後編 エピローグ
先生と長い間、話しこんでいたら、窓の外はすっかり夕焼け色になっていた。
一息ついたところで、先生は窓の外を見て、目を細める。
「あぁ、もうこんな時間ですか」
私も橙色の空を見ながら、ぽつりと言う。
「平和式典は終わった頃かしら」
「終わったでしょうね。お父さんは、戻ってきたかもしれませんね」
「そうかもしれないわ。あーあ、私も式典に行ってみたかったな」
口を尖らせて言うと、先生は不思議そうな顔をした。
「……そういえば、サニーさんと聖女様は、式典には参加しないで、村でお留守番でしたね」
「そうなの。私とお母さんの分の招待状を王様からもらったんだけどね。レイニーおじ様がね。式典に出ると王様と会うことになるから、行っちゃダメだって言ってたの」
「それは、どうしてですか?」
「うーん。なんかね。政略的な駒に使われるからだって。お母さんは厄災の魔物を倒した聖女だし、お父さんは勇者。私はとても価値がある子だから、他所の国に行かせることも考えるだろうって」
「……それは……」
「王様はキレイな顔をして言葉は優しいけど、腹黒だから、私の気持ちを考えないことも平気でするって」
レイニーおじ様は、そう言い切っていた。
――いいか。サニー。お前は平穏な時代に生まれた子だ。自由に生きていいんだ。お母さんも、お父さんも、ウィズ様も、俺も、サニーが好きなことをして、笑っているのが一番だと思っている。だから、王様に会ったらダメなんだ。
レイニーおじ様は真剣な顔で、難しいことを言っていた。
「式典に出るのは、わがままだって分かっているけど、中央都市に行ってみたかったな……」
村の風景は好きだけど、都市はキラキラしたものがたくさんあるって聞いた。
どんな素敵なものがあるんだろう。
考えるだけで、ワクワクする。
「……サニーさんは周りの話をよく聞いて、自分でもしっかり考えられているんですね」
「え? そうなの?」
「えぇ、そうですよ」
先生は優しい声で言った。
よく分からなかったけど、褒められたみたいに思ったから、ちょっぴり照れる。
私はうずうずしながら、先生に一番、尋ねたかったことを聞いた。
「ねぇ、先生」
「はい。なんですか」
「王様はなんで魔物になっちゃったのかな。ウィズおじいちゃんに聞いても、答えは教えてくれないの」
目をぱちぱちさせながら尋ねると、先生はひゅっと息を飲んだ。
先生の顔をじっと見て答えを待つ。
教えてほしい、ほしいって目で訴えてみたけど、視線はそらされてしまった。
先生は窓の外に顔を向ける。
――あ、この顔って……お母さんに似ている。
景色を見ているようで見ていない。
切ない顔だ。
「……先生? 故郷を思い出しているの?」
先生ははっと目を開いて、私を見た。
「どうして……わかったんですか?」
「先生の横顔、お母さんにそっくりだったから……」
とても切なそうで、見ていると私まで哀しくなる顔をしていた。
「サニーさんは聡いですね。えぇ、少しだけ思い出そうとしていました……でも……」
先生は力なく微笑んだ。
「故郷がどんな風景だったのか。私にはもう思い出せません……」
「そうなんだ。悲しいね」
素直な気持ちを言うと、先生は泣きそうな顔になる。
「……あなたは本当に聖女様と勇者様の子ですね。……心がキレイで優しい」
「そう、かな?」
ちょっと照れながら答えると、先生は穏やかに微笑む。
「王様が魔物になってしまった話でしたね」
「うんうん。私、それを知りたいの!」
「……残念ですが、私も分かりません。誰も、分からないのです。私は王様ではないので」
「んんん?」
「何を考えて、何を感じていたのかなんて、本人じゃないと分かりません。あれこれと想像はできますけどね」
「じゃあ、考えるだけ、ムダなの?」
「ムダなんてことは……」
先生は困った顔をして、私に質問してきた。
「サニーさんは、どうしてそんなに、王様が魔物になった理由を知りたいのですか?」
「えっ……?」
「……あまり気持ちのよい話ではないでしょう? 考えなくてもいいんですよ」
先生は諭すような声をだした。
私は先生の顔をじっと見つめた。
やっぱりお母さんと同じ。
私まで哀しくなる顔をしている。
「お母さんに笑ってほしいから」
私は心に宿った思いを吐き出した。
「先生にも笑っていてほしいから。おじいさんにも、おばあさんにも、私は笑っていてほしいの!」
先生はびっくりしたみたいで、目を丸くした。
