お誘いと私の癖、そして彼女
「はい?」
思わず変な声を出した私を許していただきたい。
うちの母といい、軽い口調でとんでもないネタをぶち込むのは止めてくれないかしら。
「ななななんですか?」
「二人共に変な因果に巻き込まれていないか確認するためよ。他意はないわ。あら?」
エレナさんはニヤリと笑う。
興味津々の表情で私の顔を覗き込んだ。
「もしかして、好きになったとか?」
「そんなこと、あるわけがないじゃないですか!」
思いの外、自身が強い口調で言い返したことに驚く。
そんな簡単に彼の存在を受け入れるわけにはいかなかった。
彼の存在を受け入れることは、私にとって痛みや苦しみを忘れることに繋がる。
簡単に許してしまえば、あれだけ足掻いた私が惨めじゃないの。
私の気持ちに気付いたエレナさんは口を噤むと次の瞬間に瞳を伏せ、謝罪する。
「ごめんなさい、失言だわ。冗談でも言ってはならないというのに。」
「私も声を荒げてすみません。冗談だとわかっていたのに、つい熱くなってしまって。」
心の傷はまだ癒えていなかったらしい。
痛みを覚える胸元をそっと押さえた。
エレナさんは、私の仕草に目を見張る。
「貴女、記憶と共にその癖も引き継いでいるのね。」
「癖、ですか?」
「貴女、時々胸元をそっと手で押さえる仕草をするのよ。まるで胸の高鳴りを確かめるように、負った傷を癒やそうとするみたいにね。」
癖は魂に染み付いた記憶。
故に無意識で出てしまうものなのだと、彼女は私の仕草をまねて自身の胸元に手を添えた。
確かにその仕草は私には見慣れたもの。
「貴女の一回目の人生で、お父様がよく気にされていたわ。『その仕草を思い出す度に、今も悲しみに囚われていてはいないか心配になる。』と。」
胸元を押さえた手を見つめる。
お父さんは、こんな些細な仕草でさえも覚えていたのね。
クラウス様を想う度に生じる喜びや胸の痛み。
彼を愛したことから顕著に現れるようになった仕草は、父の記憶に消せない思い出として残された。
エレナさんは私の目を真っ直ぐに見つめる。
「イライザ、貴女は過去から魂と記憶を引き継いではいても今世は別人として生きている。もしも…もしもよ?彼を人として好ましく思ったとしても、それは今世の貴女の意思であり、誰も貴女を責める資格などないわ。例え前世の貴女だろうとね。だから前世の記憶だけで彼の人格や存在まで拒絶するのは、今を生きる貴女自身が可哀想だわ。私は今世の貴女の意思で彼を見極めて欲しいの。そのために言霊の力が必要ならばいくらでも力を貸すわ。だって今の貴女は例え赤の他人であろうとも、お相手の名前がクラウスというだけで、もしくは苗字がアンダーソンというだけで過去に繋がるものと警戒して忌避してしまうのではないかしら?それでは折角繋がった縁や運を逃してしまう。」
運は待ってくれないし、掴めるはずの幸せも同様。
「指し示すなら、人を幸せにする方向へ導くのが魔女としての誇りよ。」
神との約定を守るために。
そのためなら、悪役でも敵役でもかまわない。
エレナさんはニヤリと笑う。
「今から悪役設定に変えてもいいわよ、どうする?」
「いや、結構です。それよりも、ひとつ聞きたいのですが…。」
「ん、なあに?」
「魔女であるエレナさんの幸せは誰が導いてくれるのですか?」
キョトンとした、エレナさんの表情がとても可愛らしいと思った。
二人の間を暫し沈黙が落ちる。
「なんでそんなふうに思うの?」
「だって誰かを幸せにできる人こそ報われて欲しいと願うのは当然ですよね。」
童話には勇者とお姫様が力を合わせて悪い魔女を倒し、幸せになるというお話がある。
だがそれらのお話には大抵、魔女の何が悪いのかが描かれていない。
もしかしたら彼女は魔女ではなく、生きていたら都合の悪い人だっただけ、なのではないだろうか。
お姫様と勇者からすれば悪でも、見方が変われば立場も変わる。
過去、善人達から都合よく扱われ捨てられた私からすれば悪役だから悪いとは単純に思えないのだ。
役柄に関係なく、誰かを幸せにできる人こそ幸せに。
「善悪なんて立ち位置で簡単に入れ替わりますからね、そんな不確定要素よりも人柄重視です。」
