第三十七話 詐欺かドブさらい
「あいつは……!」
レカが走り出す。テルも慌てて後を追った。小さな路地のどん詰まり、まるで我が物顔にその一画を占拠している大きな影。特有の下品な笑い声をあげているその巨体の主は……。
「ギャハハ! おめえらぁ、筋がいいじゃねえか!」
ガズボだ。路地の壁にでんと座り、子供たちに取り囲まれ、何やら楽しげに話している。その中に、テルの知っている顔もあった。猫族の獣人の少年、タンザだ。救貧院で文字を教えた時は、なかなかの文章の才能を発揮していた……。
「そいでだな、傭兵ギルドに行くとなあ、まず文字が書けるかって言われるんだ。『書けねえよ』っつったら、『槍持って立ってられれば十分だ』って言われんだよ」
巨大な手を使って身振り手振りで説明するガズボの声は低くて粗いが、子供たちは食い入るように聞いている。
「そんで手付金もらったら、そのまま逃げちまえばいい。このあとが重要よ。ぜってーに閲兵の日まで会場の近くに行ったり、傭兵の見回りどもに捕まるんじゃねえぞ? そのまま戦場までレッツゴーってわけだ。ああ、それと当日は娼館や賭博場の周りは避けるべきなんだが、お前らには関係ねえな」
子供たちが感嘆の声をあげる。レカはため息をついて額に手をやり天を仰いだあと、めんどくさそうに歩み寄りながら声をかけた。
「おいガズボよぉ、闘技場のチャンピオンから路地裏の先生に転職かぁ?」
ガズボも気付いたようで、レカを見る。加えて隣にいるテルにも目をやる。彼の目に浮かぶのは、面白そうな獲物を見つけた獣の輝きだった。子供たちも一斉にレカの方を向く。
「あ! レカねえちゃん!」
「テルお兄ちゃんも! いつもと違う格好!」
「レカ姉ちゃん! このおじさんすげーんだぜ! 傭兵ギルドのこと色々知ってんだ!」
タンザ含む子供たちが嬉しそうに声をあげた。レカは複雑な表情をする。テルも何か言おうとしたが、豪快に笑うガズボの迫力にかき消されてしまった。
「ギャハハハハ! デート中に俺なんかに出会っちまって災難だなあ、姐御ぉ!」
彼がバカ笑いすると、血の匂いと獣の臭いが混じった独特の香りがする。レカがシャルトリューズを叱った時のような殺気を出しかけるが、子供達を見てすぐに収める。そして深呼吸すると、大声を出した。
「ふざけんな! 子供に何教えてやがる! 手付金もらって逃げるだとぉ? 捕まるに決まってんだろマヌケ!」
ガズボはニターっと凶暴な笑みを見せる。鋭い牙が何本も剥き出しになり、ゆらりと立ち上がる。彼の巨大な体格は、立ち上がるだけで子供たちを圧倒する。今しがたまで優しく生きる知恵を教えてくれていた大きなおじさんが、急に剣呑な雰囲気を発し始めたことに子供達はみな困惑する。
「ククク、 あんたは相変わらず真面目だなぁ、姐御よぉ。このガキどもがまともに街で生きていけると思ってんのか?」
レカはカッと頭がゆだるように熱くなるのを感じた。しかしそれを制したのがテルだった。それまで後ろにいたのが、一歩前へ踏み出してレカの肩に手を置いて、言った。
「ガズボさん、貧民街の子供達は暗殺ギルドの保護下にあります。このような行為は、傭兵ギルドとの無用ないさかいをもたらします。倫理的にも許されることではありません」
ガズボは大口を開けて笑った。
「闘技場じゃあ男見せてたから骨があるやつかと思ったらヨォ! 所詮は温室育ちのヒョロガキだぜ! ギャハハハハ!」
そしてテルの前までのしのしと進んできた。腰に手を当てて見下ろす2メートル半の巨大な獣人。迫力に押されるテル。今度はレカがその前に立ち塞がる。
「ったくガズボ、どうしようもなく反社会的だなあ、オメーは。手付金詐欺ぃ? 冗談じゃねえ。子供なら単なる帳簿上の数合わせがほとんどだ。評議会から規定の人数分の金をくすねるためのな。評議会だってそれくれーいちいち取り締まったりしねえ。……だが傭兵ギルドから金をくすねようとするなら話は別だ。あいつらは容赦がねえからな。ガキでも首も飛ぶ」
レカの声は氷のように冷たかった。ガズボはその目を見て、わずかに表情を引き締めた。だが、すぐにニヤリと笑い、両手を上げる仕草をして身を引いた。
