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マリオネットとスティレット  作者: 北條カズマレ
第四章 冒険者のプライド
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第三十五話 ピンク色の絶望

「えー! かわいそー! 起きたばっかで連れてこられちゃったのー!? レカちゃんひっどーい!」

 シャルトリューズはテルと挨拶をした後、そう叫んだ。

「うっ……」

 流石のレカもこれには言い返せない。触手の娼婦は。部屋に入ってきたテルの姿をみるなり、あれこれ世話を焼いた。テルが身に着けていたのは、明らかに寝間着のままの簡素なガウン。レカに急かされて着替える間もなく連れ出されたことが一目でわかる。朝早くから事件に巻き込み、そのうえ貴族の子にふさわしくない服装で貧民街へ連れてきたことへの罪悪感が、レカの反論の余地を消し去ってしまう。シャルトリューズは嬉しそうに手を叩くと、テルの周りをくるくる回り始めた。

「あらあら、これじゃあ貧民街で襲われちゃうわよ! こんな上等そうな生地、どこの貴族の子かすぐわかっちゃう!」

 彼女の桃色の肌が微かに光を放ち、その目は何かを企んでいるような輝きを帯びていた。長い髪が一瞬だけ触手の本性を現し、空気中で踊るように揺れる。

「シャル、お前……」

 レカが警戒するような目を向けた。

「いいのよ、いいのよ!」

 シャルトリューズは軽やかに言うと、突然クルっと回って部屋の奥へ駆け込んだ。

「ちょうど持ってるものがあるの!」

 彼女は大きな箪笥をガラガラと引っ張り出すと、中から布の束を取り出し始めた。様々な色や素材の衣服が床に投げ出される。

「よいしょ、よいしょ……あった!」

 テルとレカが困惑の表情を交わす間に、シャルトリューズは深緑色の上着と黒のズボンを取り出した。上着には控えめながらも上質な刺繍が施され、黒ズボンは丈夫そうな素材で作られている。

「これ、前にお客さんが置いていったのよ。貴族の若い使用人が着るような服だから、目立たないし質もいいの!」

 シャルトリューズはテルに服を差し出し、満面の笑みを浮かべた。

「あ、いや、僕は……」

 テルは戸惑いながらも、その服に目を向ける。確かに質は良さそうだが、貴族の身分を隠すには十分に地味だ。

「受け取れよ」

 レカがぶっきらぼうな声で言った。

「迷惑料みてーなもんだ」

 テルは一瞬ためらったが、すぐ頷き、シャルトリューズに笑顔を向けた。

「ありがとう、シャルトリューズさん」

 触手族の女は気をよくしたようだった。

「いいのよ! うちの店の常連になって返してよ! なんてね♡」

 シャルトリューズは冗談めかして言い、ウインクした。テルは自分よりずっと背の高い美女に詰め寄られ、つい後退りする。それに対しさらに詰め寄るシャルトリューズ。180cmのスラリとした背丈、横に大きく広がった触手の髪、逃げられそうにない。その歩き方は、まるで獲物に忍び寄る猫のように、どこか誘うような雰囲気を漂わせていた。

「はい、これ!」

 そして上着をテルの胸元に押し付けた。薄い胸板にそっと娼婦の指が這う。

「ちょうどいいサイズだと思うわ〜」

 彼女の身体が不自然なまでに近づいていく。

「あ、ありがとうございます」

 テルは愛想笑いを浮かべながらも、明らかに居心地の悪そうな表情を見せた。

「着てみない?」

 シャルトリューズの声は蜜のように甘く変わり、彼女の髪の毛が突然触手に変化して動き始めた。

「……手伝ったげるぅ?」

 触手の一本がテルの肩に触れようとしたとき、彼は反射的に身をすくめた。

「え、いや、自分で大丈夫です」

「そんなこと言わないで〜」

 シャルトリューズはテルの背中にまわり、するりと後ろから抱きしめる。そして手が彼の華奢な体に絡み、ガウンの紐に伸びた。

「この結び方、素人っぽいわね。こうやって解くのよ〜」

 触手がテルの首をなでつつ、手が紐に伸びた瞬間、ピシッという鋭い音が響いた。一瞬で、部屋の空気が変わった。リラックスしてテルにもたれかかるようだったシャルトリューズの顔が凍りつく。窓ガラスすらヒビが入りそうな緊張感の源は、レカだった。シャルトリューズは恐る恐る彼女の主人の顔を見た。

