泥臭い頑張り
動物園騒動の翌日、にんにくはニラの家を訪れていた。
『ぴんぽーん』
インターホンを鳴らし、ほどなくして、シトルイユが姿を現した。
シトルイユ「おはようございます。にんにく様、アオリンゴ様のご様子を見に?」
にんにく「そうそう」
シトルイユ「それでしたら、今はミオ様のお部屋にいらっしゃいますよ。お上がりになりますか?」
にんにく「そうしようか」
シトルイユ「では、ミオ様に入室の許可を頂いてまいります。少々、客室でお待ちいただけますか」
にんにくはシトルイユの後について、客室に入った。
シトルイユ「では、失礼します。」
シトルイユが部屋を辞す。階段を上り、廊下を歩く音がにんにくの耳に届く。
上階で二人が何かを話す声が聞こえたあと、階段を下りる足音が一つだけ響いた。
『コンコンコン』とノックのした後、ゆっくりと戸が開いた。シトルイユだ。
シトルイユ「恐れ入ります。ミオ様はただいま『勉強中』とのことでして。あと十三分で終わるとのことですので、もうしばらくお待ちいただけますか。」
にんにくは壁の時計を仰いだ。十三分。その妙に具体的な数字に首を傾げつつも、短く応じる。
にんにく「分かった」
シトルイユ「ありがとうございます。では、失礼します。」
シトルイユが部屋から出ると、にんにくは考え事をし始めた。
にんにく(ミオが勉強か 鍛えることしか頭にない脳筋かと思ってたが、意外とまともなところもあるもんだな…… 何を学んでるんだ? 筋肉のことか、あのオウムのことか、それともこの世界のことか? ……あー、面倒だ 考えるのやめよう)
にんにくは椅子に足を揃えて座った。カバンからスマホを取り出し、動画を眺め始めた。数秒から数分程度の動画が、指先一つで次々に流れていく。
にんにく(……釣りか、苦手なんだよな 次は酒か、弱いんだよな 漫画の広告……、いっつも思うけど、こんな内容ガキに見せていいもんじゃないだろ)
そうこうしているうちに十三分が経っていたようで、規則正しいノックの後にシトルイユが戸を開けた。
シトルイユ「ミオ様より入室のご許可をいただきました。」
にんにくはスマホを仕舞い、シトルイユの後に続いた。
部屋を出て右へ、さらに階段を上って右に折れる。二つ目の角を左に曲がった先、『ニラ』と書かれた部屋の左隣にある『みお』のネームプレートの前までやってきた。
シトルイユはいつもと変わらぬ手つきで、扉をノックした。
シトルイユ「お待たせいたしました。……ミオ様、にんにく様をご案内いたしましたよ」
中からは、消え入りそうなほど微かな声で「どうぞ」と聞こえた。
にんにくが部屋に入ると、そこには異様な光景があった。背の低いテーブルの上で本とノートを吟味するように眺めるアオリンゴと、魂が抜けたような表情でベッドに倒れ込んでいるミオが目に入った。
ミオは途切れ途切れに、力なく呟いた。
ミオ「…大、変、です。…勉強、してこなかった、ツケが、…回ってきた、よう、です…。」
にんにく「まぁそりゃ、自業自得だろうよ」
にんにくは、机上のノートと本を見て片眉を上げた。
にんにく「……お前、文字の勉強か …そうか、ここの文字使えないと不便だよな」
ミオ「いえ……。字は、前の世界と、変わらない、みたい、です……」
にんにく「じゃあお前、ただサボってただけじゃねぇか」
アオリンゴがにんにくに助けを求めるように話しかけた。
アオリンゴ「……なぁ犬、コイツは酷イゾ 仮名文字ヲなんとか理解シている程度ノレベルダ 真名文字ガもう絶望的ダ 最初ノ方ヲ見テみロ」
嘴でノートを指し示したので、にんにくはノートのページを遡り、冒頭のページまで戻した。
にんにく「『一』、『二』、『三』……、『亖』? これ、『四』じゃねぇの?」
棒が増えていく法則なら「四」は「亖」であるべきだ。理屈は通っている気がしつつも、にんにくは頭の中の違和感を拭いきれなかった。
アオリンゴ「その字自体ハ実在スるんだガ、まずは常用文字カら始メるべきだろウ?」
にんにくはさらにページをめくっていった。ノートを埋め尽くす字のほとんどは、鏡文字になっていたり、点の有無や棒の突き出しが滅茶苦茶だったりと、間違いを挙げればキリがない。
ふとノート全体を俯瞰して、にんにくはある欠落に気が付いた。
にんにく「なあ、ミオ 読みはどうした? どこにも書いてねえけど」
ミオは力なく天井を見つめたまま、蚊の鳴くような声で答えた。
ミオ「…読みは、できなくも、ないんです。……たぶん」
にんにく(ホントにできんのか?)
