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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第三章 チベット脱出
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第一の関門


 それでも慧海(えかい)は公道を選んだ。捕まって投獄されるか、わき道で猛獣に食われるか強盗に殺されるか、どうせ避けられないのなら公道を取ればいい。

 翌朝、出かけると、東西の遙か彼方には大雪峰がそびえていた。高原は夏でも草が少なく、ガレ場が続く。今日中にパーリーまで行きたいと馬を走らせたが、チュキャー村に着いた頃には、日はすっかり暮れていた。夜間は冷えるので、暖を取らなければ日本の厳冬よりも厳しい。


 翌11日朝4時に茶を飲んでから出発し、日の出の頃に山の上のパーリー城に着いた。

 城は法王の宮殿ほど立派ではなく、城下に家々がある。城にはダージリンとカルカッタ、ボンベイからの輸入品が集まり、ここで課税される。チベットからの輸出品もだ。税金はたいてい品物で取る。

 城下を通っていくと見張りがいて、どの宿に行くのか聞かれた。宿を世話してほしいと頼むと、慧海を貴族僧とでも思ったのだろう、上等の木賃宿を紹介してくれた。宿とはいえヤクの糞代しか取らないので、いわば糞賃宿である。

 宿屋の主人がどこに行くかを聞くので「カルカッタの方へ行ってブダガヤを参詣する」と答えた。ラサのセラ大から来たというと、「化身のラマですか」と聞く。ランバが「いえ、もっと偉いお方なんです」と言いかけたので、慧海は叱りつけ、「ただ寺に居るだけだ」と説明した。

 ところが宿主は「保証人を立てるためには、あなたのことをすっかり聞いておかなくてはならない。どうもあなたは高等僧官か化身のラマに見える」としつこい。慧海が「セラの普通の僧侶で大学部で問答修行をしている者だ。それは僧舎に問い合わせればいい」と言うと、宿主もランバも外に出て行った。

 外から声が聞こえた。宿主が「本当のことを言わないと10日たってもここから出る訳にはいかない」と言えば、ランバは「言えば大変怒られるのだから仕方ない。だが急用があるから夜通し来たのだ」。「夜通しとは普通じゃない」などとひそひそ話している。

 ランバは「なら言うが、あの人はセライ・アムチーだ」「あの死んだ人を救うというお医者さんか」「そうだ。私は薬屋の紹介で着いてきた者で、ラサでは非常に評判だ」「それなら早く手続きをして4、5日で旅券を得られるようにしてやる。だが、親類の者に難儀な病人がいる。一つ診てもらう訳にはいかないだろうか」としきりに頼んでくる。

 戻ったランバは「あなたが医者だということだけ口を滑らせてしまったので、衆生済度のために診察をしてくれませんか」と慧海に頼んできた。仕方がないので、かなり気が進まない様子で承諾した。

 宿の主人は喜んで慧海を病人の家に連れて行った。城下の家は土の付いた芝草を干し固めて、レンガのようにして家を建てているため黒く見える。慧海が病人の娘さんの脈を診てやると、病人はそれだけで心地よくなったらしい。

 つまりは信仰の力で勝手に治るのである。神経病と肺病にかかりかけているだけだが、少しも外出しないそうだ。慧海は少し薬を与えて、毎日観音さまへ参詣しなさいと告げた。

 病人がだいぶん回復したので宿の主人は喜び、保証人を頼んでくれるという。その証人の家に行くと、あれだけ口止めをしたのに宿主は「この方はセラのアムチーで法王の侍従医です」と口走ってしまった。鶴の一声というか、その人は早速、証人になることを引き受けてくれた。


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