「そーんな怒んなって。俺様のスキームはそこんところ考えてっからだーいじょうぶだってぇ。捕まんなきゃいいって話だ。ガキども、よぉく聞いて覚えておけよ? 金を受け取ったらおいたんのところへ持ってきな! ニセ金貨じゃねえか確かめてやるからヨォ……」
その言葉を聞いた瞬間、ガズボがしようとしていることを、レカは察する。
「このヨゴレが……」
レカが怒りを込めて呟いた言葉に、ガズボは挑発するように小首を傾げた。
「別に構わねえじゃねえか? ええ、姐御よぉ。おめーんとこのボスに捕まった時みてえに、強盗殺人やりまくって捕まえにきた冒険者ギルドの雑魚を返り討ちにしてるわけじゃねえんだからよ。真っ当なディールだぜ? ケケケ……」
レカの瞳に赤い光が宿り始めた。その血の力が、その体内で目覚めつつあるのを感じる。もう生かしちゃおけんとばかりに激昂したのだ。彼女は本能的に拳をを握りしめる。ガズボの分厚い巨体すらつらぬく超人的な威力の拳を。
「レカ!」
その瞬間、テルが彼女の腕を掴んだ。その手の感触が、彼女の意識を現実に引き戻す。レカはバッとテルを振り返る。そこには穏やかな幼なじみの顔があった。
「落ち着いてよ、ね?」
テルの声には、強い懸念と静かな決意が混ざっていた。彼はガズボに向き直った。
「ガズボさん、私もリリアさんの救貧院で子供たちと触れ合ってきました。彼らには盗みとは別の道があります。犯罪が彼らの日常になる前に、救いの手を差し伸べるのが大人の責任です」
ガズボはクスクス笑いながら、鋭い歯を露わにした。
「おやおや、勇ましいじゃねえか」
ガズボはずいと前へ出てお辞儀するように腰を折り、テルに顔を近づけた。凶悪な顔が間近に迫り、思わず表情が凍るテル。むわっとする獣臭が彼の肺に入り込んでくる。
「だったらお前が彼らに仕事をあてがってみろよ。こいつらがゴミ拾いや皿洗いで暮らしていけんのか?」
そしてそう言って太い指でテルの薄い胸板をつっついた。テルの目が泳ぐ。
「そ、そうだな…」
テルは一瞬ひるんだが、すぐに表情を引き締めた。彼の青い瞳に決意の光が宿る。
「やってみせます!」
その言葉に、レカは少し驚いた様子で眉を上げた。
…。
午前中、テルが必死に駆けずり回った結果、見込みがありそうだったのはミーチャの飲んだくれ夫が言ったあるセリフだけだった。
「仕事ぉ? そういやぁ、互助会の連中が人手が足りねえとか言ってたな……」
犬系の獣人の彼は、病気でまだらにハゲた毛皮をボリボリかきながらそう言った。中央の工房の盗品由来らしい工業用のアルコールをちびちびやりつつ。レカが「ミーチャに優しくしているか?」と問うた時に目を逸らしたので、詰められていた。
テルが喜び勇んで貧民街の亜人種互助会へと赴き、話を繋げてもらう。結果として彼らは、貧民街でもまともに話ができる人間に会うことができた。
「失礼します。亜人種互助会の会計を担当しているものです」
排泄物の跡がない綺麗な木造の建物の中に彼はいた。鹿の血を引く獣人だった。天井へと広がる角。商会の人間としても通りそうなきちんとした身なり。雄鹿特有の威厳と落ち着きを湛えた眼差しで、テルとレカを交互に見つめている。首から下げた真鍮の小さな時計を時折気にしながら話す仕草は、ここではあまり見かけない余裕の表れだ。
「下水道清掃の件、評議会からの予算も少しついておりますので、働き手がいれば報酬はきちんとお支払いできます」
受付台の奥の書類棚から取り出した帳面には、几帳面な筆跡で数字が並んでいた。
「確かに、レカさんが指揮をとって作業に当たってくだされば、評議会にも良い印象を与えることでしょう。互助会としても、このような連携は非常にありがたい。報酬に関してはこちらの通り」
彼が示した書類には、意外にもまともな金額が記されていた。おそらく彼の堅実な会計管理のおかげで、互助会は他のギャングめいた貧民街の組織よりも、少しだけ豊かなのだろう。牡鹿の獣人は説明を続けた。
「今期は労働力が著しく不足しておりまして……。普段なら大型獣人たちが担当するところなんですが、連行されてしまいました」
「なんでだ?」
レカが聞くと、彼からはさらりと、
「闘技場の反乱に関与したとかで」
という答えが返ってきた。レカはまた複雑な表情をした。