内心、不安を通り越して疑念すら湧いたが、これ以上は時間の無駄だと判断した。にんにくは呆れ果て、追及を諦めることにした。
にんにくが手持ち無沙汰に頭を掻いていると、アオリンゴが怒鳴るような勢いで尋ねてきた。
アオリンゴ「お前ハ真名文字ガ書ケるのカ!?」
にんにく「まぁ、人並みには」
アオリンゴ「なラ、そこの棚ニ入ッてある紙ヲ一枚出セ!」
にんにく「分かった」
にんにくは言われた通り、棚の中に収められていた紙の束から一枚を抜き取った。
見ると、文の中の空欄に漢字を埋めるだけのシンプルな問題が十、書かれてあった。
アオリンゴ「八問以上正解デ認メてやル」
何様のつもりだと、にんにくはその言い種に眉をひそめた。だが、ミオのような無様な姿を晒すわけにはいかない。本の上に置かれていたペンをひったくるように手に取ると、にんにくは虚勢を張るように淡々と問題を解き始めた。
にんにく(えっと…『質[ ]をする』…『問』だな ……『人を[ ]ねる』…どっちだ?…あぁ、『訪』か)
序盤は、簡単だと言わんばかりにスイスイとペンを走らせる。
にんにく(『意志を[ ]する』……『尊重』、次は『生物学の[| ]』……)
ここで一瞬、ペンが止まった。
にんにくは耳を小さく伏せ、記憶の引き出しを乱暴にかき回した。
にんにく(『か』は『家』でいいとして……『せん』に点は要ったか? 『もん』に口は要るか?……そういえば『せんもんかには手出し口出しするな』っあったな、んじゃ『専』と『門』か)
どうにか中盤を乗り切り、あと三つというところに差し掛かった。そこで、にんにくの思考を断絶させる難問が襲いかかった。
にんにく(『[ ]れ』…は?なんだそれ …さつき、さつき、サツキ、アサツ…違うアイツはどうでもいい ホントになんだこれ……)
にんにくは目を見開いたまま、額にじわりと冷や汗をかいた。耳の先が、不安を隠しきれずにぴくぴくと小刻みに震える。
アオリンゴ「遅イゾ」
にんにく「考えてんだよ」
にんにく(さつきってなんだ?さつき…分かんね 『ばれ』の方考えるか でもさつきが分かんねぇとばれも分かんねぇんだろうな …送り仮名に『れ』がある字探すか れ、れ、れ…群れ、…汚れ、…恐れ、…隠れ、…『晴れ』か)
ようやく一つの光が見え、にんにくの耳がパッと上を向いた。
にんにくは、迷いのない手つきでゆっくりと『晴』の字を書き入れた。
にんにく(八問書いたしこれで良いか)
にんにく「ほら終わったぞ」
にんにくは、書き終えた紙をアオリンゴの前に突き出した。
それを受け取ったアオリンゴは、姿勢を正すと、提出された解答を注意深く、舐めるように眺め始めた。
沈黙が部屋を支配する。
ベッドで伸びていたミオも、いつの間にか上体を少しだけ起こし、ぼーっとしながらもアオリンゴの嘴の動きを追っていた。
アオリンゴ「八問正解ダ ギリギリだぞお前」
アオリンゴは紙を放り出すようにして、にんにくを値踏みするような目で見据えた。
にんにく「合格したならいいだろ んな事より最後の『さつき晴れ』ってなんだよ」
にんにくは開き直ったように鼻を鳴らすと、納得のいかなかった空欄を指差して問い返した。
アオリンゴ「基本的ニは『五月晴れ』ダ 意味ハ五月雨ノ合間ノ晴レの事ダ」
アオリンゴは淡々と説明したが、それに対し、にんにくは眉をひそめている。
にんにく「全問正解させる気無いだろ」
アオリンゴ「たまたまダ」
アオリンゴは羽を整えるふりをして、事も無げに答えた。その食えない態度に、にんにくは呆れたように視線を巡らせ、手近な教材の出所を疑った。
にんにく「……そういえばこの本も紙もどうしたんだよ」
アオリンゴ「あの執事ニ頼ンダ」