「あらまあ、ずいぶんと振り切ったこと。でも…そうね、ありがとうというべきかしら?私、人を幸せに導いてきたことはあっても、人から報われて欲しいと願ってもらったのは初めてよ。」
だからお礼を言いたかったの。
そう言ってエレナさんは、嬉しそうに笑う。
私は彼女のように言霊を扱う力はないけれど、願うだけならできる。
人を幸せにしたいと頑張る彼女こそが一番幸せであって欲しい。
エレナさんは目元にほんのりと朱を浮かべ、微笑む。
その笑顔は無垢で、少女みたいに愛らしい。
普段とのギャップというのか…モテそうだな、エレナさん。
羨ましい。
「だけど私は誰かに幸せにしてもらうのではなく、幸せを自分からもぎ取る主義なの。だから安心して?ちゃんと幸せだから。」
「それって、恋人がいるってこと?」
「ふふ、まだナイショ。イライザに素敵な彼ができたら恋バナしようね。」
「前途多難だなぁ。」
「あら、人の幸せを願うような素敵な女の子を男性が放っておくわけないでしょう?例えば、あの人とか…。」
「えっ、誰?そんな人いた?」
「誰か教えたら面白くないから、言わない。それにしても…ふふっ、なんで私がイライザを導いたのかわかった気がするわ。」
「それはなんで?」
「教えたらつまらないでしょう?使わないと錆びつくだけよ、イライザ。持ち前の想像力を駆使なさい。」
それはないだろう。
せっかくのチャンスを逃してしまったらどうする。
恨めしそうな表情でため息をつく私の肩をイライザさんは励ますように軽く叩く。
「イライザ、好かれる努力も大切だけど、まずは相手を好きにならないと。誰かに言われて好きになるような恋は、好きになる人だけでなく好かれる人も互いに不幸なだけよ?」
「そう、なのかな?」
「"今世でこの恋が報われないなら、せめて来世で"。私が力を貸すのは幸せになろうと努力する人だけ。私が全力で協力するのは、貴女がそう願うほどに好きな人ができてからよ。」
私だって気付いている。
私が恐れているのは、誰かを好きになることではなく、好きになった相手から裏切られることだと。
裏切られるのが怖くて最低限の人としか関わる事ができなくなった。
初心に帰れということかな。
クラウス様と言葉を交わすだけで舞い上がるほどに幸せだった、初めての恋。
あれほど純粋な気持ちで他人を求めることは、たぶんもうないだろう。
失うものが多すぎたから。
「人と人が歩み寄るのは、ゆっくりでいいの。焦っても素敵な出会いはないから。」
「そうですね。」
「それじゃあ、皆で食べに行くお店を決めましょうか!!私が予約するわ。」
「えっ、何もかも任せきりだと申し訳ない気がします。」
「いいのよ、得意分野だから。それより…」
エレナさんが私の口元を、ちょんと指先でつつく。
袖口から、ふわりとハーブや薬草のような優しい薫りが漂う。
「敬語、なかなか直らないわね。友人なんだからもっと砕けた態度でいいのに。」
「あ、う、ん。がんばる。」
「…なるほど。この不器用な感じが可愛いわけね。」
「う、ん?何の話で、かな?」
「こっちのことよ。言葉遣いは無理しない程度にしてくれればいいわ。」
そこからは食べに行くならどの店がいいか、当日は何を着ていこうか、そんな話の流れになり話は弾む。
これはまた、エレナさんは泊まっていく流れだな。
彼女はカテリアにある『六つの月』を拠点として暮らしていたが、こうして話が弾むと時々泊まっていく。
寮の管理人さんも彼女を気に入ったのと親戚だからということで見ぬ振りをしてくれていた。
今度会ったら管理人さんに、こっそり差し入れを渡しておこう。
そして当日。
「あら、参加人数がひとり増えたのね?誰かしら?」
「それが先週末、急に異動してきた人がいてね。今日の参加者のうちの誰かが声をかけたみたいなんだ。」
「ふーん、人数が増えても大丈夫だけど、どんな人なの?」
「その人とは顔合わせをしたのだけど、ほとんど関わりがなくて、よくわからないな。こんな時期に急に異動してきた詳しい理由はわからないけれど、人伝に聞いたところでは優秀な人らしいよ。商会から成績優秀者として何度も表彰されたらしいし、二号店も軌道に乗ったところだから更に攻勢をかけるための人材補強、なのかな?それに可愛らしい雰囲気の美人だったよ。」
