暴動に向けて
五人と一羽が住む、王の邸宅。
居候であるミオの部屋に、にんにくはノックもそこそこに飛び込んだ。
ミオ「あ、にんにくさん。どうしたんですか?」
にんにく「……ヤバいことになった」
ミオ「ヤバいことですか?どんなことですか?」
ミオの反応は、まるで今日の献立を尋ねるかのように淡々としている。そのあまりの平熱ぶりに、にんにくは喉元まで出かかった焦燥を一度飲み込み、最も端的な事実だけを突きつけた。
にんにく「宗教問題の中心になった」
ミオ「……?なんですかそれ」
ミオは首を微かに傾げた。
その瞳には、困惑すら浮かんでいない。あまりにスケールの大きな単語の羅列が、ミオの日常というフィルターを素通りしていく。
にんにくを巡る嵐の激しさと、ミオの部屋に流れる静寂。二人の間の絶望的なまでの認識の乖離が、部屋の空気を奇妙に停滞させていた。
にんにく「……つまりな、俺今すごい危険」
ミオ「なるほど。なぜ危険なんですか?」
あまりに真っ直ぐで、迷いのない問い。にんにくは「それを今から話すんだろ」と言いかけて、自分のしでかしたことの根深さを思い出し、居心地が悪そうに耳をぺたんと垂らした。
アオリンゴ「その杖ガ原因ダろうナ 教徒共カらすれば大層ナ聖遺物ダしな」
アオリンゴの冷めた、しかし的確な指摘が部屋に響く。にんにくは、図星を突かれた衝撃に目を見開き、止まり木の上のオウムを仰ぎ見た。
にんにく「よく知ってんなお前」
驚きと、どこか気圧されたような声が漏れる。自分を巡る騒動を、この一羽は窓の外を眺めるような冷静さですべて把握しているようだった。
アオリンゴ「当前ダ コイツみたいな馬鹿トは違ウからナ」
アオリンゴは翼を広げて悠然と舞い降りると、ミオの頭に止まった。そのまま、自身の知性を誇示するように、ミオの頭を嘴でトントンと軽く突つく。
ミオ「そもそもシューキョーモンダイってなんなんですか?」
アオリンゴ「まず『宗教』ハ分カるか?」
ミオ「神さまのやつですよね」
アオリンゴ「じゃあ『問題』ハ分カるか?」
ミオ「わかります。クイズのやつですよね」
アオリンゴ「違ウ」
即座に、そして無慈悲にアオリンゴの拒絶が飛んだ。部屋に流れる沈黙は、にんにくが抱える危機の重さとは裏腹に、どこまでも抜けた脱力感に満ちていた。
ミオ「じゃあなんなんですか?」
純粋に知識を求めるミオの問いに、アオリンゴは羽をわずかに震わせて応じた。
アオリンゴ「変ナ事件ヲ意味スる方ノ『問題』ダ」
ミオ「……ということは、にんにくさんはその事件に巻き込まれたんですか?」
ミオのどこか他人事のような、平坦な確認。それに対し、アオリンゴは嘴を鋭く鳴らし、にんにくの核心を抉るような言葉を投げる。
アオリンゴ「巻キ込マれたというよリ、巻キ込マれにいったと言ッたところだろウ」
にんにく「……まぁそうだな」
にんにくは反論する気力もないのか、あるいは自覚があるのか、短く肯定して視線を逸らした。聖遺物を「傘袋」に入れて持ち歩くような無鉄砲さを、この一羽は見事に見抜いている。
アオリンゴ「デ、何ノ用ナんダ?」
ミオの頭に居座ったまま、アオリンゴは値踏みするような視線をにんにくへ向けた。
にんにく「ただの報告だ」
嵐の真っ只中にいる当事者とは思えない、気の抜けた返答。にんにくにとってこの部屋は、宗教戦争という巨大なうねりから一瞬だけ逃げ込める、唯一の「普通」が残る場所なのかもしれなかった。
ミオ「よく分かりませんが、手伝えることがあれば言ってください」
相変わらず事の重大さを理解している様子はない。けれど、ミオはごく自然に、隣人に手を貸すことを当然の義務であるかのように申し出た。その純粋すぎる言葉は、政治や教義にまみれた外の世界の喧騒を、一瞬だけ忘れさせるほどに澄んでいる。
にんにく「分かった、ありがとう」
にんにくは短く応じ、わずかに垂れていた耳を少しだけ持ち上げた。
具体的な助けを期待しているわけではない。だが、この「何も分かっていないミオ」からの真っ直ぐな言葉が、今のにんにくにとっては、どんな高名な枢機卿の加護よりも確かな重みを持っていた。
にんにくは床にゆっくりと腰をおろし、会議の時の冷静さを取り戻そうと、深呼吸をした。