 その赤い瞳には、冷たい炎が燃えていた。

「シャル」

 その一言だけで室温が数度下がったかのような冷気が流れた。シャルトリューズはスッとテルから離れる。

「あはは、冗談よ〜」

 シャルトリューズは笑ってテルから離れるが、髪に戻してスルリと引っ込めようとした触手をレカがむんずと掴んだ。

「いたたた!」

 哀れな触手女は抵抗したが、しかしレカの掌は鋼の万力のように放さなかった。ピンクの髪の毛の姿を取っていた触手がねばついた正体を表す。

「あたた! レカちゃ、力強ぃ〜!」

「わかってんだろうなぁ……おい」

 レカの声は低く、まるで刃物のように鋭かった。

「オメー、だいぶデカいやらかしやってんだから調子乗るなよ……?」

 テルはレカに向けて、

「や、やめてあげてよ、ね……?」

 と控えめに言い、そこでやっとレカはシャルトリューズを離した。髪を解放された彼女は、部屋の隅まで逃げると肩をすくめ、降参のポーズを取った。

「わかってるわよ〜。だって、テルくんみたいなカワイイ子、あのでっかい子みたいに扱ったらこわれちゃうしぃ〜」

 レカは大きなため息をつき、グローブについた粘液を飛ばしたあと、疲れたように額に手をやった。

「今日は厄日だな……すまん、テル……」

「あはは、いいからいいから……そ、その、ハーマンも無事だったし……」

 テルはレカをなだめつつ、シャルトリューズの方にも笑みを向け、どう反応すべきか分からない様子だった。ガウンの紐をとりあえず再びきつく結び、愛想笑いを続けながらも視線をさまよわせている。

 レカは金髪を垂らしてうなだれたまま、部屋の向こうのドアを指差した。

「服、着替えな。あっちで」

 テルは感謝するように頷くと、シャルトリューズから衣服を受け取り、隣室へと逃げるように向かった。

「もー、本気にしちゃってー」

 シャルトリューズはレカに寄ってきてふくれっ面を作った。しかしすぐにニヤリと笑った。

「でも、レカちゃんが嫉妬するところ、初めて見たわ」

「うるせぇ」

 レカの声がいつもと違うのを、シャルトリューズは見逃さなかった。

「テルきゅんのためにムキになっちゃって〜、幼なじみのおねーさんの保護欲よりずっと複雑そうねえ」

 シャルトリューズは今度はレカにするりと触手を絡ませる。

「そーゆー子はね、さっさと押し倒しちゃった方がいいのよぉ〜。アトリエに出入りしてるって言ってたわねえ。あ! 流石にもうヤッてるかあ!」

 レカは視線を落としたまま、グローブに覆われた拳をシャルトリューズに突きつけた。

「あと一言でお前の触手全部むしりとる」

 シャルトリューズは肩をすくめた。

「ごめんごめん。ねえ、レカちゃん? ウチもちゃんと反省はしてるのよ?」

 シャルトリューズは箪笥や衣服を片付けながら言った。

「あっそ」

 レカは興味なさそうに言った。シャルトリューズは片付けをしながら構わず続ける。

「そもそも~、亜人種の娼館にわざわざ来るような貴族って、ちょっとしたスリルを求めてるんでしょ?  普通の体験なんて期待してないはずよ~。ちょっとやりすぎちゃっただけぇ」

 レカはため息混じりに、

「まあ……発狂させなくて良かったじゃねえか」

 もうまともなコメントもない。シャルトリューズは重い箪笥を触手も手も全部使って持ち上げ、どしんとクローゼットにしまった。亜人種としてのその力は、獣人並み、人間以上だ。振り返った彼女は、嬉しそうに笑った。

