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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第一章 出国からラサまで
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公道に向かう


 すると尊者は「もうラサへ行くのはよしなさい。このまま行っても殺されるより道はない」と意味ありげに言い「衆生済度が信実ならばネパールに帰りなさい」と加えた。

 慧海(えかい)は驚いて、「ただラサに行けばいいものではなく、ただ誠実に、そこへ行こうとすることで目的が達せられると大日経にある」と言い、山道を通ってラサに行くと告げた。

 尊者は「私は先を見抜いてこのまま進めば死ぬと言っているのです」と脅すので、慧海は「生きるも死ぬも、ただ誠実な方法をとるのみです」と答えた。尊者は少しうつむくと、話題を変えてチベット密教について語り、夕暮れになった。


 白巌窟の尊者は慧海への疑念が晴れたようで、「あなたは信実に仏教を求める人だ」と喜び、チベット銀貨20タンガーと茶一塊、麦焦がし粉の袋とチベット銅鍋など旅の品物を与えてくれた。日本円にして15円ほどを一度にくれたのである。

 「これほど頂いては持って行けないので減らしてほしい」と慧海が言うと、尊者は「これからの道は私の弟子ばかりで、この袋を見せれば必ず荷物を運んでくれるので心配しなくてよい」と言う。明日はマニの法力を授けてくれるという。

 尊者は山道に弟子が多いと話していたが、疑いを抱く弟子がいるかもしれない。慧海は、ここは公道を取るべきだと決めた。


 翌日の昼に出発したが、荷物がずいぶん重い。

 公道を目指して北へ進むとテントがあり、遊牧民ふうの人が恭しく慧海を迎えた。

 慧海を知る人などいないはずだ。不思議に思って中に入ると、テントのラマがいて、慧海のことを取り次いでくれていたらしい。遊牧民の望み通り、三帰五戒を授けてやった。


 荷馬2匹と案内人に送られてテントを立ち、ンガル・ツァンギチュ川沿いに東へ向かった。10キロほど進み、川沿いのテントに泊まった。公道に出る道を聞くと、またブラマプトラ川を渡らなければならないという。

 翌日はポーターを頼んで沼の原を進み、川を渡ると迷ったヤクをつなぎ止めておく貧しいテントがあった。老婆と娘が暮らしており、そこに泊めてもらった。翌日は繕い物をして10月16日にまた沼の原を進んだ。

 途中でナーウ・ツァンボ川に着いた。川は北の高原に流れ、ブラマプトラに合流する大河である。慧海は砂泥に足を取られながらもなんとか向こう岸に渡った。

 少し行くと大きなテントがあり、泊めてもらった。道を聞くと、ここから8キロほど行けば公道に出るという。

 少し北に向かえばトクスン・ターサム駅があり、その後は4、5日ごとに駅がある。慧海は遠回りになるので駅には向かわず公道を目指した。

 そして19日、沼地で大きな困難にぶつかった。


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