第25話 赤銅の神殿、武門の一族
一行の馬車は、テノラーダの入口にほど近い巨大な倉庫街を抜け、賑やかな商業区を横目に、街の中心部へと進んでいった。
商業区と倉庫街を隔てる高い内壁を抜けると、先ほどまでの雑多な喧騒が嘘のように遠のき、整然と磨かれた石畳の街路――行政区画へと入る。
その中央、広大な敷地の中に、圧倒的な威容を誇る巨大な建造物がそびえ立っていた。天を衝く赤銅色の屋根と、重厚な紫黒石の列柱。
神殿の背後にはいくつもの巨大な石造りの煙突が並び立ち、ゆらゆらと立ち上る熱気が周囲の景色を陽炎のように歪ませている。
神殿を取り囲むように立ち並ぶのは、名門の鍛冶工房群。
規則正しく打ち鳴らされる、カーンカーンという澄んだ金属音が、絶え間なく空気を震わせていた。
「これが……炎神の神殿……?」
話に聞いていたよりも、圧倒的な威容を放つその建造物に、レオナが胸元のブローチにそっと手を当て、感嘆の声を漏らした。
ラグロニーネの水神の神殿が、静寂と清廉を象徴する水と氷の青であるならば、この炎神の神殿は、情熱と鍛錬を象徴する炎と鋼の赤。神聖さよりも、どこか荒々しい生命の熱気そのものであった。
「ああ。テノラーダは炎の精霊の加護を受けた街だ。神殿から湧き出る熱があるからこそ、大陸中の凄腕が集まる。テノラーダは、最高の武具や鉄製品の産地だぜ」
ガルファンの言う通り、テノラーダは、貿易都市として物を集め、配る機能に注目されるが、特産品がないわけではない。周辺で採れる紫黒石もその一つ。
そして、この地に集う鍛冶職人たちが、熟練の手技と精霊の熱を用いて打ち出す、最高峰の武具や鉄製品。ここは伝統的な錬金・鋳造の聖地でもあった。
馬車が神殿の重厚な鉄門の前で停まると、門前を警戒していた数人の武闘僧侶たちが一斉に視線を向けた。
その先頭に立つのは、ガルファンとよく似た逞しい体躯を持ち、寸分の隙もない規律正しい身のこなしをした若い男だった。
「……げっ、いきなり兄貴のお出ましだぜ」
御者台から飛び降りたガルファンが、苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「「……え? お兄さん(様)……!?」」
翔馬とレオナが驚きながら馬車から降りると、その先頭の男――ガルファンの実兄であるガルヴィンが、眉間に深い皺を寄せたまま歩み寄ってきた。
「……ガルファンか。無事にハルトから戻ったのだな」
「おう、兄貴。相変わらず堅苦しいツラしてやがんな。眉間の皺、一生戻らなくなっても知らねえぞ?」
「貴様が無駄な軽口を叩くから気が引き締まるのだ。……して、後ろのお二方が?」
ガルヴィンは、弟の軽口を冷ややかに一瞥で受け流すと、翔馬とレオナへ向き直り、右拳を左掌に打ち当てて胸の前に掲げる――武闘僧侶の最も格式高い礼をとった。
「ハルト王国ラグロ辺境伯閣下のご使者とお見受けいたします。私はこの炎神の神殿、武闘僧侶隊隊長のガルヴィン・レニムと申します。愚弟が長らくご迷惑をおかけしたこと、一族を代表してお詫びと御礼を申し上げます」
背筋の伸びた威厳ある佇まいに、翔馬も自然と背筋が正される。
「初めまして、リーデル様の元でお世話になっておりますエスティと申します! ガルファンさんには道中、生きるための知恵から何まで教えていただき……本当に感謝しています!」
「ガルヴィン様、ご丁寧なご挨拶痛み入ります。私はラグロ辺境伯が妹、レオナ・グライアス・ハルトニアと申します。此度は親善の申し出を快くお受けくださり、心より感謝申し上げます。ガルファン様は、私たちの旅になくてはならない、かけがえのない大切な仲間です」
翔馬の快活な挨拶と、レオナの気品あふれる完璧かつ優雅な一礼。
二人の使者から揃って絶賛されたガルヴィンは、信じられないものを見るように片眉を跳ね上げた。
「……この出来損ないが、使者様方のお役に立ちましたか」
