龍樹菩薩坐禅の巌窟
慧海がしたためた上書のネパール語への翻訳はブッダ・バッザラ師に頼み、それを2月15日に大臣に届けてもらった。するとその夜、師が「実に今日は愉快であった」と、宮殿でのいきさつを話してくれた。
大臣に上書を差し上げたところ「このチベット語の文章は誰が作ったのか」と聞かれたらしい。師が慧海であると言うと、大臣は「これほどの長文をこんなに立派に書くことができるのか」と驚き、読み終えて「愉快だ、実に愉快だ」と三度大呼し「これならば法王も、よもやその臣民を罰することはできないだろう」と語った。
「この論法は、チベット法王の胸に弾丸を放って貫くかのように鋭い。一切智者である法王が日本の僧に会っておきながら、後で日本人だということが分かったからといって他の関係者を罰することはできないわけだ。実によい所から、柔かにうまく撃った。感心な僧侶である。大いに満足した」とたたえたそうだ。
慧海はこうしてネパールで最大の知己を得たのもまた、仏陀の加護のおかげだと感謝した。
翌3月10日頃まで慧海は特に用事もなかったので、許可を得て龍樹ケ岳を登拝することにした。この山は龍樹菩薩の修行地であり、釈尊が因位の説法をした場所である。頂上には小さな卒塔婆が立ててある。少し下には龍樹菩薩が坐禅した洞窟があり、この場で大乗仏教の妙理を見つめたという。龍樹菩薩が竜宮で大般若経を得て来たと伝わる穴は岩でふたがしてあった。ここは12年に一度しか開かないそうだ。
慧海は龍樹ケ岳から戻ると、歌を作るのを仕事にして3月10日頃まで過ごした。