「お母さんに、みんなに、哀しい顔をさせているのは、魔物のせいでしょ? だから、私は絶対に魔物になりたくない! 誰も魔物になってほしくない! だからね。どうして人が魔物になっちゃうのか知りたいの! それが分かれば、人を魔物にさせないようにできるはずだもの!」
興奮して、頬が熱くなっていく。
「レイニーおじ様は、私は平穏な時代に生まれた子だから、自由にしていいって言ったわ。でも、みんなが戦ってくれたから、私は自由なんでしょ? そう、ウィズおじいちゃんが言ってた! だから、私は――」
はっと、息を吸い込んで、思いを言葉にのせる。
「誰も魔物にならない世界にしたい! そのために戦いたいの! お母さんと、お父さんと、ウィズおじいちゃんと、レイニーおじ様と、先生が! みんなが戦ったように、私も戦いたい!」
そう言うと、先生は眩しいものでも見るように目を細くした。
「……あなたは魔物にはなりませんよ……」
「え? そうなの?」
「えぇ……サニーさんは魔物にはならないです。絶対になりません……」
泣きそうな顔で、先生は言った。
「……もしかしたら、サニーさんみたいに魔物にならないと強く思い続けることが、大事なのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「……誰も、何も信じられずに、ありがとうと思うことさえ忘れたら、魔物になるってことです」
「うーん。難しいわ」
「ははは。そうですね」
先生は笑った後、肩を大きく上下させた。
「一緒に、考えてみましょうか?」
「えっ……先生も一緒に?」
「はい。目をそらさずに。逃げ出さずに。私も考えてみますね」
そう言った先生の顔は、切ないものじゃなかった。
スッキリと晴れた青空みたいな顔だ。
私は嬉しくなって、口の端を持ち上げる。
笑顔になると、先生も笑顔になってくれた。
「先生が一緒に考えてくれるのは、嬉しいな」
ふふっと笑ったら、きゅるっとおなかの虫が鳴った。恥ずかしい。
おなかをさすっていると、先生はくすくす笑う。
「そろそろお帰りなさい」
「うん。先生。お話、聞いてくれて、ありがとう」
「いえ……私の方こそ。サニーさん、ありがとうございました」
頭を下げられて、困ってしまった。
心がムズムズしてきて、私は両手をぎゅっと握った。
「あのね。先生。先生は故郷を忘れちゃったって言っていたけど……」
私は真っ直ぐ先生を見た。
「故郷に帰れるといいね」
「…………」
「ウィズおじいちゃんが言ってたよ! 故郷は特別なんだって! 自分が生まれた国は特別なんだって! 忘れられない場所なんだって! だから、ええっと……」
私は言葉に詰まったけど、それでも先生に言った。
「いつか、先生も、故郷に帰れるといいね!」
笑顔で言ったら、先生はまた泣きそうな顔になって。
「えぇ。……いつか、……いつか。もう一度。故郷に帰ってみたいです」と、言ってくれた。
先生の顔は哀しそうに見えたけど、切なさはわずかだ。
それにほっとして、私は鞄を持って、先生にさよならをした。
橙色に染まったあぜ道を、走っていく。
たくさん実をつけた小麦たちは、太陽の光で黄金色に輝いていた。
目の前は、眩しいほどの黄金一色。
私は興奮して、足を前へ前へ動かす。
もっと、早く。
早く、お母さんの所に帰りたい。
息を切らせて走ったけど、家はまだまだ遠い。
もどかしくなって、私はウィズおじいちゃんに教えてもらった空飛ぶ魔法を使ってみることにした。
まだへたっぴなんだけど、今なら飛べそうな気がする。
――サニーや。空を飛ぶ時は、自由だ、って思うことが大事じゃよ。誰にも何にも縛られずに、心のままに飛びなさい。
そうウィズおじいちゃんは言っていた。
今、私の心はとっても軽い。
きっと、先生とお話をしたからだ。
思いを全部、言ったからだ。
今なら、飛べそう!
足を強く踏み出す。
大きくジャンプして、呪文を唱えた。
ふわりと体が羽のように軽くなる。
足が地面につかずに、空気を踏んだ。
でも、飛べたのは、ほんの少しだけ。
もっと、もっと。
高く、飛び上がってみたい!
大きく息をすって、おなかに力を入れて、叫んだ。
「私は自由! 自由よ! 魔物がいない世界にするんだー!」
足に風がからみつく。
その瞬間、ぶわっと高く体が持ち上げられた。
私の髪の毛はぐちゃぐちゃになって、顔にへばりつく。
前が見えない。
足元が不安定で、手と足をバタバタさせた。
飛ぶのがへたっぴな鳥みたい。
顔にまとわりついた髪の毛を、手で払いのけて、下を見たら小麦畑があった。
私と同じ背の高さだった小麦が、ずっとずっと下にある。
稲穂が輝いて、キラキラ光っていた。
すっごくキレイ。宝石みたい!
