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聖女様が忙しそうなので、雑用係の私が国を回しておきました【連載版】  作者: 星渡リン
第3章 雑用係、地方へ行く

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第19話 中央のやり方、地方の現実

 王都でうまくいったものが、別の場所でもうまくいくとは限らない。


 そんなこと、頭では分かっていた。


 分かっていたつもりだった。


 でも本当は、少しだけ思っていたのだ。

 板があって、札があって、誰が何を持っているか見えるようにして、重いものと軽いものを分ければ、少なくとも呼吸くらいは整うのではないかと。


 その「少なくとも」は、西方では驚くほどあっさり崩れた。


     ◇


「ここへ置きます」


 私は大聖堂の実務室の壁際へ、即席の板代わりになりそうな大きめの木枠を立てた。


 本当は板そのものが欲しかった。

 でもそんな都合のいいものはない。だから空になっていた木箱の蓋を借りて、そこへ紙を留めることにした。見た目はだいぶ頼りない。けれど、何もないよりはずっといい。


 横には小さな札も並べる。


 正式命令。

 確認中。

 現場判断可。


 さらにその下へ、簡単な所在票をぶら下げた。


 受け取り。

 照会先。

 次の渡し先。


 王都で使っていたやり方を、そのままではなく少し削って持ち込んだ形だ。

 雨もある。人も足りない。書く手間は少ない方がいい。だから項目はできるだけ減らした。


「伝言票も作っておきます」

 私は机の端に紙片を寄せながら言った。

「誰が持っていったかだけでも分かれば、戻り先を追えます」

「追えたところで、来ないものは来ません」


 そう返したのはセレスだった。


 声そのものは低い。

 怒っているわけではない。

 でも、最初から期待していない人の声だった。


「そうですね」

 私は素直に頷いた。

「来ないものは来ません」

「では」

「来ないものと、来たのに止まっているものを分けたいんです」

「……」


 セレスは答えなかった。


 代わりに、私の手元と木枠を交互に見た。

 中央から来た小娘が、何か細かいことを始めた。

 そのくらいの見方だろう。


 エドガーは腕を組んだまま壁へ寄りかかっていた。


「王都では、そういうので回るのか」

「回る時もあります」

 私は答える。

「少なくとも、何がどこで止まってるかは前より見えました」

「ここは王都じゃない」

「そうでしょうね」

「街道はぬかるむ。領兵は一人ひと役では足りない。商人は保証がなければ動かない。村ごとに事情も違う」

「はい」

「それでも置くのか」

「置いてみます」


 言いながら、自分でも少し無茶だと思った。


 でも、やってみないと崩れ方が分からない。

 崩れ方が分かれば、どこを変えるべきか見えるかもしれない。


 実務室には、私の作った仮の置き場のほかに、もともとの文書の山がいくつも残っていた。全部を一度に移すのは無理だ。だから急ぎの束だけを先に拾って、所在が曖昧になりそうなものから並べる。


