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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第三章 チベット脱出
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ダージリンに外護者と再会す


 慧海(えかい)はチスターの橋を渡って道を登った。27キロ先のジョルバンガローまで今日中に着きたかったが、荷馬が弱く、なかなか進まない。途中の小村に一泊し、その翌日に着いた。

 そこから大通りを5キロほど行くとダージリンのラハサ・ビラに着いた。ここには慧海が初めてチベット語を学んだサラット・チャンドラ・ダース居士の別荘がある。

 別荘を訪ねると、サラット居士と夫人、子どもたちがいた。声を掛けたが、子どもたちや夫人は慧海が分からない様子。そこにサラット居士が出てきて「おおこれは」と大喜びした。

 慧海がラサに入り、法王の侍従医になったとのうわさもあって無事なのは分かっていたが、そうなればむしろ帰国が大変だろうと思案していたらしい。また、大谷派の南条文雄博士がかなり心配して、手紙がくるたびに慧海の無事を尋ねていたのだそうだ。


 その翌朝、慧海は高熱に襲われた。熱が下がったと思うと手足がしびれ、その麻痺が心臓のほうへやってくるような感覚がした。

 サラット居士も心配して付ききりになった。医師によると、チスターのマラリア熱だという。慧海は、持ち帰ってきた書物を、日本の大学か図書館に送るよう遺言しなくてはと思ったが、苦しくてそれもままならない。

 夜に苦しさはなくなったが、やはり手足が麻痺して感覚がない。慧海は座禅をして、病を退けるように念じたが、外からこれを見れば正気の沙汰とは思えなかっただろう。

 3日ほど寝込むと、だんだん手足に感覚が戻り、8日後には手を動かせるようになった。電報は高くて無理だが、ここまで帰り着いたことを知らせる手紙を日本に宛てて出した。

 慧海は一か月ほど療養して回復したが、かなり痩せてしまった。幸い仏陀の加護で命は助かり、慧海を訪ねてくる人がたくさんいた。


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