アオリンゴは、まるで当たり前かのように言い放った。
にんにく「やっぱりか」
そんな時だった。『コンコンコン』と、迷いのない規則正しいノックが部屋に響いた。
「シトルイユでございます。おやつを持ってきました。お勉強には糖分が必要かと存じまして、すずらん様より、預かっております。」
扉越しに、いつもの落ち着いた声が聞こえた。
ミオ「どうぞ」
ぼーっとしていたミオが、食べ物の気配に反応して短く応じる。
すると間もなくして、扉が静かに開いた。シトルイユは、台車のようなものを丁寧に押しながら入ってきた。その上には、中身を隠すように大きな半円状の金属製カバーが鎮座している。
シトルイユ「お疲れ様でございます。」
シトルイユは恭しく一礼すると、本やノートから離れた位置へ、金属製カバーの乗った皿を静かに移した。
そのまま、そっとカバーを持ち上げると、閉じ込められていた白い冷気が、さらさらと机の上に溢れ出してきた。
にんにく(……なんだ?)
にんにくの鼻を、冷気に乗って運ばれてきた柔らかな牛乳の匂いがくすぐる。
それは、昨日フードコートで嗅いだ油の匂いとは対照的な、清潔で甘い香りだった。
冷気の霧が晴れると、白く輝く山の上に、鮮やかなミントの葉が添えられたバニラアイスが二つ現れた。
にんにく「おぉ! 美味そう! ……これ俺も食っていいのか?」
予想外の豪華な差し入れに、にんにくは目を輝かせてシトルイユを見上げた。
シトルイユ「はい。にんにく様の分も、すずらん様より仰せつかっております。」
シトルイユが恭しく一礼する。
にんにく「よっしゃあ!」
にんにくは耳をぴんと直立させると、皿に添えられていた銀色の冷たいスプーンを手に取った。そして、待ちきれないと言わんばかりに、たっぷりと掬い上げて勢い良く口に運んでいった。
にんにく「いやぁ美味いわこれ……!……んぁ?ミオ、お前手が止まってるぞ、食欲ないのか?」
にんにくはアイスの冷たさを噛みしめながら、隣のミオを横目で見て言った。ミオの動きがピタリと止まっていたからだ。
ミオ「いえ、あります」
にんにく「じゃあなんで食わないんだ?」
にんにくの耳が垂れ、片眉が上がった。
ミオ「もう食べました」
にんにくはミオの前の皿に視線を落とした。そこには、さっきまであったはずのアイスの影も形もない。
にんにく「……そうか、そりゃそうか」
「もう食べたのなら、スプーンを動かさないのも当然だ」とにんにくは自分の中で完結させた。にんにくは納得したように鼻を鳴らすと、自分のアイスの残りを再び掬い上げた。
にんにく「やっぱりこういうアイスは、ちょっと溶けかかった柔らかいのが良いんだよな……、……そういえばアオリンゴ、お前もおやつ食ってんのか?」
にんにくは口の中に広がる甘さに目を細めながら、少し離れた場所にいるオウムに視線を投げた。
アオリンゴ「ヒマワリの種ダ 油分ガ多クて美味イガ、三粒デ充分ダというのニ、五粒モ置キやがっテ……」
アオリンゴは嘴で器の端を小突き、贅沢すぎる供物に不満げな声を上げた。
にんにく「種なんてよ、余ったら植えればいいだろ ヒマワリなんだったら今良い時期だろ」
アオリンゴ「食事ヲ土ニ埋メるとハ、お前ヤっぱり馬鹿ダナ」
アオリンゴの言葉には、一片の迷いもなかった。「食べ物を粗末にするな」以前の、文明レベルの差を突きつけるような冷ややかな響き。
にんにく「……そうかよ」
にんにくはカッとなって身を乗り出したが、アオリンゴの言い分の「正論っぽさ」に言葉が詰まる。確かに、出された食べ物を土に埋めるのは、どこか筋が通っていない気もする。
怒りつつも、どこか納得させられてしまったにんにくは、再び床にどさりと腰を下ろした。やり場のないモヤモヤとした気分を噛み潰すように、再びスプーンを握りしめる。