ミオ「それで、私は何をすればいいのでしょうか?」
にんにく「……分からない」
アオリンゴ「保守派ドもと暴動ガ起コりそうだナ 鍛エておけばいいだろウ」
アオリンゴが事も無げに投げたその一言。ミオはそれを、主君からの絶対的な命令であるかのように即座に受け入れた。
ミオ「分かりました。では」
ミオは一切の迷いなく立ち上がると、まずはテーブルを部屋の隅へと無造作に片付け、その場で深く腰を沈めた。
ミオ「……一、……二、……三」
一定のリズム。淀みのない動作。淡々と数字を数えながら、ミオはひたすら膝を伸曲させ、その細い脚に「暴動」への備えを刻み込んでいく。
にんにく「なぁ、俺は何をすればいいか?」
アオリンゴ「お前ミたいな馬鹿ハ、コソコソと魔術ノ勉強デもしてロ そこの棚ニ『魔術基礎』の本ガ入ッてあル」
アオリンゴの視線は冷ややかだが、その指示には明確な意図があった。嵐の目である者が、無力なままではいられない。にんにくは鼻を鳴らしながらも、指示された棚へと這うように手を伸ばした。
にんにくはその本を持って、端の机へと向かった。
にんにく「なぁ、なんでこんな本あるんだよ」
にんにくはその分厚い本を抱え、部屋の端にある小ぶりな机へと向かった。机に本を置き、正座になったところで、ふとした疑問をアオリンゴに投げかける。
ミオ「アオリンゴ……三十四、さんが……三十五、勉強しろと……三十六、たくさんの……三十七、本を……三十八、くれました……三十九」
スクワットの上下運動に合わせて、言葉が断続的に紡がれる。
にんにく「前は真名文字やってたのに次は魔術か、忙しいな」
にんにくは苦笑し、表紙に『魔術基礎』と記された本を開こうとした。だが、指先をかけたところで、ふと自身のアイデンティティを思い出したかのように声を上げた。
にんにく「ていうか俺、腐っても魔法使いの端くれなんだよな 基礎なんて今更しなくても良さそうだけど」
アオリンゴ「馬鹿ガ お前ミたいな馬鹿ハいくら技術ガ高カろうとも知識ガなってないものダ」
にんにく「まぁそうか」
一切の慈悲もない断定。にんにくはぐうの音も出ず、鼻を鳴らして大人しくページをめくった。技術という「感覚」だけで生きてきたにんにくにとって、理屈という「知識」を叩き込まれる時間は、雨上がりでじめっぽい部屋よりも憂鬱なものになりそうだった。
にんにく「え〜、『魔とは悪魔のことである。魔法は、その悪魔が利用する力のことである。』……なんだこれ」
にんにくは眉間に深いシワを寄せ、紙面を指先でなぞった。
科学が発展し、万理が解明されつつある現代に生きるにんにくにとって、「悪魔」など絵本やゲームの中にしか存在しない架空の概念に過ぎない。
そんな非科学的な単語が、この百科事典のように重々しく、いかにも「正解」を記していそうな装丁の本に堂々と書かれていることに、言いようのない違和感を覚えた。
にんにくは一度本を閉じ、その革張りの表紙を見つめ直した。
もしこれが薄っぺらなオカルト雑誌なら一種の娯楽として流していただろう。だが、この逃げ場のないほど「堅苦しい」本が嘘をつくとも思えない。
超常的な現象が当たり前に存在するこの世界において、この古臭い定義こそが、隠しようのない「事実」なのかもしれない。
にんにくは、喉の奥に引っかかった鉄のような異物感を無理矢理に飲み込み、その「事実」を脳内に定着させた。
ミオ「……五十二、……五十三」
背後で響くミオの単調なカウントだけが、思考の迷宮に迷い込みそうになるにんにくを、かろうじて現実へと繋ぎ止めていた。
にんにく「……専門用語が書かれているところかここ ……『魔術とは魔素を利用する技術のこと。』『魔法とは魔素を物質・現象へと変化させること、またはその行為。』……どう違うんだこれ?」
にんにくは本を机に置いたまま、腕を組んで唸った。
似たような字が並んでいるだけで、言っていることは同じに見える。「利用する」のも「変化させる」のも、結局は魔法を使っていることに変わりはないはずだ。
だが、自身の乏しい知識の中から似たような響きの言葉を懸命に手繰り寄せた時、一つの回路が繋がった。
