?」
「地表は、怖い、こともありますけど『CASPER』は、好きです。」
我ながら中途半端な返答だと思った。
「そうか。」
ジンはそれだけ言うと、アヤの頭を撫でた。アヤが身をすくめる。
「あの、そうやって頭撫でるの、止めてください。なんか、恥ずかしい。」
その声を無視して、ジンは頭を撫で続けていた。
※※
薄暗い病室の天井を見つめながら、カイは自分のバカさ加減を呪っていた。
採掘場で仕事を始めれば地下に“降格”できる。幼いころからその希望だけを頼りに生きてきたようなものだった。
しかし、今回の事故でSLIからはクビが言い渡されるだろう。そうならなくても、全身火傷を負った体を元通り動かせるようになれるかは分からない。
そうだ、この病院の治療費すらも払えないかも知れない。
暗澹たる思いが胸を支配し、ギュウギュウと締めつけてくる。
医者の話によると、現場班長のダンと、地表の男が運んでくれたらしいのだが、ダンは入院後、一切姿を見せない。
見捨てられたか。また心の中を暗黒が覆う。
「よぉ、ミイラ君、生きてるか?」
絶望的な状況を笑い飛ばすかのような軽い声と、飄々(ひょうひょう)とした雰囲気の男が目の前に現れた。
カイは話せない。この男の言う通り、全身に包帯が巻かれているミイラ状態だからである。
「俺はジン、ここらで船大工をしている。」
ジン―――悪友から聞いたことのある名前だった。スラム地区の荒くれ者どものリーダーだったという、今は知らないが。
俺を助けたのは、この男か、とカイは知った。
「随分落ち込んでいるようだな。まぁ、仕方ないか。」
お前に何が分かる、と言いたかったが、同じ地表の人間だったな、と思い直す。ただ、ジンの纏っている雰囲気は、ほかの地表の人間とも地下の人間とも違う、独特な絶望を抱えたものだった。
カイもここに運ばれて目を覚ましてからずっと絶望していた。そのことで感受性が敏感になっていたので分かるのだ。
ジンの口調、目、どこか抜けたようなたたずまいは、カイ以上の絶望を、ずっと長い間溜めこんで生きてきたのではないかと思わせる。
ジンはカイの寝ているベッドの脇に腰掛けると、話し始めた。
「今日はミイラ君にいい話を持ってきた。」
カイはじっとジンを見つめている。
「まず、ここの治療費は全額俺たちが持つ。」
カイの、包帯から覗く目が見開かれる。言葉にできずとも伝わったのか、ジンが微笑む。
「ただし、それは貸しだ。出世払いで返してもらう。」
そう言うと、携帯PCをカイの手に握らせる。
「体が動くようになったら、この中に入ってる地図の場所に来い、たっぷりこき使ってやる。」
手の中のものを見つめながら、カイは不覚にも涙が溢れてきた。
自分なんかより、よほど絶望を知る男が、自分を助けようとしてくれている。
この地表で、生まれて初めて、人の暖かさに触れた。
なんで、そんなことができるんだ?包帯の中で必死に伝えようと声を出すと、どうやら伝わったらしい。
「バカがよく来るんだ、俺の周りには。毒されたらしい。」
そう言うと、ジンは頭を掻きながら、いたずらっぽく笑った。
To be continued...
第二話、終了です。明日から、ジンたちの過去編をやろうと思います。