獄裡の友を懐う
チベットからこの大塔に訪れる巡礼に聞くところによると、投獄された人物については要領を得ないが、数人は確実に捕まっているようだ。
慧海は、ラサ府のテンゲーリン寺の会計主任だったクショ・ロケラという高僧と出会った。
この人は寺の主人、テーモ・リンボチェがチベットの国権を握っているときも威張ったり賄賂をむさぼったりしなかったので、テーモ・リンボチェが獄死した時も災いを免れた。主人の菩提を弔うために各所を巡拝しており、この夏はラサからカトマンズに出てきたという。
高僧によると、彼がラサを出るまでは前大蔵大臣は無事だったから、そんなに心配しなくてよいという話だった。
しかし、ダージリンの商人ツァ・ルンバに出会った時は、このように話していたそうだ。
「私は盗みをしたわけでも、けんかをしたわけでもない。ただ医者にかかって、使いをしただけなのに、チベットに不利益をもたらそうとしたとして毎日詰問される。けれども、私は何も知らない。これは前世で罪を犯したためだろうと諦めている」
彼は痩せ衰えて、実にかわいそうな様子だったと聞いて、慧海の胸は痛んだ。
そして、獄中の友を思って歌を作った。
聞くにもつらしいふもうし、まして筆もてしるさむは、いと傷いたましき業なれど、後に忍ばんたよりとも、思ふ心に水茎の、あとに斯くこそ遺すなれ
思へば六とせそのかみに、妙の御法ををさめんと、わが故郷ふるさとを後にして、深雪の山に旅寝して、ボウダの国に入りにしが、今また雪の山に来て
ボウダの国のわが友の、思ひも寄らぬまがつみに、かゝりて今は石壁の、ひとやのうちに縛られて、われの故にぞ苦しむと、聞く憂事のあぢきなき
いとゞ寒さのきびしきに、雪の都の高塀の、日影もらさぬ石牢に、しとねもあらぬ板の間に、こゞえ縮みつ苦しまん、友をおもへばたゞ涙
食糧を誰の与ふらん、ボウダの国のひとやには、日々に一度の食事さへ、片手にぎりの焼麦粉より、得られぬためし受けむには餓と凍えに果てやせん
まして無残の獄吏等は、それすら与へずうちはたく、この世からなる餓鬼地獄、絶えも入りたく思ふらん、獄屋の友を忍ぶにぞ絶えも入りたく思はるゝ
あはれなる哉 吾友よ、我のラサ府にありし時、その身につみの及ばんを、知らぬこころゆ吾ために、尽つくせし君を我いかに、棄てゝや安く過すごすべき
人なみ/\の心より、思へば汝はこの我を、憎きものとぞ怨むらん、吾も斯くこそ思ひしが、法の庭にて汝なれにあひし、人の言ことの葉きゝけるに
汝がその人に云ひしには、吾はぬすみもいさかひも、なさざりしかど前の世の、罪のむくひの来きたりしか、あだ国人と知らざりし、やまとの人に交はりし
事のおきてに違ふとて、せめらるゝ事の苦しきも、過世のつみの滅びんと、思ふ心に忍べりと、聞ける吾身のいかにして、忍ばるべしや忍ばれん