「そーそー、殺さなくてよかったー。素敵な男の子だったんだもん〜」

 シャルトリューズは触手を揺らしながら言い訳する。その時、部屋のドアが開く。てっきりテルが着替え終わったのかとおもったら、開いたのはロビーに通じるドアだった。

「ちょーっと、ノックくらいしてよねえ」

 入ってきたのは、娼館の支配人だった。朝だというのに疲れ切った顔で、白髪混じりの髪を撫で付けている。

「くだんのお客様は、今お帰りになられました。オオゴトにはしないということで……」

 レカはホッとした様子で答える。

「よかったよ。下手すりゃボスにまでお出まし願わなきゃならなかった。テルが上手く交渉してくれたようだな」

 支配人は一礼した。

「レカさんには本当に頭が上がりませんよ。まさかあの方のお友達を連れてくるとは……」

 レカは苦笑するしかない。都合よくピースがハマったというわけだ。テルにはこの後なにかプレゼントでもしないと……。

「あーあ、もう少し毒液が調整できれば記憶をきれいさっぱり消してたんだから助けなんていらなかったのになーっ」

「おい、シャルっ!」

 レカが怒声を飛ばす。娼館の支配人はそれを聞いて笑った。重々しく、敵意に満ちた笑みだった。元ベテラン暗殺者としての凄みが垣間見える。

「もうたくさんだ。役立たず以下の触手族め」

 シャルトリューズのふざけたナヨナヨした動きが止まる。触手がピタッと動きを止め、本来柔らかいはずの先端が槍のように尖る。レカはまずい、と思った。

「落ち着け」

 取り成そうとするが、支配人の方は怒りが収まらない。それも当然だが、レカは気が気ではなかった。彼は言葉を続ける。

「ふん。タティオンのやつが甘やかしてるのがわるいんだ」

 シャルトリューズがレカをチラッと見た。ボスへの敬意を欠いた言動は、レカの怒りを一番買う行為である。しかし彼女は冷静に宥めるように両手を上げた。

「まあまあ、あんたの気持ちもわかるが……」

 だが支配人は収まらない。彼も以前は凄腕で鳴らした暗殺者である。赤い瞳の超人的身体能力こそないものの、だからこそ同じ境遇のスタヴロにも技術を教えたことがある。足を怪我しなければ、今でもスタヴロの部隊で働いていたかもしれない。だからこそ、こんな場所で亜人種の娼婦の面倒を見ているいることに、思うところがないでもなかった。

「まったく、触手族の出来損ないめ……。お前みたいな種族、絶滅したのは当然だ。ああ、そうそう。お前が滅したんだったな!」

 その一線を超えた差別的な言葉は、部屋に響いたあと、沈黙をもたらした。シャルトリューズの体が一瞬ピクっと硬直した。さらに尖った触手が支配人の方に向き、彼女の目から光が消えた。

「おい」

 レカの赤い瞳が一瞬だけ強く光った。その本気の怒りの声は、部屋の静寂にさらにもう一枚、黒いベールを被せるようだった。レカはゆっくりと、しかしベテランでも反応できない独特の歩法で支配人に近づいた。

「うっ……!」

 支配人は一瞬だけ、死の恐怖を感じた。明らかに生まれながらの差がそこにあった。もし彼の足が十分に動き、全盛期の頃の動きができたとしても、レカには勝てない……。そう思わせる殺気を、彼は全身の毛穴から吸い込んだ。血が凍りつくようだった。

「もう十分だ」

 レカの声は低く、有無を言わさぬ雰囲気を帯びていた。支配人は思わず一歩後ずさる。

「支配人さんよぉ。いつもこいつらの世話焼いてくれてるのには感謝する。でもな、あんまりいじめるようなことは言わねえでやってくれや。次、そういうこと言ったら、ボスに報告する。種族間融和は、最近の我がギルドの方針だ」

 支配人の顔から血の気が引いた。彼は一瞬で黙り込み、小さく頭を下げると急いで部屋から退散した。

 レカは静かに息を吐き出すと、壁にもたれかかった。そしてシャルトリューズはまだ硬直したままだったが、そんな彼女に優しい言葉を投げかける。

「あいつの言うことなんか気にするな」

 レカは真剣な眼差しでシャルトリューズを見た。

「お前は……お前のままでいいんだよ。誰が何と言おうとな」

 シャルトリューズは少しずつ普段の調子を取り戻し、触手を再び揺らし始め、感情が和らいでいくとともにそれは髪の毛に戻り始めた。しかし彼女の目には、まだ小さな傷の色が残っていた。