 村落の救援願い。

 薬草束の搬送照会。

 井戸浄化具の再配分要請。

 商人組合の保証条件追記。

 領主府からの再確認。


 フィリアはその様子を少し離れた場所から見ていた。


 彼女はいま、自分の名の入った命令だけを引き受けるのではなく、どこで線が引けるかを一緒に見ようとしている。その立ち方が、王都にいた頃より少し変わった。


 アルフレッドは扉の近くにいた。

 外から人が入ればすぐ止められる位置だ。

 でも目は私の手元にも向いている。


 たぶん彼も、これでうまくいくとはまだ思っていない。

 けれど、私がどこで躓くかは見ている。


     ◇


 最初に崩れたのは、所在票だった。


「これ、搬送中ではありません」

 神官補佐が紙束を持って言う。

「え?」

「途中の橋が落ちかけていて、荷車は宿場で止まっています」

「でも、ここには搬送中って」

「今朝の時点ではそうでした」

「今は」

「止まっています」

「……」


 私は所在票の端をつまんだまま固まった。


 王都なら、“搬送中”はだいたい搬送中のままだ。遅れることはあっても、行き先が突然泥へ沈んで消えることは少ない。


 でもここでは違う。


 雨ひとつで道が変わる。

 橋の状態ひとつで半日が消える。

 だから、“いまどこか”は、次の刻にはもう意味を失っていることがある。


「では、保留へ……」

「保留では困ります」

 今度は商人組合の男が割って入った。

「保留では、荷を預かっている責任がどこにあるのか曖昧になる」

「じゃあ」

「止まった理由が要る」

「理由」

「橋です。道です。護送がいないからです。金が未保証だからです。止まる理由が全部違うのに、同じ札へ押し込めるから揉めるんですよ」


 私は返しかけた言葉を飲み込んだ。


 たしかにそうだ。


 王都では“今すぐ”“今日中”“後日”くらいで流れが切れた。

 でも西方では、止まる理由そのものが違う。

 道の問題。

 人手の問題。

 保証の問題。

 命令の衝突。

 同じ“保留”でも、中身がまるで違う。


 次に崩れたのは担当票だった。


「これ、さっきの人へ戻して」

 私が伝言票を差し出すと、領兵の若者が困った顔で首を振った。

「さっきの人、もういません」

「え?」

「北門へ回されました。代わりに私です」

「でも受け取り欄」

「私はまだ受けてません」

「……」


 担当が固定されていない。


 王都では、雑用口、控室、倉庫、書記室。少なくとも一日の中で“その持ち場にいる人”は見えていた。

 でもここでは、同じ人が領兵であり、荷の護送でもあり、夜には見回りにも回る。

 固定担当なんて、最初から贅沢だったのだ。


「レティアさん」


 フィリアが小さく呼んだ。


 私は顔を上げる。


「どうしましょう」

 その声音は責めるものではない。

 ただ、いま何が起きているのかを一緒に見ている人の声だった。


「……一回、止めます」

 私は答えた。

「止める?」

「はい。いま置いたやつ、このままだと逆に混ざります」


 木枠の前へ戻って、私は自分で置いた札を見た。


 所在票。

 伝言票。

 受け取り先。

 渡し先。


 見えないよりはましなはずだった。

 でも、前提が違いすぎる。


 前提が揃っていない場所で、王都の置き方だけ持ち込んでも、紙が増えるだけだ。


     ◇


「王都では回るのでしょう」


 セレスが言ったのは、私が自分で札を外し始めた時だった。


 その口調は冷たかった。

 でも、勝ち誇っているわけではない。

 疲れていて、そのうえで「だから言ったのです」と確かめるような声だった。


「でも、ここは違います」

「はい」

 私は止まらずに札を外した。

「違いますね」

「人も足りない。道も違う。来るはずの荷は来ない。来た人も、次の刻には別の役に回される」

「はい」

「王都では見えるのでしょう。誰がどこにいて、どこへ渡せばいいのか」

「ある程度は」

「こちらは、その“ある程度”が最初からありません」


 エドガーがそこへ重ねる。


「領兵は足りない」

 彼は指を折るように言った。

「村を見に行く。荷を護る。夜を回る。橋を見に行く。全部同じ人数だ」

「……」

「商人は商人で、濡れた荷を抱えたまま待てば傷む。しかも保証が曖昧だ。村ごとに必要なものも違う。北は発熱、南は井戸、東は避難先の食糧、西は薬草の残量」

「はい」

「そこへ王都の“どこへ渡したか見える票”を持ってこられても、そもそも同じ人間が同じ場所に居続けない」


 私はようやく手を止めた。


 ぐうの音も出ない、とはこういう時のことを言うのだと思う。


 間違っていたわけではない。

 でも足りなかった。

 前提そのものが違うのに、形だけ持ってきてしまった。


 ここで言い訳をしたら終わりだ。


 王都ではこうだった。

