出発準備
慧海は前大蔵大臣と老尼僧の慈悲の心に触れ、涙を流した。老尼僧は「ともかくチー・リンボチェに判断してもらいなさい。それで問題がないようなら、あなたの望み通り法王に上書するのもよいでしょう」と勧めた。
慧海は既に師匠に尋ねていたことを伝えると、二人は笑いながら「それなら心配はいらない。早くお帰りなさるがよい。もし事が明るみになったなら、あなたがこの国を無事に出られるよう祈祷します」。慧海には一生忘れられないほど有り難い言葉だった。
慧海は大臣宅の荷物をまとめてラサの薬屋の天和堂へ預け、主人にカルカッタに行くこと、書物を持って帰るための運送について相談した。主人も、もはや慧海が日本人であることをほとんど分っていたようだが、同郷の雲南省の商人がカルカッタに行くので同行すればいいと勧めてくれた。
するとその雲南省の商人は、駐蔵大臣がちょうど兵士の給料を持って出かけるので、そのほうが早く着くだろうというので、そうすることにした。
それから慧海はセラ寺で荷造りをして、これも翌24日にラサの天和堂に送った。小僧には、4カ月分の食料と学費を預けておいた。セラ大の保証人になってもらった人には法衣と礼金を、教師たちにも礼金と記念品を送り、その日の午後4時過ぎに大本堂に参詣して燈明を上げ、供養物も供え、そして釈尊の前にて願文を読んだ。
「むなしくチベットを去ることになったが、これまでの縁により、日本とチベットの仏教徒が和合し、世界に真実の仏教の光輝を表明することができますように」と。そして釈迦牟尼如来の御名を十唱十礼して本堂を降りた。