エレナさんの薫陶のおかげか砕けた口調にも慣れた。
それもあって、ずいぶん職場の人とも打ち解けた気がする。
…クラウスさんを除いては、だけどね。
彼とは今だに敬語でしか話せない。
顔を見て、声を聞いてしまうと、どうしても緊張してしまうのだ。
だけどこの微妙な関係も異動できれば、それで終わる。
存外に居心地は悪くないし、もう少しこの職場にいていてもいいかなとは一瞬思ったけど、それは私の心が弱いだけで気の迷いだと思うことにした。
「へぇ…美人ということは、女の人?」
「うん。今はクラウスさんの補佐についてる。」
「あら?イライザは彼の部下でしょう?彼女とは触れ合う機会が多いでしょうに、ほかにはもっと情報はないの?」
「今の私はどちらかというと商品管理が主な仕事だからね。彼女はクラウスさんの下で買い付けと新商品の企画を手掛けているから関わりが薄いの。」
頷きながら、エレナさんは話す私をじっと観察する。
それはまるで心の奥まで見通すような強い眼差しだった。
「どうやら理由はそれだけじゃなさそうね。」
「…うん、実はちょっと苦手なんだよね。だから業務に支障のない範囲で距離を置いているの。」
愛らしい雰囲気を持つ美人といえば王女時代の妹や、伯爵令嬢時代の食堂の娘さんと同じ。
彼女達と同じ属性にあることを感じさせる女性は今も苦手なのだ。
「同じ美人でもエレナさんやルーテさんに会ったときは感じなかったのにね。」
「あらっ、面と向かって美人って言われるのは嬉しいわね。それにしても確かに貴女は警戒心が強いけれど、そこまで警戒するなんて他にも何かきっかけがあったのではないの?」
「…実はそうなんだよね。他の人には言ってないけれど、昨日、こんな事があって。」
話し出せば愉快ではなかったあの時の記憶が鮮やかに蘇る。
この日は彼女が異動してきて、ちょうど一週間目だった。
警戒していた私は目立たぬよう過ごし、彼女とは極力関わらないようにしていた。
彼女の人心把握力は素晴らしく、あっという間に皆と仲良くなっていたから、ひとりくらい目立たない人がいても気にも留めないだろうと、そう思っていたのだ。
それに下働きの人間とはいえ、私も日中はけっこう忙しい。
午前中は納品書と客からの注文書の整理。
各部署を回り、顧客からの注文書を各担当者へと渡す。
私の所属する美術部門の発注は、新人なのでクラウスさんの指示の元で一件ずつ処理していく。
神経を使うし、話す相手がいるからこちらは苦手。
そして午後は入荷した商品の仕分けのために倉庫へ籠もる。
仕入れた商品の仕分けと整理を行い、倉庫の所定の場所に収納していく作業だ。
地味だし重労働もあるけれど、こちらは結構楽しい。
高価な品を直に見ることができる貴重な機会だからだ。
時代も国も違う商品を探しやすいように年代ごとに区切った所定の場所へ収納していく。
かつて王女であった頃、他国で作られていたという陶磁器。
伯爵令嬢であった頃、国内で流行った絹織物。
皆が古き時代に思いを馳せるための美術品が、私にとっては思い出に繋がる品なのだ。
ああ懐かしい。
うっとりと繊細な透かしの入った美しい陶磁器を眺めていた時だった。
「ああ、イライザさん!!ここにいたのね、私貴女とお話したかったのよ!」
静かな倉庫内に響き渡る嬌声。
突然のことに驚いて、手に持った陶磁器を落としそうになり、慌てて抱える。
「あ、ああのもう少し静かにお話しいただいてもいいですか?びっくりしてしまって。」
「あら、ごめんなさい!わざとではないのよ、あんまりにも嬉しくて。」
私は彼女の"わざとではない"という台詞にひっそりとため息をついた。
その言葉は、かつての妹を彷彿とさせる。
わざとでなければ、何をしても許されると思っているのかしら。
「いえ、私も集中していたので気付かなくてすみません。それで、なんでしょうか?」
「突然で申し訳ないのだけどクラウスさんのことで相談があるの、いいかしら?」
「アンダーソンさんですか?」