にんにくは小さく鼻を鳴らすと、さらに溶けて柔らかくなったバニラアイスを、今度は乱暴に掬い取って口に放り込んだ。冷たさが頭に響き、モヤモヤとした熱が少しだけ引いていく。
にんにくは最後のアイスを乱暴に掬い取って飲み干すと、空になった皿を置いて改めてアオリンゴに尋ねた。
にんにく「……で、その種どうするんだ? 結局食わねぇのか」
未だに器の端に追いやられている、余分な二粒のヒマワリの種。にんにくは、それが気になって仕方がない様子で顎をしゃくった。
アオリンゴ「これハ朕ノおやつダ いつしか食ベるゾ」
アオリンゴは羽をバサリと整え、当然の権利だと言わんばかりに胸を張った。
にんにく「いつしかっていつだよ 今食わねぇなら片付けてもらえよな」
にんにくは、目の前に食べ物が放置されているのがどうにも落ち着かないらしい。だが、アオリンゴは嘴をカチリと鳴らして言い放った。
アオリンゴ「二週間ノ内ニは食ウ」
にんにく「二週間……?」
にんにくの脳裏にいくつもの疑問が浮かんだが、それらの言及をやめた。
にんにく「んじゃ、俺はお前らの様子見に来ただけだし、帰るわ」
にんにくはミオの部屋を飛び出して玄関へと向かい、家を出た。
にんにく(あぁ疲れた……文字なんて久しぶりに書いたわ……)
真上からの日差しを浴びながら、にんにくは重い足取りでとぼとぼと歩き出した。慣れない座学のせいで、肩のあたりが妙に凝っている。
すると、通り沿いの生垣から、突如として「ガサガサッ」と何かがうごめく不自然な音が聞こえた。
にんにく「……なんだ?」
にんにくは反射的に音が鳴った所まで走り寄り、鋭い視線を音のした方へ向けた。
立ち止まったにんにくの耳が、密生した草木と布が擦れ合うカサカサという音と、何者かの切迫した荒い息遣いを捉える。
生垣の隙間を割って、ひょっこりと小さな子供が這い出してきた。
「っ!」
子供は、目の前に立ちはだかるにんにくと目が合うなり、びくんと肩を大きく跳ね上げた。その瞳には、あからさまな恐怖が浮かんでいる。
「ごめんなさい……っ!」
子供は舌っ足らずに叫ぶと、弾かれたように走り去っていった。
にんにく「おいなんだよ!何もしてないのに逃げるなんてひでぇぞ!」
あらぬ疑いをかけられたようで、にんにくは居ても立ってもいられなくなった。持ち前の速さで子供の前に回り込むと、今度は圧迫感を与えないよう、ぐいっと目線を低くして構えた。
「ごめんなさい!ごめんなさい……」
子供の大きな目には、今にもこぼれそうな涙が浮かんでいる。その怯えきった様子に、にんにくはふっと毒気を抜かれた。何かを「やらかした」あとの反応だと、なんとなく察したのだ。
にんにく「何があったんだ?」
諭すような、少しだけトーンを落とした問いかけ。子供はおそるおそる目を開き、にんにくの顔を伺うように見上げた。
「……おこらない?」
にんにく「あぁ、怒らない そもそも、なんで怒る話になってるのかすら分からない」
「だってあの木のもちぬしなんじゃないの?」
にんにく「持ち主じゃないな」
「じゃあ……なんでおっかけてきたの……?」
にんにく「そりゃ、何もやってないのに逃げられたら嫌だよ ……そんなことより何があったんだ?だいぶキズだらけだぞ」
にんにくが怪訝そうに指摘すると、子供はハッとしたように自分の手足を見つめた。
「……ぐすっぐすっ……うわぁぁぁぁん!!!」
指摘された途端に痛みを思い出したのか、せき止めていた涙が一気に溢れ出した。静かな通りに、子供の泣き声が派手に響き渡る。
にんにく「ちょ、おいちょっと、おい泣くなってちょっとおい……」