牡鹿の彼と共に互助会の建物を出てガズボや子供たちを連れ、目的地へ向かう。道中、テルは子供たちに自信満々に説明していた。彼の熱意に、タンザを含む子供たちも少しずつ興味を示し始めていた。しかし、現場に到着すると、みんな一斉に元気を失ってしまう。
「うわぁ…」
下水道。あまり普段気にしないものだ。よく詰まるのでみんなが悪態をつく対象ではあるのだが、誰もそのインフラとしての仕組みを意識しない。仕事を求めるレカとテルの一行が案内されたのは、橋の下、河へと汚水を流すアーチ状の下水道入り口。そこはすでに異様な光景だった。緑青が浮いた巨大な鉄格子の扉が取り外され、黒々とした穴が口を開けている。その内部からは生暖かい湿気とともに、言いようのない悪臭が立ち上っていた。
「これが作業現場です」
牡鹿の担当者が淡々と告げるその言葉に、全員が息を呑んだ。階段を降りると、その規模の途方もなさに全員が言葉を失った。携帯魔光灯のクリスタルの淡い青が照らし出したのは、想像をはるかに超える惨状だった。褐色の汚水が足首まで浸かる通路に、何かのガレキがうずたかく積もり、下水の流れを完全に塞いでいる。壁には年月をかけて形成された汚泥が分厚い層となって付着し、ところどころに不自然な汚い膨らみを作っていた。天井からは絶え間なく何かが滴り落ち、その音が不気味な反響を生み出している。
「これ……を……?」
タンザの声が震えた。他の子供たちも恐怖に目を見開いていた。テルは青ざめた顔で歩み寄り、壁の一部に手をかざした。指先で触れるだけで、年季の入った汚泥が崩れ落ちる。その量たるや、彼らが持参した小さなバケツでは到底追いつかないほどだった。レカですら言葉を失い、ただ立ちすくむ。彼女の頬に汗が流れ落ちる。その顔には、予想をはるかに超える困難を前にした戸惑いが浮かんでいた。どんな暗殺対象でも、ここまで厄介だった相手はいない。汚水の中には、はっきりとは言えないが、何かの骨らしきものも浮かんでいる。大きな、人間や獣人のような……。
周囲の壁から、時折何かが動く気配がする。おそらくは巨大なネズミか何かだろう。子供たちは互いに身を寄せ合い、一番年少の子は、もう泣きそうな顔をしている。タンザも強がっていたが、明らかに絶望していた。誰もが打ちのめされたような沈黙の中で、牡鹿の自治会員が持つ魔光の灯りが不気味に揺らめいていた。貧民街の住人たちでさえ吸い込むのを憚るような悪臭と、絶望的な仕事量の前に、彼らの意気込みは一気に萎んでいった。
一旦みんなが地上に戻ったとき、けたたましい轟くような笑い声が響いた。
「ギャハハハハ!」
ガズボだった。腹を抱えて大笑いしている。
「この貴族のボーヤはほんとによぉ、熱意さえあればなんでもできる気でいやがる。これがおめーの実力だぜ」
テルは言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。ガズボの言葉は痛いほど的を射ていた。そう、この区域に簡単な仕事がそうそうあるはずもないのだ。彼は肩を落とし、子供たちも期待を失ったようにうな垂れ始める。
その時、レカが一歩前に踏み出した。
「あいだだだだだ!」
突然の獣の叫びに、全員が驚いて振り返る。レカは怒りに満ちた表情でガズボのエルフのように尖った耳を引っ張っていた。そして睨みつけながら言う。
「オメーがこれからやるんだよ。あーしも手伝うから。子供たちはバケツを」
その言葉に力を得て、テルは再び背筋を伸ばした。
「レカ……」
彼女は返事の代わりに、すでに作業に取り掛かっていた。階段を降りて最下層へ行き、持ち前の怪力でガレキの木片を砕く。その姿を見た子供たちも、少しずつ動き始める。ガズボは腕を組んで見ていたが、やがて大きなため息をついた。
「チッ、しょうがねえな」
そう言うと、彼も巨大な体を動かし始めた。獣人特有の力強さで、一人で何人分もの仕事をこなしていく。テルは無言で掘りに飛び込んだ。貴族の息子として育った彼には過酷な労働だったが、彼は決して弱音を吐かない。彼の姿に励まされ、子供たちも懸命に働き始めた。冬が近づいているせいであまり高くのぼらない日は、すでに正午の位置をすぎていた。




