12.二つの魔法
「殿下もご存じの通り、ブランシェ伯爵領は決して豊かとはいえない領地です」
「確かにそうだね。特に数年前までの領地経営に関する収支報告書の内容は、下から数えたほうが早いくらいだったからね」
「それが明確に変化したのは、ブランシェ伯爵令嬢が領地へと戻ってからです。彼女は学園に通うことのできる四年の間に、膨大な量の様々な知識を蓄えていました」
放課後は常に図書室の決まった場所へと腰かけ、机の上に積み上げた大量の本を次から次へと読み進めるということの繰り返し。私が図書室へと向かった回数は他者より多いはずだが、毎回その姿を見かけていたことを考えれば彼女のほうが圧倒的に多いのだろうし、見ない日は一度もなかったことからもおそらく毎日通っていたのだろうと簡単に推測できる。
「おそらくは、貧しい領地に少しでも富をもたらそうと考えての行動だったのではないかと。そして、その知識を使って生み出したのが――」
「『雪野菜』というわけだね。うん、それならば確かに納得だよ」
たったの二年で急成長を遂げたブランシェ伯爵領の収支報告書に、おそらくはそれを見たほとんどの人物が疑問を抱いたことだろう。だが実際の内訳を確認してみれば、事業が上手くいっている以外のなにものでもないことはすぐに分かる。だからこそ怪しまれたりもせず、今でも『雪野菜』の生産を続けていられるのだ。
しかし問題視されなかったからこそ、『雪野菜』に関して誰がどの程度まで関わっているのかまでは、きっとまだ誰も調べ上げていないことだろう。そもそもにして、その部分を気にしている人物が存在しているのかも定かではないのだから。
「私はてっきり、ブランシェ伯爵家の長年の研究結果なのかと思っていたのだけれどね。伯爵家の令嬢が学園在籍中にそこまで努力していたのであれば、フェルナンの言う通り縁談をまとめるのは難しいかもしれない」
もちろん伯爵家の努力が実った成果でもあるが、私が調べさせた限りではそれ以上にブランシェ伯爵令嬢の功績が大きいのだということは、領民たちの反応からしてもまず間違いはなさそうだった。そして伯爵家に跡継ぎの男児がいるのだということも、殿下は当然ご存じなのだろう。だから婿をという話にもならない。
納得してくださった殿下の様子からも、これで彼女の平穏を保つことができるとようやく安心した私は、そっと息をつく。
だが束の間の平穏も、そう長くは続かなかった。
「なるほどねぇ。どこの国もまだまだ男が主体になってるとは思ってたけど、この国はそういう娘が出てきてもちゃんと受け入れられる素地があるんだね。ならアタシの保険も無駄にはならなかったみたいだし、よかったよかった」
一人うんうんと頷くユゲットの言葉の真意がつかめず、思わず顔を見合わせてしまう私と殿下だったのだが。なぜかとてつもなく嫌な予感がした私は、おそるおそる何かに納得しているユゲットに話しかける。
「その……ユゲット? 保険というのは、いったい……」
「あぁ、さっきのアタシの魔法のことさ。一つは自白させるためのものだったけど、あとの二つはそれとはまた違う別の魔法だからね」
「っ!!」
こともなげに言い切ってみせるユゲットだが、私は告げられた事実に嫌な予感が当たってしまうのではないかと一気に不安になった。やはり先ほどの三色の光には、意味があったのだ。
おそらくはそれぞれの光に違う魔法が付与されており、それが意味を表すためなのかそれともユゲット本人が区別するためなのかは不明だが、ともかく今判明しているのは確実に私にはあと二つの何らかの魔法がかけられてしまっているということだけ。
「やっぱり友人には幸せになってもらいたいものだろう? そのためにアタシができる一番のことといえば、この方法しかないからね」
満足気なユゲットとは対照的にどんどんと不安になっていく私には、すでに面倒な未来しか残されていないことをこの時点で確信した。というのも、こういう時のユゲットはたいてい余計なことしかしでかさないのだという現実を、この二年という間で私は嫌というほど目にしてきたのだ。
今まではその余計なことが向けられる先に、私自身は存在していなかった。ほとんどは彼女に対して一方的に不満を持っていたり嫉妬から何かしらの妨害を企てた人物たちが、容赦のない魔法の餌食になっていただけだったのだ。そのため問題はないだろうと放置してきた結果が、今のこの状況。
「ち……ちなみに、いったいどんな魔法を私に……?」
聞くのも恐ろしすぎるが、知らないことには前に進むことはおろか対処することすらできない。このまま解散になられては、いつどこで取り返しのつかない事態に陥るかも分からない以上、そう問いかける以外に私に選択肢はなかった。
そんな私の思いを知ってか知らずか、ユゲットはどこか悪そうな表情でニヤリと笑うと。
「なぁに、簡単なことだよ。フェルナンが本当に愛した娘にしか愛の言葉を伝えることができなくなる魔法と、その人物に対してだけは素直になる魔法の二つ、ただそれだけさ」
それはそれは愉快そうな声色で、私の問いかけにそう答えたのだった。
「な……!?」
「あぁ、ちなみに。当然だけど魔法が解けるまではずっと、その娘以外に対しては愛の言葉なんて一つも出なくなってるからね。あと、アタシは魔法を解除するつもりはないよ」
「!?」
二つの魔法の内容ですら頭を抱えたくなるほどのものだったというのに、直後にまた新しい事実を聞かされてしまった私は最初の衝撃を軽く超えてしまい、もはや声を発することすら忘れてユゲットを凝視する。
本格的に頭痛を覚えそうになりながら呼吸を忘れ固まる私に、ユゲットは血のように赤い瞳を向けるとまるでいたずらが成功した子供のような表情で、ニシシと不思議な笑いをこぼした。