「そうなの。実は私…クラウスさんとお付き合いをしているのよ。」
姓を呼んだのに、あえて名前で呼び直す理由は親密さのアピールなのかな。
そう思いつつ内容を聞いて納得した。
…ああ、また巻き込まれたか。
真っ先に思ったのはこのことだった。
「彼も私との将来を考えてくれているみたいで、先日、これを私にって。」
嬉しそうに掲げた左手の薬指には大胆なデザインの指輪がはめられていた。
日常使いをするには少々大ぶりの石がはめられたそれは、いわゆる婚約指輪だろう。
そして古典的で繊細な意匠を好む彼が、らしくない現代的なのものを選んだという事は、彼女の好みに合わせたということか。
それだけ彼女が大切に思われているという証。
つきあいの浅い私がプライベートな事を聞かされていないのは当然のことだけど、クラウスさんも、そういう相手がいるなら誤解させない程度に私と距離を置けばよかったのに。
「彼、優しくて面倒見がいいから誤解させていたなら申し訳ないと思って。」
彼女は困ったような表情でわずかに首を傾げ、頬に指を添える。
あざといが、彼女がすると可愛いらしくみえる絶妙な仕草。
だが彼女の台詞は全く私に優しくなかった。
誤解っていうのは、私が彼を好きだとかそういうことか?
思わずカッと頭に血が上る。
最近荷量が増えたために仕分けを手伝っていたことで勘違いしたのかも知れないけれど、全てを恋愛感情に結びつけるのは止めて欲しい。
だが怒りが突き抜けて冷静になると、違う側面が見えてくる。
もしかしてクラウスさん自身、私が彼に好意を抱いていると勘違いしているということか?
そして私が好意を抱いているようで困っていると、そう彼女に話したと。
『あの男性も婚約者の女性に束縛されて困っているらしい。想い合う二人を邪魔するなんて無粋だよな。』
アレクシス様の婚約者だった私を中傷する言葉は、今世では部下である私に向けられている。
冗談じゃない、そんなお手軽に貴方を好きになれる訳がないでしょう。
『担当だからと全てを背負うことはないよ。忙しいときは、誰かに頼ることも必要だからね。』
クラウスさんが私に優しくしたのは、好かれているという優越感があったから。
気遣いにあふれた彼の台詞が、実は勘違いから生まれたものだというのか。
手伝いを申し出たのは上司として業務上必要な事と判断したからだと思っていたのに。
油断していたわ。
私の中で彼に対する好感度が一気に下降した。
もう頼らないし、信用なんてできない。
クラウスさんからすれば世間知らずの小娘だし、扱いやすかったのでしょうね。
軽く見られていた自分の甘さが心底腹立たしい。
「ええと、イライザさん?急なことで混乱させてしまったかしら?」
しまった、目の前にいたこの人の事を忘れていたわ。
改めて彼女の姿を確認する。
愛らしさの中にも色気があって美人、しかも優秀。
私に勝てる要素はひとつもなかった。
ならばこれは牽制というものなのだろう。
彼の近くにいる女性に対する、彼女なりの忠告。
婚約指輪を見せつけるところは、あからさま過ぎて品がない気がするけれど、これはモテない女の僻みというものだろう。
色々納得できない部分はあるが、利害の一致した忠告には従うべきだろうな。
数ヶ月すれば私はここからいなくなる予定だ。
私が異動した後、二人で勝手に幸せになればいい。
「ご心配なく。試用期間が過ぎれば異動願を出すつもりですから邪魔者はいなくなりますよ。」
「邪魔者だなんて、そんなつもりじゃなかったのよ。」
だったらどんな意図があったのか逆に聞きたいわね。
私の反応に対して申し訳なさそうな表情をした彼女。
一見、素直で愛らしく庇護欲をそそるような表情なのだろう。
だけど彼女の表情とは裏腹に口元だけは喜びを隠せず弧を描く。
皆は素敵な人だと絶賛しているけれど、やっぱり苦手だな、この人。
「おめでとうございます。どうぞお幸せに。」
私は自分ができる最大級の笑顔で祝福する。
その笑顔の裏で私の心を占めていたのは、過去から繋がる因縁に、これ以上巻き込まれたくないという切実なる願いだけだった。
下書きがあるのはここまでです。
次週に間に合うか、頑張ります。




