5.エルミーヌの胸中
屋敷に戻った後、エルミーヌは今日の出来事を反芻していた。
ついに結婚相談所を訪れたこと、グレシアナと話したこと。
どれも初めての経験で、エルミーヌは小さな興奮の中にいた。
結婚相談所とはいったものの、エルミーヌは庶民と結婚する気があるわけではない。
もの珍しい体験をすることで、婚約破棄の後から続いている、ぼんやりと晴れない気持ちの解消になればいいと思ったのだ。
グレシアナに伝えた希望は、「話が面白い人」「優しい人」「私の世界を変えてくれそうな人」といった漠然としたものだった。
そう大して期待はしていないが、どんな相手を紹介してくれるのか、楽しみではある。
このどきどきとした感覚は、婚約破棄をされて以来、久しぶりの前向きな感情だった。
この瞬間を味わえただけでも、結婚相談所を訪れた価値があるとエルミーヌは思う。
笑えるような話をしてくれる男性がいればなおいいし、まったく見当違いな相手が来ても、まあ暇つぶしにはなるだろう。
エルミーヌは、貴族ではなく庶民からのみ相手を選んでもらうよう依頼した。
貴族なら社交場で会うほうが話が早いだろうし、自分で出会える相手を紹介してもらっても意味がない。せっかくなら庶民の生活を垣間見たいと思ったのだ。
庶民が結婚や交際をする際は、何度かデートを重ねるらしい。
食事をしたり、出かけたりをして、関係を深めるのだとか。
エルミーヌは舞踏会で相手を値踏みすることは慣れているが、いきなり二人きりで出かけるというのは経験がない。
危険ではないのだろうか?庶民の感覚というのはやはり理解できない。
エルミーヌは机の上の宝石箱に手を伸ばした。
いくつか持っている宝石箱の中でも、これは特に気に入っている宝石だけを収納したとくべつの箱だ。
毎晩眠る前に宝石を眺めることが、幼いころからの習慣だった。
箱を開き、ひときわ輝く大粒のルビーの指輪に目を向ける。15の誕生日に母から贈られたものだ。
エルミーヌは自分の赤毛を気にしており、ずっとコンプレックスだった。
祖母譲りの赤い髪は、父とも母とも似ていない。
父は赤毛を嫌っており、子供のころはたびたび「お前のその髪では嫁ぎ先に困るだろうな」と言っていた。
だからこそ、社交界で目立たなくとも困らないよう、子供のころから婚約相手を決めていたのだ。
断ることもできたはずの親同士の口約束を、アルフレードはこれまで守り、ずっと従ってくれていた。
(結局ダメになってしまったけれど……)
アルフレードはエルミーヌの赤毛を、美しいと言って微笑んでくれた。
父がいつも貶す赤毛を、本当に愛おしそうに見つめてくれる彼を、エルミーヌはすぐに好きになった。
結婚相手が彼で良かったと、何度も何度も、何度も思ったのだった。
あの言葉は嘘だったのだろうか。エルミーヌは思わず涙がこぼれそうになる。
きっともう、誰と結婚しても、そこは彼ほど安心できる居場所にはならないだろう。もう私の居場所はどこにも……
(こんな髪、毟っちゃいたい)
良くない方向に考えが向いていることに気がつき、エルミーヌは急いで宝石箱を閉じた。そのままベッドに向かい潜りこむ。
(私は大丈夫。)
いろんな人に会おう。行ったことのない場所へ向かおう。
エルミーヌは目を閉じると、これからのことを思い浮かべながら、眠りについた。
***
温かい光が差し込む部屋で、バイオリンの音が響いている。
エルミーヌの日課である、バイオリンの練習の音だ。
エルミーヌは貴族のマナーとして日々様々な勉強のカリキュラムが組み込まれているが、バイオリンは特に力を入れている習い事の一つだ。
他の科目は日替わりになっているが、バイオリンに関しては毎日、暇さえあれば練習を続けている。
これはエルミーヌの意地でもあった。
彼女の父はエルミーヌの外見を侮辱し、美しい姉たちと明らかに異なる態度をとってきた。
年の差分、エルミーヌが姉たちより秀でるものなどなかったが、初めて教師から姉たちよりも才能を褒められたのが、バイオリンだった。
バイオリンの発表会で貴族たちから賞賛されるたび、コンクールで優勝するたび、父は人前でエルミーヌを侮辱できなくなっていった。
エルミーヌのバイオリンの腕は、もはや同年代では右に出るものはいないほどだ。
女は音楽家を目指せるわけでもない。貴族のたしなみとしての域はすでに超えている。
「そんな練習をするくらいなら他の勉強をしろ」と小言を言われたこともあったが、2年前国内最大のコンクールで入賞してからは、口出しされなくなった。
太陽が空のてっぺんに上ったころ、執事に声をかけられた。エルミーヌ宛の手紙が届いているらしい。
送り主はグレシアナだった。
『エルミーヌ様、ごきげんよう。依頼をいただいていた紹介相手なのですが、こちらの方はいかがでしょうか?』
中には3人の男の特徴など、それぞれのプロフィールがあった。皆異なる職業につき、興味のわく内容だ。
エルミーヌはこれから訪れる未知の出会いに胸が高鳴るのを感じた。
なんて楽しみなんだろう。すぐに自室に向かい、日時の相談の手紙を書いた。




