第六章 魔女①
侯爵家の馬車を追いかけながらやってきたのは、花街に続く橋の前だった。
橋の手前で曲がった馬車は、近くの建物の前に停車した。
中から出てくるエレノアの姿を見て、レベッカは胸を撫でおろす。
(よかった。元気にしてるみたい)
馬車から降りてきたエレノアは、嬉しそうな笑顔を浮かべている。
それを見たテオドールも、隣でほっとため息を吐いている。
「……花街に入らなくて、よかったですね」
どうやら手のひらの上にいるリスに言っているようで、リスも人間らしく安堵していた。
「それにしても、あの箱の中には……何が入っているのでしょうか」
エレノアは箱を大事そうに抱えている。
その箱が気になるのか、テオドールが眉をひそめている。
「あの箱、何かあるんですか?」
「……ええ。《魔道具》のような反応があるみたいなんです」
「《魔道具》ですか?」
「はい。特におかしい感じはしないのですが、妙に気になりまして」
落とさないように運んでいる様子を、レベッカは再び不思議そうに見る。
高価な《魔道具》が入っているから、あんなに大切そうにしているのだろうか。
リスのままのベンジャミンも気にしている様子で、テオドールの肩に上ったり、手のひらに戻ったりと忙しそうだ。
エレノアは、二階建ての建物の中に入っていくようだった。
外れかかった看板にはカフェのマークがあるが、一階部分にある店内には明かりが灯っていない。
音もなく扉が開いて、エレノアが中に入っていく。
「……あれも、《魔道具》ですね。……どうしてこんなところに」
テオドールが呟くと、リスが待っていられないとばかりに手のひらの上から飛び降りる。
「ベンジャミン。どこに行くのですか?」
テオドールの呼び声にも振り返ることなく、リスはエレノアの後を追うようにして建物の中に入って行く。
「ベンジャミンさん、行っちゃいましたね」
「……仕方ないですね。少し、待つことにしましょうか」
「追いかけなくてもいいのですか?」
「もしもの時のために、頬袋にマナ抑制剤を入れるように言ってあります。何かがあれば、自分のタイミングで人間に戻るでしょう」
建物の扉は、もうすっかり閉じてしまっている。
「あの建物には魔法がかけられていますね。外から見る限りでも、《魔道具》の反応が建物内にいくつかあるようですが」
「そんなにも、《魔道具》があるんですか?」
前にあった魔道具爆発事件。
あの時街に広まった《魔道具》は、もうすでに魔塔の魔法使いにより回収されている。ここにあるはずがないのに、なぜか不安が拭えない。
「心配しないでください、レベッカさん。外から見た限りだと、危険な《魔道具》の反応はありません。それに、ベンジャミンはああ見えても実力のある王宮魔法使いの一人ですから。僕ほどではありませんが、魔法の腕は確かですよ」
手を優しく握られる。
視線を上げると、テオドールの銀色の瞳は、柔らかく微笑んだ。
不思議と不安も和らいでいく。
「クレイン嬢の様子は確認できました。後は、どうにかしてベンジャミンの誤解を解いて、会ってもらう方法を考えるとしましょうか」
「はい!」
テオドールと寄り添い合うようにして、待つこと数十分。
建物の扉から小さな影が飛び出してきた。リスだ。
「ベンジャミンさんが戻ってきましたよ!」
先に見つけたレベッカがテオドールに伝えると、彼はハッとした様子でレベッカの視界を遮りようにして前に立つ。
「どうしたんですか?」
「レベッカさん、見てはいけません。変態がいます」
「変態……?」
「テオドール様ッ! 大変です、大変なんですよ!! あの、至急伝えないといけないこと──」
ベンジャミンの焦ったような声が聞こえてきたかと思うと、すぐに消えてしまった。
「ふう、どうにか間に合いましたね。レベッカさん、大丈夫ですか?」
テオドールの横からそっと覗くと、そこにあったはずのリスの姿は影も形もなくなっていた。先ほど聞こえたはずの声の主もいない。
「あれ、ベンジャミンさんはどこに……?」
「服を着ていなかったので、ひとまず魔塔に送りました。座標は……エントランスあたりにしてしまいましたが、まあ、どうにかなるでしょう」
「人の姿に戻ったんですね」
「ええ、何か至急伝えたいことがあるとか言っていましたが、さすがに裸で街中を歩かれるのは周囲の目もありますからねぇ。……人の姿に戻るタイミングぐらい、考えてほしいものですよ」
テオドールが手を差し出してくる。
「ということで、僕たちはひとまず邸宅に戻りましょうか」
◇
テオドールと共に邸宅に戻ると、一時間もしない内にベンジャミンが駆け込んできた。
「テオドール様! どうして魔塔に飛ばしたんですかぁ!? しかも、よりによってエントランスにッ。おかげで、おかげで俺……ッ。他の魔法使いから憐みの目を向けられたんですよぉ!」
応接室に案内されたベンジャミンは、手で顔を覆うとしゃがみ込んでしまった。
レベッカが近づこうとすると、テオドールに止められる。