 少し見えれば回りやすかった。

 だからまず形から置いてみた。


 それは事実だ。

 でも、西方には西方の事実がある。

 そしていま、その事実の方が机の上で勝っている。


 私は一度息を吐いた。


 少しだけ、悔しかった。

 でも、恥ずかしいとは思わなかった。


 通じないなら、通じない理由を知らないといけない。

 それだけだ。


「分かりました」


 私は外した札をまとめて机の端へ寄せた。


「じゃあ、その事情を全部ください」


 部屋が静まった。


 セレスがほんのわずかに目を開く。

 エドガーも、腕を組んだまま動かない。


「全部、とは」

 セレスが聞く。

「ここで“違う”って言われたもの全部です」

 私は答えた。

「距離。道。橋。担当の入れ替わり。領兵の数。商人がどこまで保証を必要とするか。村ごとの優先順位。雨で変わるもの。夜に変わるもの。固定されないもの」

「……」

「王都のやり方がそのまま通らないのは分かりました」

 私は正面からセレスを見た。

「だから、その通らない理由をください」


 セレスは、すぐには返事をしなかった。


 代わりにフィリアが、ほんの少しだけ口元をゆるめる。

 安心というより、静かな信頼に近い表情だった。


 エドガーが最初に息を吐いた。


「面白いな」

「面白いですか?」

「言い返してくると思った」

「通じていないものに言い返しても仕方ないので」

「中央の人間は、たいてい方法の方を守る」

「それだと困るの、こっちですし」

「そうだな」


 エドガーの返事に、初めて少しだけ熱が落ちた。


 セレスはまだ硬い顔のままだった。

 けれどその硬さは、さっきまでの“切るための硬さ”ではなく、“見極めるための硬さ”へ変わっていた。


     ◇


 それから私は、指示するのをやめた。


 聞く側へ回った。


「村ごとの距離を教えてください」

「雨天時で?」

 エドガーが聞く。

「晴天時も、雨天時も両方です」

「東村まで晴れなら半日、雨なら一日」

「橋は」

「途中の木橋がぬかるむと荷車が止まる」

「徒歩なら」

「歩けるが、背負える量が減る」


 私は紙へ書く。


 東村。

 晴れ半日。雨一日。

 橋弱い。荷車不安定。徒歩可、量減少。


「南側の井戸汚染の村は?」

「南二村です」

 今度はセレスが答える。

「片方は街道沿い。もう片方は途中から細道へ入ります」

「細道は荷車」

「難しい。担ぎなら通れる」

「危険箇所」

「崖下のぬかるみ。夜は避けたい」

「夜間通行不可」

「領兵二名以上は欲しい」

「理由」

「最近、荷を狙った盗みが出ています」


 私はまた書く。


 南一村。街道沿い。

 南二村。細道。担ぎ優先。

 夜間不可。盗難注意。領兵二。


「薬の残量は」

「村によって違う」

 今度は商人組合の男が口を挟んだ。

「薬草束をそのまま使える村と、煎じ役がいない村がある」

「煎じ役」

「神殿側に頼る村は、お湯を確保できる家が少ない」

「……」

「乾いたまま配っても意味が薄い場所があるってことだ」


 私はその言葉もそのまま拾った。


 必要物資は、物の名前だけでは足りない。

 使える形まで見ないと意味がない。


 フィリアが、静かに私の横へ来る。


「何を書いているのですか」

「条件です」

 私は答えた。

「条件」

「揃っていないものを、揃っていないまま書いてます」

「……なるほど」

 フィリアは紙を覗き込む。

「村の状態ではなく、“運べる条件”も書いているのですね」

「そこが違うと、同じ薬でも届き方が変わるので」

「王都では見えにくかったことですね」

「はい。王都だと、とりあえず届く前提がまだありました」


 フィリアはその言葉に、静かに頷いた。


「レティアさん」

「はい」

「通じないと分かったあと、すぐに聞けるのはすごいことだと思います」

「すごいというか」

 私は少し肩をすくめた。

「通じないのに押し切る方が怖いです」

「……それが、あなたの強さなのですね」


 その言葉が、やわらかく胸へ落ちた。


 たぶん、王都の時もそうだったのだ。

 私は最初から何でも知っていたわけではない。

 現場を見て、聞いて、合わせて、それでやっと形になった。


 西方は、その合わせ方がもっと難しいだけだ。


     ◇


 セレスも、少しずつ答え方を変え始めた。


 最初は短かった。


「そこは無理です」

「危険です」

「人が足りません」

「その村は明日では遅いです」


 でも、私が本当に反論ではなく情報を欲しがっていると分かると、言葉が長くなる。


「北村は発熱が多いですが、歩ける者もいます。だから薬が多少遅れても、まず担い手がいる。けれど西側の避難小屋は違う。病人が多く、動かせる者が少ない」

「西側避難小屋……」

