大王殿下の詰問
慧海は2月9日に総理大臣に会うことになり、ブッダ・バッザラ師と共に大臣の屋敷を訪ねた。門の片脇には兵士が番をしていて、門から砥石のような段々の道を200メートルほど進む。左手には兵営、右には競馬場があった。
慧海たちは応接室に通された。椅子3脚とネパール製の白布の長方形の厚い敷物があり、欧州風の黒檀の茶棚の上にはネパールの女神の置物があり、柱には大獅子の面が掛けられている。
壁には大きな掛時計、両脇に鹿の面が掛けられ、窓から南を見ると月ノ峰、龍樹ケ岳がそびえていた。
宮殿の接客室には将校たちがたくさん居て、外務大書記官が慧海に尋ねてきた。
「あなたはネパールに来て20日間、何をしていたのだ」
「坐禅観法をし、和歌を作っていました」
「あなたは日本で何の爵位があるか」
「何もありません」
「隠すことはない。あなたが高等官吏であり、勲何等なのかは想像できる」
「私は仏教僧侶です」
「それでは何のためにチベットに入ったのか」
「ただチベット仏教を研究するためです」
「どの道を通ったのか」
「マナサルワ湖の辺です」と慧海が答えると、「そのマナサルワ湖に出るまではどう行ったのか」と猫の鼠を追うかのように厳しく問い詰つめてきた。
慧海は落ち着き払って「詳しいことは大王殿下に話した後でなければ申せません。他に害が及ぶことを恐れるからです」と答えた。どうも例のうわさが政府まで届いていたのだろう。
しばらくして総理大臣が、親兵100人を伴って大門の横の別殿に行ったので、慧海も着いていった。臣下の待合所に来ると、地方長官たちが恭しく礼をしていた。
見ると、慧海の顔を見て驚いた顔をしている人がいた。その人はハルカマン・スッバという、ダウラギリの麓のツクジェの知事だ。慧海はこの人の家にいたことがある。あの乞食坊主がネパール国王の内殿から出て来たので驚いたのだろう。
総理大臣が献上品の馬の品定めをして長椅子に座ったところで慧海が前に進み出た。そしてチベット法王への上書を送ってもらえるよう願った。
大臣は「あなたは4年前にネパールに来ていたと聞いた。それを以前、私に言わなかったのはなぜか」と詰問した。慧海が「それは憂いと恐れがあったからです。4年前に私を通した関門の官吏や、関係のあった国民が罰せられるとなれば悲しい」と答えると、大臣は「よろしい、私は決して我が臣民らを罰しない。安心するがいい」と言われた。
慧海はこの言葉を聞いて心底喜び、満面に歓喜があふれた。思わず「寛仁大量の御命令を感謝致します」とお礼を申し上げると、大臣も喜ばれた。誠実に貫かれた喜びに勝るものはこの世にはないだろう。
そして大臣は語気を改めて「あなたをチベットに送ったのは誰か」と聞かれたので、慧海はこうして一介の僧侶が国際問題に関わっていると思われるのは味気ないことだと呆然としてから「私自身の意思であります」と答えた。
大臣は笑いながら「では大金のかかる長旅をして私や司令長官に贈り物をしているが、その金はどうした。学識を見てもただの僧侶ではない。もし秘密があるのなら後日、人払いをしてやるから明かしたほうがいいだろう」と話した。
「私は仏陀の教えを守っているので嘘はもうしません」と慧海が答えると、明後日午前10時半にまた面会するということになった。
慧海はブッダ・バッザラ師と共に門外に出て、馬に乗りながら考えた。
もし日本の高等官吏であると嘘を言えば厚遇してもらえるが、本当の事を言えば望みは叶わない。チベットの獄中の友を救う方法はないものだろうか。そして次のように詠んだ。
「解けがたき雪の山路の雪のまに 解けぬ思ひの苦くるしくもあるかな」
「雪山の雲のかなたに閉ぢらるゝ 友の行方のいかになるらん」
「我が友の苦しみごとを思ふにぞ 時にあひぬるてだてをやせん」