にんにくは、慌てて周囲をキョロキョロと見渡した。
にんにく(活性……はダメだ、こいつ疲れるし 俺が怪我させたと思われるのも嫌だし、どうするべきか……)
冷や汗を流しながら周囲を仰ぎ見たにんにくの目に、一人の老人の姿が映った。
見覚えのある、あの独特の佇まい。ドクダミだ。
にんにく「おーい!ドクダミーッ!」
溺れる者が藁をも掴むような勢いで、にんにくは叫んだ。ドクダミはにんにくの声に気づくと、まるで時間の流れがそこだけ違うかのように、ゆっくりと、実にゆっくりと振り返って尋ねた。
ドクダミ「おや……。どうかしましたか?」
にんにく「この子が泣き止まないんだよ!助けてくれ」
必死な形相で助けを求めるにんにくの声を受け、ドクダミは「やれやれ」といった風にゆっくりと歩み寄ってきた。ドクダミは泣き叫ぶ子供の前にしゃがみ込むと、懐から一粒の大きなキャンディを取り出し、手品師のような手つきで差し出した。
「……っ、へへ」
さっきまでの激しい泣き声が、嘘のようにピタリと止まった。子供は涙で濡れた顔で小さく笑うと、差し出された甘い塊に夢中になった。
ドクダミは間髪入れず、手慣れた様子で腰のポーチから水を含ませた綿と絆創膏を取り出した。
ドクダミ「痛いのは、すぐに飛んでいきますよ……」
優しく声をかけながら、子供の傷を丁寧に拭い、次々と絆創膏を貼っていく。無駄のない動き、そして子供を一切怖がらせない柔らかな空気。
にんにく「……おぉ」
さっきまで冷や汗を流して狼狽えていたにんにくは、その鮮やかな手際の良さに、ただただ唖然として立ち尽くすしかなかった。
ドクダミの手当てが終わって、にんにくは子供に再び尋ねた。
にんにく「……で、何があったんだ?あんな木の中にいて」
子供はキャンディを転がしながら、少し俯いてぽつりと零した。
「……ウェルウィとコピアが、かばん、とってきて……あそこになげたの」
にんにく「……あ?」
低く短い声が漏れる。子供はビクリと肩をすくめた。
ドクダミ「あら……。あの二人が、そんなことをしたのですか?」
ドクダミは絆創膏のゴミを片付けながら、意外そうに、けれどどこか心当たりがあるような口調で呟いた。
にんにく「え、ソイツらのこと知ってんの?」
ドクダミ「ええ。私の店によく来てくださるのですよ。いつも元気な小さい子たちですが……」
ドクダミは困ったように眉を下げた。
にんにく「まったく、幼子って恐ろしいわ」
にんにくは吐き捨てるように呟き、天を仰いだ。
悪意の自覚すらなく、笑顔で店に通う足で、そのまま誰かを絶望の淵に追いやる。その底の知れなさが、文字書きで疲弊した頭に重くのしかかった。
にんにくは一度、深いため息をついて毒気を抜くと、子供を励ますように視線を落とした。
にんにく「そのカバンを探すために木の中にいたんだな ……探すの手伝うぞ」
「……ほんと?」
にんにく「ホントホント とりあえずさっきのところら辺なんだろ?戻るぞ ……あ、ドクダミ、引き留めてごめん 後は任せてくれ」
ドクダミ「そうですか。ではそうしましょうかね。」
ドクダミはにんにく達に小さく礼をしてから、ゆっくり歩いていった。
嵐のような泣き声を止めていった老人の背中を見送り、にんにくは改めて子供と共に生垣の前までやって来た。
にんにくは鼻をひくつかせ、子供の衣服に染み付いた家庭の匂いと同じものが、この藪のどこかに残っていないか神経を集中させる。
にんにく「…………」
だが、すぐににんにくは耳を力なく垂らし、眉間にしわを寄せた。
にんにく(青臭くて分かんねぇ……)
遮るもののない真上からの日差しに熱せられ、植物特有のむせ返るような匂いが濃密に立ち込めている。鋭い嗅覚を持つ者にとって、それは目当ての匂いを覆い隠す分厚いカーテンのようだった。