「おい誰が出来損ないだ! 俺はラグロニーネの輸送隊で三年間無事故の記録を更新中だぞ!」
憤慨するガルファンを完全に無視し、ガルヴィンは静かに門扉を示した。
「さあ、どうぞ中へ。神官長閣下、ならびに我が父母も、貴公らのご到着を心待ちにしておられました」
「「父……母……!?」」
翔馬とレオナの声が見事に重なった。
ガルファンは頭をガシガシと掻き回しながら、呆れたように口を尖らせる。
「あれ? 言ってなかったか? この神殿に、僧侶総長やってる俺の親父と、神官やってるお袋がいんだよ」
「「ええぇぇっ!?」」
あまりにも重大な事実を今さら明かされ、翔馬とレオナは目を丸くして固まった。
炎神の神殿を守護する武門の筆頭にして、代々優秀な武闘僧侶や神官を輩出してきた名門レニム家――ガルファンはただの腕自慢の傭兵などではなく、神殿の最高幹部一族の直系だったのだ。
翔馬は、あの山魔狼をねじ伏せた圧倒的な体術や身体のキレに、ようやく合点がいった。
神殿の内部は、外の熱気が遮断され、驚くほど冷涼で厳かな静寂が満ちていた。
磨き抜かれた紫黒石の回廊を歩み、案内された最奥の重厚な鉄扉が開かれる。
執務室の中で待っていたのは、三人の人物だった。
部屋の隅で腕を組み、仁王立ちで凄まじい武の気迫を放つ白髪混じりの巨漢――武闘僧侶総長、バルザック・レニム。
その隣で、深紅の神官服を優雅に纏い、慈愛に満ちた笑みをたたえる上品な女性――神官、マリアーネ。
そして執務机の奥、理知的な深い双眸を湛え、神殿の頂点に立つ最高責任者――神官長オルバ・ケラーであった。
「……よくぞ無事に参られた、ハルトよりのご使者方、心より歓迎いたそう」
神官長オルバが静かに立ち上がり、温かくも威厳ある声で一行を迎え入れた。
「お初にお目にかかります、オルバ神官長閣下。ハルト王国は水神の神殿に身を置き祈る者、レオナ・グライアス・ハルトニアと申します。こちらは、私の同行者であり、公務をともにするエスティです」
レオナは流麗な所作で一礼し、携えてきた革筒から二通の親書を取り出して両手で差し出した。
「我が兄、ラグロ辺境伯リーデルからの親書。ならびに、水神の神殿の神官長ラウレンス様からの書簡でございます。どうぞお改めください」
「うむ。頂戴する」
オルバはレオナから手紙を受け取ると、机の上のナイフで慎重に封を切り、眼光を滑らせて文章を追い始めた。
その静寂の間、総長バルザックの鋭い眼光は、レオナの隣に立つ翔馬へと注がれた。
「……良い立ち姿であるな、エスティ殿。その腰の剣、ただ佩いているだけのお飾りではあるまい」
「あ……恐れ入ります」
バルザックの太い唸るような声に、翔馬は僅かに緊張しながら、背筋を崩さずに短く頭を下げた。バルザックは視線を横へ流し、背後の次男を睨みつける。
「ガルファンよ。お前が護衛を務めると聞いて不安であったが、どうやら使者様に擦り傷ひとつ負わせずに、役目を果たしたようだな」
「へっ、当たり前だろ親父。俺の腕を疑ってんのかよ」
「これこれ、お二人とも。お客様の前で騒ぎ立てるものではありませんよ」
母マリアーネが袖口で口元を隠し、クスリと笑って窘める。
その温かなやり取りに、張り詰めていた室内の空気がふわりと和らいだ。
「……ふむ。なるほど、相分かった」
手紙を読み終えたオルバ神官長が静かに羊皮紙を畳むと、その深い眼差しを翔馬とレオナへ真っ直ぐに向けた。
神官長ラウレンスからの書簡には、レオナの親善訪問の趣旨とともに、水神の神殿に現れた〝水鏡の勇者〟の正体がエスティであること、本国の政争から少年を守るために、この事実を知る者を神殿最高幹部に限定してほしい旨が緻密に記されていた。
そして、リーデル辺境伯からの親書。
そこには、ガルファンの輸送隊長としての比類なき功績への最大限の賛辞と、神殿への謝意、そして――エスティという非凡な知性を持つ少年に、テノラーダの大規模な物流と都市運営を学ばせたいという、将来を見据えた切実な願いが綴られていた。
