月下の坐禅
慧海が川沿いに8キロほど下ると山を抜け、広原に出た。磁石を確かめると、西北に行くには下ってきた川をまた渡らなくてはならないことが分かった。だが、それはどうしても嫌だ。
迷っていると、向こうから巡礼の僧侶が渡ってきた。彼は強盗の国カムからゲロン・リンボチェに会いに来たそうだ。
慧海が「カイラス山に行くのだがどう行けば良いか」と聞くと「向こうに2日ほど行くとテントがあるので尋ねるがいい」とのこと。
そこで慧海はカムの僧侶に少し頼みがあると言って、乾桃をたくさん分けた。荷物が重くてたまらなかったからだ。驚き喜ぶ僧侶に「この荷物を向こう岸まで渡してくれないか」と頼むと、彼は平気な顔で荷物を持って向こう岸に渡してくれた。
慧海は教えられた通り、荷物を背負ってテントがあるという方向に進むが一向にたどり着かなかった。背中は荷物ですりむけて痛い。動悸に息切れ、吐き気まで催してきた。
たまらず慧海が気付け薬を飲むと、どっと血を吐いた。おそらく空気の薄いところばかりを歩いていたからだろう。これは無理に進めば死んでしまう。慧海はヤクの糞を拾う元気もなく、その場で深い眠りに落ちた。
ふと顔を打つものに気付いて目覚めると、大きな霰がバラバラと降ってきた。起き上がろうとするが体が悲鳴を上げる。しばらくすると呼吸は楽になったが、背中と足の傷が痛い。荷物のせいで体全体が痛い。
もう一晩休んでいこうと決め、慧海は布団状の夜着を頭からかぶって、毛皮の敷物をしいて、座禅することにした。
次第に月が雪の原野を照らし、神仙が現れるかのような風景となった。体が苦しくなければどれほどすばらしいかと慧海は思った。
座禅に入るうちに大燈国師の歌「坐禅せば四条五条の橋の上 ゆききの人を深山木にして」が浮かび、「坐禅せば高野ヶ原の草の上 ゆききの人も深山木もなし」と詠んだ。
そうするうちに「苦しめる我もなき身のゆきの原 法の光に解くる心は」とまた歌が出て、寒さの苦しみも感じずに夜明けまで座り続けた。
翌日、慧海は干しぶどうを食べ、北東の方に向って出掛けた。身体も大分よくなり、朝のうちに16キロほど進み、沢を見つけて麦焦し粉を食べた。
川を渡り、丘を越えると白と黒のテントが見えた。黒はいいが、白は異様だった。テントの布はヤクの毛を糸にして織るので、大抵黒い。白い毛を集めて布を織るのは大変なことであり、かなり珍しい物だった。
ともあれ慧海は「これで今晩は宿に泊まれる」とテントの集落に進んだ。
最初のテントで犬をいなしていたところ、一番大きなテントから、チベットではまれな美人が顔を出して、慧海をうかがった。