 私は紙をめくる。

「収容人数は」

「今は三十七。寝かせているのは十四。子どもが九」

「一日あたりの薬草消費は」

「煎じ役が二人いるので、束で言うなら一日一束半。ただし熱が上がれば増えます」

「水は」

「井戸はある。でも汚れ気味です」

「……」

「だから浄化具も要る」


 エドガーも加わる。


「領兵は八しか出せない」

「八」

「そのうち二は門、二は市街、残り四を回す」

「村への護送に使えるのは」

「最大で二」

「毎日?」

「無理だ。馬が保たない」

「……」


 私はそれを書きながら、自分の中の“優先順位”の考え方が少し変わっていくのを感じた。


 王都では、急ぎかどうかで切れた。

 でもここでは、急ぎだけでは足りない。


 届くかどうか。

 運べるかどうか。

 夜に動けるか。

 誰が使える形にできるか。

 村が受け取って終わりではなく、その先で使えるか。


 整える、という言葉の意味が、王都の時とは少し変わっていく。


 整えるのは、全部を同じ形に揃えることじゃない。

 違う条件を、違うままで見えるようにすることでもある。


 その時、セレスが私の紙を覗き込んだ。


「それは何ですか」

「見取り図のつもりです」

「地図、ではなく」

「距離だけじゃ足りないので」

 私は紙の上を指で示す。

「道、橋、夜、護送、使える人、残量、消費量。揃っていない条件を、そのまま並べてます」

「……」

「王都の板は使えませんでした」

「ええ」

「でも、ここではたぶん、距離と遅れを前提にした別の板が要る」

「板」

「形はまだ分かりませんけど」


 セレスは何も言わなかった。


 でも、その沈黙は前みたいな拒絶ではなかった。


 少なくとも、“中央の小娘が勝手に机をいじっている”だけではなくなっている。


     ◇


 日が傾き始めた頃には、机の上の紙の種類が変わっていた。


 命令書。

 照会文。

 差し戻し。


 それに混じって、私の書いた紙が増えている。


 村名。

 距離。

 道の状態。

 夜間通行可否。

 必要物資。

 残量。

 避難可能人数。

 領兵同行可否。

 商人保証条件。


 見取り図というにはまだ雑だ。

 でも、少なくとも“何が違うか”は見えるようになってきた。


 私はそれを見て、小さく息を吐いた。


 最初からこうすればよかった、とは思わない。

 最初に失敗したから、いま何を聞くべきかが見えている。


 そういう失敗なら、恥ではない。


「レティア」


 エドガーが紙を見ながら言った。


「はい」

「お前、中央の人間にしては面倒なやり方を選ぶな」

「そうですか?」

「中央の人間は、たいてい“この形でやれ”と言う」

「それで通るなら楽なんですけど」

「通らないと分かったら?」

「じゃあ、通らない理由を聞きます」

「それを面倒と言っている」

「褒めてます?」

「少しは」

「ありがとうございます」


 エドガーはそこで、初めてちゃんと笑った。


 乾いてはいたけれど、さっきまでよりずっと人間らしい笑いだった。


 その直後、扉が勢いよく開いた。


 全員の視線がそちらへ向く。


 飛び込んできたのは、村からの使いらしい若い男だった。泥だらけで、息が切れていて、礼を取ろうとして途中で崩れる。走ってきたのだ。かなり無理をして。


「申し訳、ありません……!」


 セレスがすぐ前へ出る。


「どこの村です」

「西の避難小屋、です」

 男は肩で息をしながら言った。

「薬が……薬が尽きます」

「残量は昨日の時点で一日分のはずでしょう」

「熱が上がった人が増えました」

 男の声は掠れていた。

「今夜を越せない人が出ます」


 その一言で、部屋の空気が変わった。


 学び直しも。

 見取り図も。

 条件の聞き取りも。

 全部必要だ。


 でも現実は、その途中で待ってくれない。


 私は反射的に、さっき書いた紙へ手を伸ばした。


 西の避難小屋。

 収容三十七。

 寝かせ十四。

 子ども九。

 薬草一日一束半。

 井戸汚れ気味。

 護送二。

 夜間危険。


 まだ足りない。

 でも、さっきよりは見える。


 そしてたぶん、いま必要なのはこれだ。


 整ってから動くのではなく、

 整えながら間に合わせる。


 西方の夜は、もうこちらを待っていた。

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― 新着の感想 ―
仕分けは大切ですよね。 でもレティアさん、前世で過労は体験していたけれど、修羅場は未体験の様子。 まぁ、庶務さんからだと修羅場迎えたプロジェクトなんて、なんか大変そう位にしか見えないですよね。 とい…
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