「バルザック、マリアーネ。ガルファンはハルトの地にて、見事に己の足で立っておるぞ。ラグロ辺境伯閣下は、『彼こそハルトの国境を支える無二の至宝』と、手放しで称賛されておられる」
「なんと! かの辺境伯閣下が! ガハハハ! 見直したぞガルファン!」
丸太のように太い腕を組みながら、満足そうにガルファンを見やるバルザックと、その対極のように、誇らしげに慈愛の目を向けるマリアーネ。褒められ慣れていないガルファンは、気恥ずかしそうにそっぽを向いて鼻をこすっていた。
その様子に、翔馬とレオナも思わず小さく微笑み合う。
「我が炎神の神殿は、貴殿らの滞在を心より歓迎する。バルザック、ガルヴィン。神殿の走力を挙げ、この方々の警備を厳とせよ」
「「ハッ! 命に代えましても!」」
神官長の威厳ある声に、総長バルザックと隊長ガルヴィンは、即座に胸を叩いて力強く応じる。
オルバは満足そうに頷き、レオナへと向き直った。
「レオナ殿。水と炎、対極の精霊を奉ずる神殿同士が手を取り合うことは、マナの安定と世界の調和に繋がる。どうか、我が神殿で見識を深められよ。……マリアーネ、レオナ殿の案内を頼む」
「承知いたしました。閣下」
「深きご配慮に、心より感謝いたします」
レオナは優雅に礼を取ると、オルバの視線は静か翔馬へと移った。
「……そして、エスティ殿」
「は、はい!」
「ラグロ辺境伯閣下の親書には、君の類まれなる算術と知略への深い信頼が綴られておる。貴殿がこのテノラーダで『学びたい』と願うその意思、真であるか?」
問われた翔馬は、息を呑んだ。
かつての自分であれば、威厳を放つ神官長の前で縮こまり、僕なんて……と目を伏せ、背を向け、逃げ出していたことだろう。
しかし、今の翔馬には、自分の手で剣を振るい、過酷なゴラン峠を越え、ここまでたどり着いたという実感が脈動している。何より、自分を信じて送り出してくれたリーデルの期待に、何としてでも応えたかった。
翔馬はレオナと視線を交わした。
レオナは「大丈夫です」と語らんばかりに、力強く微笑み頷いてくれた。
翔馬は、まっすぐに神官長オルバの目を見据え、はっきりと答える。
「はい。僕は、剣を振り回して世界を救えるような、強い人間ではありません」
オルバは、まっすぐな瞳を向ける青年の言葉に聞き入る。
「ですが……数字や仕掛けを使って、この街をもっと良くすることなら、僕にもできるかもしれません!」
飾り気のない、しかし強い意志の籠もった言葉。
それを見たバルザックが「ほう……」と感心したように口元を緩め、ガルファンも誇らしげにニヤリと笑った。
神官長オルバは深く、満足そうに頷いた。
「見事な気概である、エスティ殿。ならば、私からひとつ筋道を用意しよう」
オルバは、机の上の羊皮紙に素早くペンを走らせ始めた。
「このテノラーダを統治する領主、カルロ・フォン・シュタイン侯爵閣下。そして、この都市の実務を掌握する三会長――商業のヴィンセント、倉庫のボリス、物流のバートン。彼らへの正式な面通しと、各現場への立入許可状を、我が神殿の名において手配しよう」
「領主様と……三人の会長さんに……?」
「うむ。彼らは皆、海千山千の叩き上げばかりだ。だが、君に真の熱意と力があるならば、必ず道は拓けよう」
オルバは書き終えた書簡に神殿の封蝋を捺すと、翔馬に向かって温かく微笑みかけた。
「まずは明日、シュタイン侯爵閣下への拝謁と、三会長との引き合わせの場を設けるよう打診する。少し時間を要するやもしれんが、その間は、このテノラーダをじっくりと見て回るとよい」
「ありがとうございます、オルバ様!」
翔馬は深く頭を下げた。
まだ見ぬ巨大なシステムへの胸の高鳴りが、確かな炎となって広がっていく。
黒き都市テノラーダは、長かった旅の終着点であり、彼にとって、新たな始まりの場所に他ならなかったのだ。