にんにく「あぁ、『魔術』は『剣術』とかと同じような類か じゃあ剣を振ってモノが切れる、そんなことを『魔法』って言うわけだ」
にんにくは膝を叩き、パズルが噛み合ったような快感を覚えた。
剣を振る技術が「術」であり、それによって物体が両断されるという結果が「法」。そう考えれば、自分が今まで「魔法使い」を自称しながら、その根底にある「術」をいかに適当に扱っていたかが浮き彫りになる。
にんにく(何となくで区別してたけど、その区別を言語化できると気分が良いな)
脳内の霧が晴れたような万能感に浸りながら、にんにくはさらに視線を下に走らせた。
にんにく「『魔導とは魔法で動くこと。』『魔力とは魔術の技量や出力のこと。』『魔素とは』……この辺はだいたい知ってるな 特に覚えなくてよさそうだ」
アオリンゴが、瞳を鋭く細め、逃がさないと言わんばかりににんにくを凝視している。
その威圧感に気圧され、にんにくの耳がしおしおと垂れ下がる。渋々ながらも、にんにくは再び活字の海へと顔を沈めた。
にんにく「『魔素とは魔法の素となる物質。質量はほとんどなく、その実態は謎に包まれている。』……は?」
にんにくの口から、乾いた声が漏れた。
科学の洗礼を受け、万理が解明される現代を生きるにんにくにとって、「実態は謎」などという記述は、百科事典に「奇跡」と書かれているのと同じくらい不誠実で、無責任なものに思えた。
にんにく(ていうかこの辺は本当にどうでもいいだろ 大事なのは実戦だ)
にんにくはページを飛ばして実技のページまで進めた。
そこには、無駄の少ない魔素の練り方や、魔力の鍛え方などが書かれていた。
にんにくはその鍛え方をじっくりと読んだ。
『【魔力の鍛え方】
・魔法を使用する
魔法を扱うと、自然と技術が磨かれていく。
長い時間を要するが、どんな人でも確実に魔力を鍛えられる方法。
・想像力を鍛える
魔素を練るには入念なイメージが必要。
まずはシンプルな球体などをイメージしてから、その明暗や質感、色や柄、温度などをイメージしていくと良い。
無意識下でもそれらがすぐに想像されるなら、次のステップへと進められる。
・様々なモノに触れる
先程の想像力の補助となるもの。
五感で体験したことはイメージしやすくなる。』
にんにく(面倒くさそうだなぁ……とりあえず魔法出しまくるか)
右手を上げて、使える魔法を頭の中で並べてみる。
『水』は濡れる。『火』は危ない。
『草』や『根っこ』、『機動魔土』は掃除が面倒だ。
『あっち向いてホイ』は、『活性』は体力が持たない。
他の魔法も、成功時にはっきりと違いが現れなかったり、どれも室内向きじゃない。
にんにく「……作るか」
そう考えた瞬間、右足に強烈な痺れがきた。
ずっと正座をしていたせいだ。
足の感覚が消えて、代わりに無数の針で刺されるような痛みが内側から湧いてくる。
少し動かしただけで、ビリビリとした刺激が全身に響いた。
にんにく(痛ぇな……。あ、電気属性にするか)
この、嫌でも意識を乗っ取ってくるビリビリした感じ。
これをそのまま指先から出すイメージなら、いけそうな気がした。
にんにくは顔を歪めたまま、右手の先に意識を集中させた。
にんにく「……電気!出てこい!」
だが、指先からは何も起きない。
パチッとも言わず、ただ虚しく空気を掻いただけだった。
やっぱり、そう簡単にはいかない。
足の痺れは相変わらずビリビリと主張しているが、それを体の外へ引き出すとなると、また別の話らしい。
魔法を新しく作るなんて、そんなに甘いものではないと、にんにくは、改めて突きつけられた気分だった。
アオリンゴが、止まり木の上で羽を小さく鳴らした。
アオリンゴ「やはり馬鹿ダナ 足ノ痺レは血流ノ悪化ダ それを元ニ電気ナど到底作レまイ」
嘲笑を隠そうともしない声。にんにくは眉間にシワを寄せ、面白くなさそうに口を尖らせた。
痛い思いをして、せっかく閃いたと思ったのに、出鼻を挫かれた形だ。
にんにく「じゃあどうすればいいんだよ」
にんにくは、まだジンジンと震える足を投げ出し、アオリンゴを睨み返した。
アオリンゴ「静電気デもイメージすればいいだろウ」
乾燥した寒い時期の空気。ドアノブに触れる直前の、あの嫌な緊張感。
