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現世転生した俺に、いまだ異世界がつきまとう  作者: titor


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第6話:錆びた銅貨と、白の培養槽

 六畳一間のボロアパート。ここが、かつて世界を救った勇者の現在の城だ。壁は薄く、隣の部屋のテレビの音が漏れてくる。机の上にはコンビニ弁当の空き容器と、数冊の魔道書(に見せかけた大学の参考書)。そして、部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上には、一枚の硬貨が鎮座していた。


 三日前の夕暮れ。サティアの背後から迫る追跡者を撃退した際に使用した、十円玉だ。平等院鳳凰堂の刻印の上には、あの時付着した「紫色のシミ」が、乾いた血のようにこびりついている。


 俺は部屋の明かりを消し、遮光カーテンを閉め切った。暗闇の中で、俺の指先に灯る微かな魔力のマナ・ライトだけが、その硬貨を照らし出す。


「さて……解剖バラさせてもらおうか」


 俺はピンセットでシミの一部を削り取り、シャーレ――代わりの醤油皿――に乗せた。解析魔法「物質の記憶マテリアル・レコード」を発動する。


 ブゥン……。低い耳鳴りと共に、醤油皿の上で紫色の粉末が発光し、ホログラムのような煙を立ち上らせた。鼻を突くのは、腐った卵のような硫黄臭と、ガソリンスタンドのような揮発性の臭い。


(……やはり、ただの魔術媒体じゃない)


 俺は眉をひそめる。異世界の魔獣の体液に、こちらの世界の化学薬品――それも、重金属を含む廃液のような成分が混合されている。「融合ハイブリッド」などという生易しいものではない。これは「接ぎ木」だ。魔力という神秘を、科学という釘で無理やり固定している。


 煙の中で、断片的な映像ヴィジョンが結ばれる。このシミの「持ち主」が見ていた光景だ。


 ――真っ白な部屋。

 ――視界を埋め尽くす、無機質なタイルと蛍光灯。

――並べられた巨大なガラスの水槽タンク


 俺の背筋が凍った。水槽の中に浮いているのは、人ではない。不定形の肉塊だ。だが、その中心には、人工的に培養されたと思われる「魔力回路の種」が埋め込まれている。そして、水槽の横に立つ白衣の男たちが、カルテを見ながら談笑している。


『検体コード・ベータ、崩壊率40%』

『やはり、オリジナルの「聖女因子」がないと安定しないか』

『早く確保しろ。あの器(水島凛)を連れてきて、中身を抽出ドレインすれば、我々は真の「白」になれる』


 プツン。映像が途切れた。俺は強く拳を握りしめ、ちゃぶ台を叩いた。軽い音が、狭い部屋に虚しく響く。


「……ふざけた連中だ」


 『アクロマ(無色階級)』。奴らの目的は、凛そのものではない。彼女の魂に刻まれた「聖女の力」だけを化学的に抽出し、自分たちの実験――人工的な魔法使いの量産か、不老不死か――に利用することだ。  その過程で、「水島凛」という人格がどうなろうと知ったことではない、というわけだ。あの潔癖な白衣の下には、どす黒い欲望が渦巻いている。


 その時。醤油皿の上のシミが、ジジジ……と音を立てて明滅し始めた。


(……逆探知か?)


 俺は目を細める。このシミは、まだ生きている。ホストコンピューターである『アクロマ』の研究所と繋がり、こちらの解析行為を感知して、位置情報を送ろうとしているのだ。PCで言えば、ウイルスを踏んだ状態に近い。普通なら、ここで接続を切って証拠を破棄するのがセオリーだ。


 だが、俺は黒子だ。やられっぱなしで幕を下ろすつもりはない。


「……いいだろう。其方そちらが覗くというなら、眼球ごと焼いてやる」


 俺は十円玉を再び手に取った。魔力回路を逆流させる。受信ダウンロードではない。過剰な魔力情報の送信アップロードだ。俺の中に眠る、かつての勇者アノレスとしての膨大な魔力。そのほんの一端、氷山の一角ほどのプレッシャーを、この細い回線に無理やりねじ込む。


 イメージするのは、泥。彼らが忌み嫌う、黒くて重い、底なしの沼。それを、彼らの真っ白な研究室へ、配線を通じて溢れさせる。


「(……届け。これは警告だ)」


 俺は短く詠唱し、指先から魔力を解き放った。


 バヂヂヂッ!!十円玉が激しく発熱し、紫色のシミが瞬時に蒸発する。その瞬間、東京のどこかにあるはずの地下研究所で、メインサーバーがショートし、モニターが次々と爆発する光景を幻視した。白衣の研究員たちが、突然噴き出した黒い煙と、原因不明のシステムダウンに狼狽うろたえ、逃げ惑う姿が目に浮かぶ。


 キンッ。十円玉が冷え、静寂が戻った。もはやシミはない。ただの、少し古びた十円玉に戻っていた。  これで奴らのデータ収集は数週間遅れるだろう。そして、「手出しをするな」というメッセージは伝わったはずだ。


 俺は深く息を吐き、椅子の背もたれに体を預けた。どっと疲れが出る。たった一枚の硬貨を通じた攻防だが、精神的な消耗は剣を振るう以上だ。


 ふと、部屋の隅にある傘立てに目をやる。そこは空っぽだ。昨日、コインランドリーで凛に押し付けたビニール傘が入っていた場所。彼女は今頃、あの傘を差して帰宅しただろうか。それとも、律儀に捨てられずに困っているだろうか。


「……守るさ。何度でも」


 あの無機質な水槽の中に、彼女を入れさせはしない。彼女がいるべき場所は、パステルカラーの服が回るコインランドリーであり、友人と笑い合うキャンパスであり、平和な日常の中だ。


 俺は十円玉を財布に戻した。これはもう証拠品ではない。ただの金だ。明日の昼飯、学食のうどんの足しにでもしよう。


 黒子は、証拠を残さない。ただ、敵の心胆を寒からしめ、何食わぬ顔で日常へ戻るだけだ。俺は電気をつけ、冷めたコンビニ弁当の蓋を開けた。戦いはまだ、始まったばかりだ。

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