いよいよラサを出ず
この日、ラサは非常ににぎわっていた。政府の警察は警部と巡査が30人ずついるが、この日は法王と第二の法王の警護にかかりきりだ。高等官や僧官も忙しくしており、何があっても気付かない。慧海の出発には好都合だった。
とはいえ旅装すれば疑われるので、慧海は大臣から借りた法服を着ていた。そして天和堂の夫婦は精進料理の御馳走をこしらえて宴を開いてくれた。かわいそうなのはこの家の11歳と5歳の姉弟で、慧海との別れを悲しんで泣いた。
見送りはレブン寺の前の林の中ですることにして、別々に出かけた。慧海も一人でラサの町を出て、釈迦堂の前に来ると、巡査が走ってきた。何かと身構えると、「おめでとうございます」という。何が何やらわからず慧海が様子を見ていると、巡査は三回礼拝した。それで気付いた。慧海が来ている法衣は大臣のところから借りてきたので、高等官吏、侍従医でもなければ着られぬものだ。慧海が侍従医になったのだろうと思っての祝いの言葉だったのだろう。
ところでチベットの巡査は、決まった月給はなく、市中へもらいに回る。乞食のように乞うのではなく、門前に立ち、大声で善神の勝利を得たと歌のようなものを歌う。集めた金は巡査部長に渡して分ける。この巡査が泥棒などを捕まえに行く時でも決して旅費を持って行かない。行った先で飯を喰い酒を飲み自由自在に振る舞うのだ。
慧海は巡査と別れた後、釈迦堂に参拝して別れを告げ、法王の宮殿の下を通って橋を渡り、レブン寺の前の林に着いた。そこには薬屋の番頭らが待っていて、慧海は法衣を脱いで旅装に着替えた。
彼らは酒を飲みながら、わずか4カ月の旅とはいえインドのような暑いところへ行くのだから死なないように、次はいつ来られるかと泣き出し、慧海も泣き別れに別れた。
やがてレブン寺の下を通り抜け、シン・ゾンカー駅で泊まることにした。