指先から火花が飛んで、心臓が跳ねるあの一瞬の不快さ。
にんにくは、足の鈍い痺れを意識の端へ追いやり、右手を突き出し、意識を指先に凝縮する。
ドアノブに触れる瞬間の、あの嫌な火花。
金属の冷たさと、そこへ指を近づけていく瞬間のイメージ。
にんにく「電気!出てこい!」
パチリ、と乾燥した音がして、指先に鋭い衝撃が走った。
にんにく「痛っ…… あ――」
思わず指を引っ込める。
拍子抜けするほど呆気なく、人差し指の先で小さな光が爆ぜた。
魔法として成立した手応えが、指の腹に熱として残っている。
にんにく「よし、名前は『静電気』でいいだろ」
安直な命名を口にしながら、にんにくは面白くなって何度も右手を伸ばした。
パチッ、パチッ。
指先から火花が飛ぶたびに、空気がわずかに焦げたような匂いが鼻をくすぐる。
アオリンゴの理屈や、本の小難しい定義はどうでもよくなった。
今はただ、自分の指先から生まれるこの小さな衝撃が、たまらなく実戦的な手応えに感じられた。
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王都ハーヴェス。その街並みの中でも、一際目を引く巨大な意匠の扉を構えた邸宅がある。枢機卿カサブランカの私邸だ。
その重厚な扉の前に、漆黒の車が停まった。中から、雨上がりの湿った空気を切り裂くようにして、漆黒のスーツに身を包んだ三人が現れた。
黒服のリーダーが、一切の迷いなくインターホンに指を伸ばす。
数秒の静寂の後、スピーカーから溢れ出したのは、耳に心地よいほどに穏やかで、慈愛に満ちた声だった。
『どちら様でしょうか』
その声には、突然の訪問者に対する警戒心よりも、迷える者を迎え入れるような深い包容力が宿っていた。
「アサツキ王より、枢機卿の護衛を拝命した者でございます。」
リーダーの返答は、事務的で冷徹だ。余計な感情を挟まぬその物言いが、かえって事態の緊急性を物語っていた。
カサブランカ『護衛、ですか? ……私に?』
スピーカー越しでも分かるほど、カサブランカの声に微かな驚きが混じる。
「ええ。陛下より『見せたいものがある。すぐに出向いてほしい』との伝言を預かっております」
カサブランカ『あの王が、私に「見せたいもの」を……』
カサブランカは一度、その言葉を反芻するように繰り返した。
沈黙。だがそれは困惑によるものではない。アサツキが、単なる思い付きで枢機卿を呼び出すはずがないことを、カサブランカは即座に理解したのだ。
カサブランカ『……ふふっ。それは楽しみですね。陛下をお待たせするわけにはいきません。すぐに準備を整えますので、そこでお待ちいただけますか』
「承知いたしました。……外にてお待ちしております」
通信が切れる微かな電子音。
リーダーは、背後の二人に短く目配せをした。カサブランカの返答に一切の澱みがなかったのは、カサブランカもまた「嵐」が来ていることを察していた証だろう。
三人の黒服は、彫像のように動かず、大きな扉が開くその瞬間を静かに待った。
ガシャンッ、と。
静寂を切り裂くような重厚な金属音が響き、巨大な扉の封印が解かれた。
ゆっくりと開かれた隙間から姿を現したのは、これから凄惨な政争の場へ向かうとは思えないほど、軽やかな足取りのカサブランカだった。
その身に纏っているのは、どこか遠方へ遊びにでも行くかのような、洒落た意匠の私服。だが、一分の隙もなく整えられたその着こなしからは、枢機卿としての品位と、一国の王と対峙するための「礼節」が、静かな圧力となって立ち上っていた。
カサブランカ「……お待たせしてしまいましたね。すみません」
カサブランカは穏やかな微笑みを湛え、待機していた三人の黒服へ、友人に対するような気安さで声をかけた。
「いえ」
リーダーが短く応じる。その声は依然として硬かったが、カサブランカの放つ柔和な毒気のような空気に、周囲の緊張感はどこか奇妙な歪みを帯びていた。
カサブランカ「では、行きましょうか。陛下の『見せたいもの』に、遅れては失礼ですから」
カサブランカは一度だけ、自身が守り続けてきた巨大な扉を振り返ると、一切の未練を感じさせない動作で黒塗りの車へと歩き出した。




