恩人の義烈
5月22日、慧海は前大蔵大臣宅に帰り、秘密を打ち明けようと思ったが、この日は法王が離宮からラサ府へお越しになるので、大臣は奉迎に行っていた。
仕方がないので慧海も法王の行列を拝観に行った。行列がラサ市街へ着く直前、豪雨が降った。あられ混じりで頭を打ち付けるような雨で皆ずぶ濡れになった。ところが行列が釈迦堂へ入ってしまうと雨はピタリと止んだ。
その晩、慧海は折り入って話があると、前大蔵大臣と、母のように接してくれた尼僧に会いに行った。ラサ府を去るにあたって、恩義のある二人に本当の事を話すためだ。
秘密を打ち明けると、前大臣は「なるほどそれで分った。あなたほど熱心に学ぶ中国人は見たことがないと思っていた」と言う。慧海は法王政府に日本人であることを告げなくてはならない事情を説明した。そして大臣に上書を手渡して、「私が外国人であることを知ったので、政府に引き渡しに来たと、縄を掛けて連れて行って下さい。そうすればあなたがたに災いが及ぶことはありません」と願った。
すると大臣は「何もそんなことをして死ににいく必要はない」と厳しくたしなめた。慧海が「自分が死んでも、人に災いを及ぼさなければそれで十分です。親子のように慈しんでくれたあなた方に害を遺して自分だけ逃れる訳にはいきません」と言うと、慈愛深き老尼僧は声を殺して泣いた。
大臣は「私も仏教を真に信じている一人であり、不肖、ガンデン・チー・リンボチェの弟であり、弟子だ。自分の災難を免れるために人に縄を掛けて殺すことはできないし、あなたが探偵でも仏教を盗む外道でもないことはよく分っている。もしあなたが去った後に私が困難に陥ることがあっても、それは前世の因縁と諦めなくてはならない」。そう言って尼僧に同意を求めると、尼僧は「よくおっしゃって下さいました」と喜び、慧海に「本当に危ないので、早くお立ちなさい。ちょうどパンチェン・リンボチェが来て騒がしいので、忍んで帰るには好都合でしょう」と涙ながらに勧めてくれた。