私は両手を広げて、くるくる回る。
楽しくて、楽しくて、声をあげて笑った。
すいすい泳ぐみたいに家に向かっていたら、お母さんとお父さんとウィズおじいちゃんがいるのを見つけた。
ウィズおじいちゃんが私に気づいて、ほぉと声をだす。
「サニー! 飛べたのかい!」
「うん! 飛べたよー!」
「こりゃ、すごいわい! サニーは天才じゃ!」
嬉しそうなウィズおじいちゃんの声に、私はえっへんと胸を張ろうとした。
足にブレーキをかけたら、そのままストンと下に落ちた。
あ。
これって、まずいかも。
飛ぶのが、おしまいになっちゃった。
「ぎゃああああ! さにぃぃぃぃ!!!」
お父さんが絶叫しながら駆け寄ってきてくれて、私を受け止めてくれた。
お父さんの体にしっかりとしがみつく。
はぁ。ちょっと怖かった。
ほっとして、お父さんの顔を見ると、キリッとした表情になっていた。
私は気まずくなって、亀みたいに首をすくめる。
「サニーさん。飛ぶ時は、気をつけましょう。おとうさんは、とっても、心配しました」
カクカクした声でお父さんに言われちゃった。
私はしゅんとして「ごめんなさい」と呟く。
そうすると、ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
「はぁぁ……サニーが怪我しなくてよかったぁ……」
ほっとした声で言われて、ほっぺとほっぺをすりすりされる。
くすぐったくて、ムズムズしてきた。
「お父さん。苦しいから、離れて」
「ガーン!!!……サニーさんは、お父さんが嫌いですか?」
「……大好きよ。でも、苦しいの。離れて」
「お父さんは離れたくないです」
「今日は一緒に寝てあげるから、離して」
「えっ……? じゃあ、離す!!! ルナ! 今日は三人で寝よう! サニーが一緒に寝ていいって!」
パァっと目を輝かせたお父さんに、お母さんが微笑む。
「テオ、よかったですね」
「うん! 式典に一人で行ってたから、ルナとサニーに会いたくてしかたなかった。今日は三人で寝ようなー」
ニコニコ顔になったお父さんは、私を地面に下ろしてくれた。
幸せそうなお父さんの顔を見ていたら、私も嬉しくなって、お父さんの手とお母さんの手を握った。
「おなかがすいちゃった。おうちに帰ろう」
二人の手を引っ張って、歩き出す。
まあ、と声をだしたお母さんの声を聞きながら、私はご機嫌で言う。
「お母さんの作ったパンが食べたいわ。もっちもちのパン!」
ほっぺが落ちそうなくらい美味しいの。
私が大好きなパンだ。
「俺もルナのパンが食べたい!」
「えー、お父さんは食べ過ぎちゃうから、少しだけにしてね」
「お父さんもいっぱい食べます。サニーさんに叱られても食べます」
「えー! じゃあ、私もたくさん食べるもん! お母さんのパン、大好きなの!」
「お父さんもルナのパンが、大好きなんです!!!」
お父さんと言い合いをしていたら、お母さんがずっと鼻をすすった。
「もう、二人とも。食いしん坊なんだから……」
その声は、ちょっと哀しそうだった。
振り返ると、お母さんの目元は光ってみえた。
目もうるうるしている。
そんなちょっぴり切ない顔じゃなくて、笑顔が見たい。
私はお空の話をした。
「お母さん。私、うんと練習して、いつかお母さんをお空に飛ばしてあげるね」
「えっ……」
「お空から見る小麦畑は、とってもキレイよ! 夕方の小麦畑は、ぜーんぶが黄金で宝石みたいなの! 青いお空の下で見るのもいいだろうな。とってもキレイだと思うんだー」
にこにこして言うと、お母さんは指で涙を拭って、微笑んでくれた。
「そんなにキレイなのね。お母さんも見てみたいわ」
「じゃあ、絶対、見せてあげる!」
そう言うと、お母さんは綺麗に笑ってくれた。
小麦畑の黄金みたいに、キラキラした笑顔だ。
私は嬉しくなって、にっこり笑う。
「早く、早く! おうちに帰ろう!」
お母さんの手を引いて、走りだす。
「お父さんに任せなさい!」
お父さんが片手で、ひょいと私を抱っこする。
もう片方の手でお母さんも抱きかかえた。
そして、勢いよく走り出した。
私は楽しくなって、声をだす。
お母さんも笑っちゃっている。
ウィズおじいちