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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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チベット宗教の将来


 チベットの国民は仏教を信じることによって生きている。迷信は多いが、幾分か真実が含まれている。

 チベットの真実の信仰は二つある。

 一つは人間を超える存在があり、それは我々を保護している。信仰することでその存在に通じるという信仰だ。

 間違った儀式や祭りをしていても、チベット国民は、仏陀や菩薩が救ってくれるという信仰を確かに持っている。

 神という存在も認めてはいる。その神は人間のように怒って大水害を起こすなど、民に害を与えることがある。そんな怖い神とは違い、仏は深い慈悲と智慧を持つありがたいものだと信じている。

 もう一つは原因結果の考え方だ。自業自得、悪事は償わなくてはならないという法則が未来永劫続くものだと信じている。この信仰が過ぎて迷信となったのが、人間は死んでも再びこの世に生まれ代わってくるという信仰だ。

 これらは幼い時からおとぎ話として親から吹き込まれている。古代のポン教の教えはいつしか仏教化してしまい、新ポン教になった。新ポン教の教えは仏教に似ていて、神道風でもあるので、日本の両部神道のようなものだ。


 チベットにはイスラームもある。中国人やカシミールから移住した者たちで、ラサやシカチェに300人ほどいる。ラサの郊外にモスクが2つあり、墓もある。彼らが言うには、イスラームにも仏教と同じように前世や未来がある。ただ人間は人間に、動物は動物に生まれ代わるものであり、仏教のように動物に生まれ代わることはない。最後は神の国か地獄に生まれるかの二つだという。

 慧海がイスラームにはそんな教えはない。コーランにも生まれ代わりの説明はほとんどないと突っ込むと、本気で否定してくるので、チベットではイスラームも仏教化されているのだろう。


 欧米の宣教師はこの頃、熱心に布教をしている。聖書や他の書物もチベット語に翻訳し、親切に教えを施すことに尽力しているが、全くの失敗だろう。

 信者になったという者も詐欺かシッキム人である。チベット人で真にキリスト教を信仰している者は一人もない。熱心な信者という者の家に行くと、ひそかに仏陀をまつり灯明を上げている。

 仏教を信じている者は、キリスト教を信仰できない。なぜなら解脱すれば精神の絶対的な自由を得ることができるが、キリスト教には神がいるのでそれができない。因果や自業自得も明らかになっていないので、信仰に篤いチベット人には不向きだろう。


 チベットの仏教は腐敗しているとはいっても、下地があるのだから、腐敗を一掃すれば復興するだろう。けれども今は下火になっていると言わざるを得ない。チベット仏教を再興する大菩薩でも出なければ、習慣や儀式として維持されるにとどまるだろう。


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