プロローグ
「うそうそうそ!?待ってよローズ!ちゃんと考えて!?」
私は思わずそう叫んで、手に持っていた小説をカーペットの上に落とした。
「いつかこの時が来るとは思ってたけど…。どうして、アーノルド様…」
「冷酷な筈の王太子殿下が、なぜか溺愛してきます」という題名のこの小説は、異世界を舞台にした恋愛小説だ。内容は、他人に興味がない王太子が天真爛漫なヒロインに徐々に心を開いていき、最終的には彼女を溺愛するという、かなり王道なものだ。
私がこの作品にハマったのは二年前。散歩ついでに本屋さんに寄ったときのことだった。店頭の目立つところにカラフルなポップと共に置かれたその本の表紙に、私は一目ぼれしたのだ。表紙には二人の男女が描かれていた。女の子のほうもとてもかわいかったけれど、私が目を奪われたのはその横に立つ男の子だった。
さらっさらの黒髪に、たれ目がちな瞳の下には小さな泣きぼくろ。色気が物凄い。それなのに切なげな表情で女の子だけをじっと見つめている。正直、ドタイプだった。
私は湧き上がる熱い気もちに従い、本を全巻衝動買いした。そして当日にその全てを読み終え、号泣してしまった。
私が一目ぼれした彼は、所謂「当て馬幼馴染」だった。ヒロインを誰よりも近くで見続けてきたのに、彼女はまだ出会って日の浅い男に恋に落ちてしまう。しかし彼は…アーノルド様は、それでも彼女を想い続ける一途な人だったのだ。不憫すぎてしんどい。
そして、今日。数か月ぶりに出た新刊を購入し、どうかアーノルド様が報われますようにと祈りながら本を読んでいた私の切実な思いは、粉々に砕かれた。
アーノルド様が振られてしまったのだ。
「どうしてえ…なんで、アーノルド様じゃ駄目だったの…?ローズ…あなた彼の何を見てたわけ!?こんなに一途で優しい人を振るなんて、どうかしてる!…うう…」
どうしようもない喪失感が脳内を埋め尽くしていた。私は冷蔵庫から大量のお酒を取り出し、片っ端から飲んでいく。一刻も早く、この悲しさを忘れたかった。
もう何本目かも分からないビール缶を空にしたとき、不意にぐらりと視界が揺れ、私は床に倒れこんだ。
「アーノルド様…私が、しあわせ、に…」
そう呟いたところで、私の意識は完全に途切れた。
ーーー
「…んー」
窓から差し込む朝日の眩しさで、私は目を覚ました。
(眠い…眠すぎる…)
昨日飲み過ぎてしまったからだろうか。いや。日ごろの睡眠不足が祟ったのかもしれない。だが、どちらにせよ起きなければいけないのだ。私は覚悟を決めて体を起こした。
「…?」
不思議なことに、二日酔いの気持ち悪さが全くない。加えてやけに体が軽かった。体重が十キロくらい落ちたような感覚だ。
(…ここ、どこ…?)
私は慣れ親しんだぺちゃんこの布団ではなく、ふかふかで大きいベッドの上にいた。そういえば、来ている服の肌触りもやたらと良い。
「…私は…誰?」
辺りを見渡してみる。全くなじみのない部屋の筈なのに、まるで自分の部屋のように落ち着く。あと少し。あと少しで何かを思い出せそうだった。
ふと、部屋に置かれた鏡に映る自分の姿を見た。そこで私ははっと我に返る。
「私は…私、は…ミア・フォーカス!」
そうだった。私はミア・フォーカス。フォーカス子爵家の長女だ。そしてここは紛れもない私の家。十六年間、ずっと住んでいる我が家だった。
すっかり眠気が吹き飛び、徐々に記憶が蘇っていく。家族のこと、趣味のこと、学園のこと…。
「…学園のこと…!?」
私は驚きのあまりばっと立ち上がる。しかし足がしびれていたせいで再びベッドに倒れこんだ。
「なんてこと…」
天井を見つめながら私は呟く。
「私、小説の世界に、転生してる!?」
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