「外で変質者になるよりかはましかと思いますが……」
ベンジャミンが人に戻ったということは、獣化が解かれたということだろう。
花街周辺の道は、あの時間はまだ人通りは少ないけれど、それでもまったくいないというわけではない。
隠遁魔法も解かれていたし、あのままだとベンジャミンはひと目があるところで裸になってしまっていたはずだ。
(かわいそうだけど、裸のままだと目のやり場に困るもんね)
「あそこにはレベッカさんもいましたし……。とっさに飛ばせたところがエントランスぐらいでした」
テオドールが気にするようにこちらをチラッと見て、すぐに正面を向いた。
「魔塔にいるのは魔法使いだけですし、大体の人が境遇を理解しているでしょう。ですので、魔塔なら、まあ、いいかなと」
「よくないですよぉ。せめて私室にしてくれればよかったのに……。俺にローブを渡してくれた魔法使いがなんて言ったと思いますか? ……かわいそうだな、ハハッ、──って、笑われたんですよぉ!?」
「それは、お気の毒ですね」
「……もうお嫁にいけない」
ベンジャミンはまだ手で顔を覆ってめそめそしている。
ソファに座るように促すと、めそめそしながらも腰をかけた。
そして指の隙間からチラッとテオドールを見る。
「申し訳ございません、ベンジャミン」
「……いいですけど、二度目はないですよ?」
テオドールが謝罪をすると、満足したのかベンジャミンは顔から手を放した。
それから真剣な顔をして、口を開く。
「それで、さっき──人間に戻った時に話そうとしたことなんですが……」
なぜか、視線を感じる。
不思議そうに見返すと、ベンジャミンは悩んだような顔をしている。
もしかしたらレベッカには話しにくい内容なのかもしれない。
それを察したテオドールが、レベッカの手を軽く握る。
「レベッカさん。名残惜しいですが、少しだけ席を外していただけませんか?」
言葉とは裏腹に、ギュッと手を握られるその手のぬくもりと、テオドールの少しうるんだ瞳に頷きそうになるレベッカだったが、はっと我に返る。
「私も、話が聞きたいです!」
これから二人が話すのはエレノアのことだろう。
《魔道具》がたくさんあるという建物の中で、彼女が何をしていたのか。
レベッカも気になっているのだ。
「だけど、これはね、レベッカちゃん……」
いつもの朗らかな笑みではない、真剣なベンジャミンの瞳に、ひゅっと背筋が伸びる。
でも、ここで引き下がりたくはなかった。
「エレノアは友だちだから。私にも知る権利があると思うんです!」
はっきりと見返すと、ベンジャミンがたじろいだ。
「ベンジャミン。ひとまず話せる範囲でいいので聞かせていただけませんか?」
「ですが、テオドール様。これから話すのは」
「レベッカさんが言っていることはもっともだと思います。もうすでに彼女はこちらに足を踏み入れているのですから。クレイン嬢の身に何があったのか、彼女には知る権利があるかと」
テオ様とつぶやくと、優しく手を握り返される。
銀色の瞳と見つめ合っていると、ベンジャミンが長いため息を吐いた。
「わかりました。話しますよ。話せばいいんでしょ」
まだレベッカのことを気にしているようだったが、観念したようにベンジャミンが話し始める。
「あの後──建物に入ったエレノアを追いかけると、フードを被った女性がいました」
「女性、ですか?」
「姿を見ていないのですが、声が女性でしたので、恐らく」
「……そうですか」
「それで、エレノアが……」
言葉を続けていたベンジャミンが言い淀む。
いつもの笑顔はやはりなく、どこか苦しそうに、目を泳がせる。
「どうやらエレノアが、ですね。……魔法を、習っているみたいなんですよ」
「え、魔法ですか?」
つい声を上げる。
女性は魔法が使えないはずだ。神殿でもそう習ったし、幼いころ孤児院でもそう聞かされた。
困惑するレベッカをよそに、顔を険しくさせたテオドールが、ベンジャミンに問いかける。
「本当に、女性から魔法を習っていたのですか?」
「はい。そんな会話をしていたので」
「……よりによって、どうして魔法なんて」
隣からテオドールの顔を見上げて、レベッカは息を呑む。
前に空の散歩をした時に、魔法を使えたらいいなぁと言ったレベッカに向けたときと同じ、険しい顔だった。
(女性が魔法を学んだら、ダメなのかな……?)
銀色の瞳と、目が合う。
「レベッカさん。申し訳ありませんが、これ以上はあなたには聞かせることはできないようです」
「でも……!」
「先程はあなたには知る権利があると言いましたが、これ以上は知ってはならないことなのです」
どこまでも真剣な瞳に、つい怯みそうになる。
彼の言うとおりに立ち上がって、この部屋から出て行けば、この緊張からは解放されるかもしれない。
(……でも、──でも!)
握ったままの手を引き寄せる。
近づいた銀色の瞳が長いまつ毛を瞬かせた。
「私にも話を聞かせてください!」




