2.再会
そんな日々が続いていた、ある日のこと。
「畑にまくための水は、まだ足りそうかしら?」
「はい。最近は夕立も多いので、心配するほど減ることもなくて助かってますよ」
「それなら安心ね。……あら?」
今年は天候に恵まれているのか、食料用の栽培に水の買い足しは必要なさそうだと領民と共に安堵していたソフィアは、屋敷の方面が急に慌ただしくなったことに気が付いた。とはいえもうすぐ見回りも終わる予定なので、何か問題が発生しているのだとしても急を要することはないだろうと考え次の場所へと移動を始めようとした、その時。
「ソフィア様ー!」
少し離れた場所から名前を呼ばれて振り返れば、急いだ様子でこちらへと駆けてくる若い領民の姿があった。
「どうしたの? そんなに急いで」
「領主さまから、ソフィア様に急いでお屋敷に戻るようにとの伝言を預かってきました!」
「まぁ」
領民を走らせるなど、余程のことがあったのだろう。もしかしたら先ほど感じた慌ただしさが、その原因なのかもしれない。となれば緊急事態であることは確かなので、他の場所の見回りはあとにして一度戻るべきだろう。
そう考えたソフィアは、父からの伝言を伝えてくれた領民に礼を告げて、彼が走ってきた方向へと気持ち早足で歩き出した。
(それにしても、いったいどうしたのかしら?)
この時間のソフィアの予定を知っているはずの父が屋敷に戻るよう指示するなど、今まで一度もなかったのだ。どんな大きな問題が発生したのかと、若干不安になってしまうのも致し方がないことだろう。それが歩行の速度に如実に表れていることには気付いていたのだが、はやる気持ちを抑えながらあえて令嬢として、ギリギリはしたないと言われないくらいの速さを保ちつつ。でき得る限り急いで、言われた通りに屋敷へと戻ってきたソフィアがそこで目にしたのは――。
「……え?」
見覚えのある紋章が描かれた、一台の立派な馬車と。
「ほ、本当によろしいのですか……?」
「えぇ。もちろん彼女に受け入れてもらえれば、の話ではありますが」
なぜか屋敷の外、玄関扉の前で父であるブランシェ伯爵と言葉を交わす、フェルナンの姿だった。
「どう、して……」
すでにこれだけの日数が経っているので、もう自分のことなど忘れて婚約発表の準備を進めているものだと思っていたソフィアは、その光景が信じられなくて小さく呟いてしまう。あれだけの期間がありながら手紙の一通も届かなかったのだから、彼女がそう考えるのも無理はないことだろう。だがそれならば、なぜフェルナンは今頃になってブランシェ伯爵領へと、しかも直接赴いているというのか。
頭の中では、なぜという言葉ばかりが浮かんでは消えていくソフィアだったのだが。そんな彼女の声に気が付いたのか振り返ったフェルナンは、その神秘的なアメシストの瞳でソフィアの姿を捉えた瞬間。
「ソフィア!」
喜色をあらわにしてソフィアへと駆け寄ると、そのまま力強く抱きしめる。
「あぁっ、ソフィアっ……! 会いたかったっ……!」
「っ!?」
当然、何が起こっているのか全く理解できていないソフィアは、ただその腕の中でひたすら混乱の渦に巻き込まれたかのような表情をしながら、何度も瞬きを繰り返すだけになってしまっていた。しかし、その間もなおフェルナンの腕の力が緩むことはなく。むしろ、力強いはずなのになぜか震えているようにも感じられてしまって、ますますソフィアの頭の中は混乱してしまう。
抱きしめ合っているわけでもないせいか、感動の再会と言うにはどこか締まりのない状態のようにも見えてしまっているこの状況下で、けれど本人たちはそれぞれの心の中に生まれてくる感情を処理するのに手いっぱいなため、二人揃って言葉を発することなどできないまま。結果、この場を動かすために最初に声を発したのは――。
「その……ひとまず、屋敷の中に……」
気まずそうに視線を外しながらも、自ら扉を開けてフェルナンを招き入れようとしているブランシェ伯爵だった。
彼からすれば、いきなりの侯爵の訪問に突然の申し出、そして目の前で娘を抱擁という、怒涛の展開でしかなかったのだが。そこは領主としてすべきことを優先させなければという、貴族としての矜持がギリギリのところで理性を保ってくれたと言っても過言ではないだろう。
「あぁ、すまない伯爵。つい……」
それに素直に従うように見せかけつつ、まだしっかりとソフィアの腰を抱いているフェルナンに、もはやブランシェ伯爵も苦笑しか出てこない。
「けれど、本当に私を招き入れてしまっていいのか?」
「先ほども申し上げました通り、我が家としては願ったり叶ったりでしかないのです。ですからこの先はどうか侯爵様のおっしゃる通り、直接娘と話し合って決めていただければと思っております」
「そうか……。感謝する、ブランシェ伯爵」
しかしそれ以上に、ソフィアはいまだ混乱から抜け出せいないまま。フェルナンに腰を抱かれながら歩き出し二人の会話も耳に入ってきているというのに、なぜかそれが遠いところで交わされている理解できない内容のように思えてしまっていて。気が付いた時には、まるでフェルナンと初めて出会ったあの日のように、今度はソフィアの生まれ育ったブランシェ伯爵邸の応接間で二人、向き合って座っていたのだった。