にんにく(探すとは言ったけど、俺が入ったらただの不審者だしな……)
にんにくは、腰の杖を手に取り、その先を生垣に向けた。
「あれ……?」
子供がおそるおそる、にんにくの持つ杖の先を見つめる。
にんにく(仕方ない、機動魔土出てこい)
杖の先からさらさらと土が溢れ出し、地面で渦を巻く。
それが一気に四つ足の機動魔土、犬型へと姿を変えた。
犬型は、一度身震いして土の粉を払うと、生垣の根元に鼻を近づけ、そのまま弾かれたように生垣の中へ突っ込んでいった。
ガサガサと激しく草木をかき分け、土の足が枯れ葉を踏みしめる音が奥へと遠ざかっていく。
にんにくは、その音を追うように狼耳をぴんと立て、集中した。
杖を回して腰に差すと、隣で不安そうに立ち尽くす子供の目線まで腰を落とす。
にんにく「あの犬なら、カバン見つけられるだろうよ」
にんにくは、子供の様子を伺うように、片方の耳をわずかに横へ寝かせた。
だが、子供は少し脚を震わせ、生垣の奥から響く枝折れの音に肩を強張らせている。
「ねぇ、ほんとに見つかるの?」
小さな声で呟くように尋ねた。
にんにく「いや、分かんない だって初めての試しだもん」
「ためしって?」
にんにく「……とりあえず、見つかるか分からないんだよ」
「……」
子供の視線が地面に落ち、小さな肩がさらに縮こまる。
にんにくは、かける言葉が見つからず、ただ、生垣の奥で奮闘しているはずの犬型に祈るしかなかった。
しばらくして、ガサガサと草木を分ける音が近づき、犬型が生垣から這い出してきた。
だが、その周りには数匹の蜂が、警告するように羽音を鳴らしながら犬型の体表を激しく飛び回っていた。
「ハチ!」
子供が短い悲鳴を上げ、にんにくの背後に隠れるようにして身を引く。
怖がる子供の気配を背中に感じながら、にんにくは騒ぎ立てることなく、静かに、そして冷静に言った。
にんにく「あれはミツバチだ こっちから何かすると危ないけど、何もしなけりゃ襲ってこない」
にんにくは、羽音に刺激されないようゆっくりと手を下ろし、犬型の動きを注視した。
犬型は蜂を鼻先に乗せたり、自分の周りを飛ばせたりして一緒に遊んでおり、にんにくは頭を抱えた。
にんにく「カバン探ししてくれよ……」
にんにくは思わず頭を抱え、情けない声を漏らした。
主人の切実な呟きが届いたのか、それとも遊びに飽きたのか、犬型はピタリと動きを止めると、蜂を振り払うように一度だけ身震いした。そのまま、迷いのない足取りで再び生垣の中へと消え、間を置かずに戻ってきた。
「あ! かばん!」
子供が弾かれたように声を上げ、身を乗り出す。
犬型の首には、泥にまみれた小さなカバンが、誇らしげに掛けられていた。
「へへ、ありがとう!」
子供は泥だらけの犬型の首から、宝物のようにカバンを受け取った。その様子を見届けると、にんにくは杖を軽く振って犬型をさらさらと杖の中に吸い込ませた。
にんにく「見つかってよかったな」
「うん!」
カバンを胸に抱きしめ、子供が満面の笑みで頷く。その屈託のない表情に、にんにくは少しだけ面食らったように瞬きをした。
にんにく「……そろそろ俺は帰るわ 一人で大丈夫か?」
「大丈夫!」
元気な返事が返ってくる。
にんにく「そうか、じゃあ気ぃ付けろよ!」
にんにくは耳を小さく揺らし、ひらひらと手を振りながら地を蹴った。狼族らしいしなやかな脚取りで駆け出し、あっという間に子供の視界から消え去っていく。
にんにく「チッ……、本来なら主人の俺に感謝すべきだろうよ……」
だが、そう毒づきながらも、にんにくの口元には隠しきれない満足げな色が浮かんでいた。




