ゲンパラの絶頂
5月30日、慧海は駅馬を雇って出発した。だが同行のテンバには少し戒めが必要だった。チベット人は仰々しいことを言う癖があるが、昨夜の宿で慧海のことを「ラマの化身だ」などと言っているのを聞いた。
慧海が人を欺くことはいけないとたしなめると、テンバは「向こうから化身でしょうと聞かれたので、そうだと言ったまで。固いことばかり言っていては金儲けができません」という。慧海は「人をだまして金儲けとはもってのほかだ」と叱りつけたが、まだぐずぐず言っていた。
この日はネータンという所で昼を済ませ、そこから10キロほど進んでナム村に着いた。以前、慧海が一軒家に泊まった村だ。ナムを過ぎてジャントェに着き、セラ寺で親しくしていた僧侶の家を訪ねた。「巡礼に行くつもりだ」と答えると十分にもてなしてくれ、翌日も馬で送ってくれた。
31日の明朝、チャクサムへ急いだ。そこで馬を返し、木船で向こう岸に渡りパーチェ駅に着いた。この駅はゲンパラという険しい山の麓にある。
6月1日、雇った馬でゲンパラに登った。山の中ほどで慧海たちより1日先に出発した中国人の一向に出合った。頂上で、来た道を振り返ると、ラサと法王の宮殿がはるか先に見えた。ゲンパラはラサより900メートルほど高所にある。
ラサを見つめていて、慧海はある昔話を思い出した。ネパールに住む裕福なチベット人のしもべの話だ。ある日、しもべは主人たちとラサへ巡礼にやってきた。巡礼中はひもじい思いをしながらラマに会いに行くと、ラサのラマたちは山盛りの干し肉に、卵うどんなどのごちそうを食べていた。
帰りにこのゲンパラでラサ府を望んでいたところ、しもべは尻を向けて「ラサほど気色悪い、腹が立つ場所はない。ラマは夜叉のように肉を食い、俺たちには一切れもくれない。ここは極楽なのではなく、餓鬼と悪魔が住む国だ」と罵った。
盗人にも三分の道理というが、この男の言い分には八分くらい理がある。チベットの貧民の生活はつらい。乞食でも高利貸しをしている人がいるが、金を儲けても、貯めて寺への布施金にしてしまう。乞食を見て餓鬼、ラマを見て肉食の悪魔というのも、あながち間違いではなかろう。
ちなみにこの昔話の主は、まだネパールとチベット国境のニャアナムの近くで健在だ。
慧海が見たところ、ラサは悪魔もたくさん居るが、そればかりでなく菩薩もおられる、ありがたい場所である。できれば再びこの地に来て、日本仏教とチベット仏教の和合に力を尽くしたいと願った。




