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超訳 河口慧海「チベット旅行記」  作者: Penda
第二章 知識編
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チベットの兵制


 チベットの常備兵は5千人足らずであり、実に少ない。外国はおろか内乱も抑えられないだろう。けれどもチベットは兵の威圧ではなく、ただ仏教の信仰力で国が治まっているのである。法王を生きた観音菩薩と信じているので、決して剣を向けることはない。

 法王が亡くなった時や、法王が幼いため大臣が権力を振りかざしている時は人民が内乱を起こすことがあるが、法王が政治をしていれば心服しているので兵隊はいらない。

 そんなチベットになぜ兵士が必要かといえば、ネパール、英国との戦争があったからだ。チベットの常備兵に義務兵はおらず、雇い兵士だ。彼らは要所要所に派遣され、ラサに1千人、シカチェに2千人、ネパールの防御拠点などに数百人ずつ配置されている。中国兵は2千人ほどいる。チベット兵には500人ごとに大将がいてデーボンという。

 常備兵の月収は麦2斗ほどで、兵舎はなく市中に散在している。商いや内職をする者もいる。中国兵も同様だ。麦2斗をもらうためには月5回ほど訓練に出かけ、1年に一度、タブチーという小さな村で大演習をやる。その村のタブチー寺では中国の関羽をまつっており、チベットでは関羽を悪魔払いの神として尊崇している。関羽の廟には、地獄の鬼を関羽の手下のようにして飾ってある。

 村を過ぎて少し北に行くと高地があって、武器庫が建てられている。そこに広原があり、陽暦の8月末から9月にかけて大演習をやる。

 慧海が見たところ、兵士の気概はチベット兵にも中国兵にもない。これに比べれば壮士坊主のほうがよほどいい。彼らは妻子もいないので勇猛だからだ。


 チベットの中でもカムの国の人間は全員が兵士といってもいい。婦人も女丈夫という具合だ。彼らは商売も耕作もするが、大いに喜ぶ仕事は強盗だ。チベットには軍歌はないが、カムには強盗の歌がある。

 「果てなき原の草の上、巌角するどき険崖の際、鉄の蹄の馬立てて、討手に進む我が心」「弾丸ちる霰の中とても、雪波立てたる風とても、厭うことなき鉄の靴、勝手に進む我が心」「恃みは妻子にあらずして、寄辺は父母にあらぬなり、何かの艱を忍びつつ、成功に進む我が心」

 勇気がなければ国難を救うことはできぬという良い歌ながら、これを強盗の時に歌う。強盗すれば大悪人だが、戦争の時ならば大忠臣となる。


 この頃、世間を欺く恐ろしい毒の言葉がある。それは、目的を達する為にはいかなる方法をもとれ、というたわ言だ。これは曲解すれば、自分の幸福のためには法律に触れなければ何をしてもよいということになる。

 慧海は目的を達する為には、ただ誠実なる方法を執るのみだと確信している。人のために誠実に歩めば自然と自分も利益を得られて国は円満に治まる。カムの強盗の歌であれ、歌の心は良い。その意味では軍歌にしても差し支えはなかろう。


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