「このままでいい……」

 シャルトリューズはその言葉をつぶやいた。レカは今し方までのこの哀れな触手女への怒りが消え、哀れみを感じ始めているのを自覚していた。

(つくづくあーしも甘いねえ……)

 その時、隣の部屋のドアが開いて、テルが顔を出してきた。流石に今の雰囲気を察してドアの向こうで待っていてくれたらしい。

「おー、いいじゃねえか」

 レカはテルが着た服を見て、感嘆の声を上げた。この重い雰囲気を何とかしようと、あえて大げさに。深緑色の上着と黒のズボン。上着は上質な羊毛で仕立てられ、襟元と袖口には金糸で控えめながらも洗練された植物模様の刺繍が施されていた。比較的シンプルながらも、素材と縫製の良さが一目で分かる逸品だ。貴族に連なる者の地位を主張しすぎない品位で示していた。街のどこにいても場違いにならない、実用性と格式を兼ね備えた衣装。レカは腰に手を当てて感心した。

「上級貴族の屋敷の執事見習いが、貧民街にお使いにきましたってところか? それなら誰にも手を出されねえだろーよ」

 テルは照れくさそうに頭を軽くかいている。

「なんか、演劇でもしてるみたいだけど、ハハ……」

「ねーねー、レカちゃーん。ウチはね?」

 しかしそんな明るさも、シャルトリューズのお気に召さなかったようだ。暗い声で話し始めた。その声は媚薬粘液のむせ返るような香りを伴っていた。レカは注意しようとしたが、シャルトリューズのいつにない真剣な様子に、慣れている自分がテルの前に立ち塞がるだけにする。感情が昂ると毒が制御できなくなる……シャルトリューズが持つ厄介な性質だった。

「ウチはねえ、ウチはねえ、このままでいいなんて思ったことないんだよ。

 振り返ったその顔は、ピュアな絶望といったおもむきで、緑の瞳には、暗い闇が見てとれた。レカは黙って、朝日が差し込み始めた娼館の部屋で、寂しげな亜人種の女を見ていた。シャルトリューズは続ける。

「そのままでいいなんて言われても嬉しくないんだよ。このままでいたいだなんてこれっぽっちも思ってないのにー。生まれ持った性質のままに生きれば、雑に幸せになれるって言いたいんだよね? でもね、ウチは……ウチは……」

 そう言って、自分の体が憎悪の対象であるかのように、触手の一本を掴み、本気で握る。ギチギチブチブチと音が出る。触手族として彼女もまた、それなりに力のある人外の存在だ。肌が薄いピンク色であることと、触手がある以外、人間そのままに見える手であっても、握力だけで通常の人間を殺すことができた。そんな力が今、自分の触手に向けられている。レカはそんなさまを見ても、面食らうことはない。……痛みはないのだろうか。レカは毎度不思議に思う。彼女の自傷行為を見るのは、初めてではない。それに彼女は……。

「ふんっ!」

 シャルトリューズが触手の一本を本気で引っ張った。それは限界まで伸び切ったあと、ブチっとちぎれて、床の上に落ちる。飛び散った粘液がテルの方にも飛び、レカはその前に急いでそれを体で受けた。彼女のレザースーツは毒を通さないからだ。テルはすっかり驚いて縮こまってしまっているのが、背中越しでもわかった。シャルトリューズは、さらに体から発する毒の霧を濃くしながら、言った。

「ウチは、子供を持つ幸せからも、好きな人を愛する幸せからも、追放されてるんだ。自分の性質なんか、大っ嫌いだよ……っ!」

 驚くべきことに、彼女の触手がちぎれた傷跡から、すぐにもう一本が生えてきて、元通りになってしまった。シャルトリューズは、悲しげな緑色の瞳を、レカに向け、それからその後ろのテル少年を見た。シャルトリューズがククク、と笑う。

「ふふ……リストカットの真似事を見るのは初めて? 部屋から出た方がいーよ。お年頃の少年には……少し刺激が強いかもね」

 レカとテルはシャルトリューズの部屋から出ていった。テルは最後にありがとうと言ったが、少し咳き込んだ。

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