表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/10

きみこいカフェで待っている

 職員室の前で、一花は立ちすくんでいた。

「佐々木!昼休み、職員室に来るように」

 廊下に響いた担任の声に、小さくうなずく。

 ドアの前で、もう一度だけ息を整えた。


 ーー昨日の夜。

 泣いた。

 泣いて。

 泣き疲れて。

 気づけば朝になっていた。

 祖母は少し離れたところから、その様子を静かに見ていた。

 声をかけるタイミングを探すために、黙ったまま。

「いろんなこと、考えてたんだねぇ」

 その言葉に、一花は首を振った。

 否定じゃなかった。

 ただ、うまく言葉にならなかった。

「ずっと……」

 息がうまく続かない。

「行きたかった」

 祖母は少し黙る。

 それから、小さくうなずいた。

「悩んだんだねぇ」

 一花は何も言わなかった。

「あったかいお茶、入れようか」

 祖母は、いつもみたいに笑った。


 一花はゆっくりと顔を上げ、職員室の中へ入った。

 担任は書類を見ながら、何かを書き込んでいる。

「先生」

 顔を上げた担任と目が合う。

「決まりました」

 一花は小さく息を吸った。

「私ーー」

 握った指に力が入る。

「秋田で頑張ります」

 言葉にした瞬間、胸の奥が静かに揺れた。

 それでも、不思議と前を向ける気がした。



 卒業式の日はどこか胸の中が落ち着かなかった。

 式が終わっても、誰もすぐには帰ろうとしない。

 校庭には、制服のまま立ち止まる人たちが溢れていた。

「一花、夏休みは戻ってくるから、いっぱい遊ぼうね」

「仙台にも遊びに行くから。そんなに遠くないし」

「悠斗が東京行ったら、みんなで行こうよ」

 途切れない会話。

 別れの日なのに、みんな未来の話ばかりしてた。

「引っ越す前にカラオケ行こう」

「写真撮ろう」

「絶対集まろうね」

 次つぎに言葉が重なる。

 止まったら、本当に終わってしまいそうだった。

「おーい、暗くなる前に帰るんだぞー」

 遠くから担任の声が飛んでくる。

「まだお昼だし!」

 誰かが返して、校庭に笑いが広がった。

「離れるけど離れないし」

 涙目のまま、美咲が言う。

「何それ」

 一花は思わず吹き出した。

 すると美咲の目に、また涙が浮かぶ。

「だから、もう泣かないでよ」

 そう言ったのに。

 自分の声も、ちゃんとしていなかった。

 空は春なのに、風がまだ冷たい。

 きっとみんな分かってた。

 今日が終わったら、もう同じ毎日には戻れない。



 卒業式の日はあんなに泣いたのに、春は止まってくれなかった。

 引っ越しの準備。

 新生活の買い出し。

 入学説明会。

 みんな、それぞれの場所へ向かうために忙しくなっていく。

「また集まろうね」

 そう言ったまま、結局ちゃんと会えないまま離れていった。

 メッセージの通知も少しずつ減っていく。

 クラスのグループも、気付けば静かになっていた。


 冬季休業が終わり、きみこいカフェもまた店を開ける。

 朝、店を開ける。

 テーブルを拭く。

 食材を確認する。

 以前より、一花が任される仕事も増えていた。

 注文を聞いて。

 飲み物を運んで。

 閉店準備をする。

「美味しいですね」

「これ、珍しい」

 そんな声を聞くたび、ちゃんとここで生きている気がした。

 観光客が写真を撮り、祖母がその横で楽しそうに話している。

 外が少し暗くなる頃、カフェも閉店の時間になっていた。

「お疲れ様」

 祖母がお茶を淹れてくれる。

 透明なグラスの中で、抹茶の緑が静かに揺れていた。

「……綺麗な緑」

 一花はぽつりとつぶやく。

 祖母は湯気の向こうで、優しくうなずいた。

 もう前みたいに、何度もスマホを見ることはなくなった。

 通知を待って。

 来なくて落ち込んで。

 あの頃みたいには。

 窓の外を見る。

 春の風が、静かに木を揺らしていた。

 みんな前へ進んでいく。

 自分も前へ進んでいるはずなのに。

 時々、自分だけが同じ場所にいる気がした。

 それでも。

 一花がここにいる。

 あの夏の日の「待ってる」。

 その言葉だけが、まだ心のどこかに残っていた。



 髪をきゅっと後ろで束ねる。

 ずっと短かった髪が、いつの間にか肩を超えていた。

 朝、カフェを開ける。

 気づけば今日も閉店の時間になっている。

 最後のお客さんが帰り、店の中が静かになった。

「一花、戸締まりお願いねぇ」

 奥から祖母の声がする。

「はーい」

 返事をしながら、テーブルを拭く。

 椅子を戻して、照明を少し落とした。

 その時だった。

 カラン。

 ドアが、ゆっくり開く音がした。

 閉め忘れたのかと思い、一花は反射的に顔を上げる。

 扉の向こうに、人影が立っていた。

「いらっしゃいまーー」

 最後まで言えなかった。

 ただ。

 目の前を見ていた。

「……ただいま」

 少し低くなった声。

 黒いフレームの奥で、彼が少しだけ笑う。

「……待った?」

 その一言で、一花の視界が滲んだ。

「……待った」

 一花は泣きながら笑った。

「ずっと待ってたんだからね……」

「……うん」

 少し間が空く。

「ただいま」

 今度は、さっきよりずっと近くで聞こえた。

 一花は涙を拭く。

「……おかえり」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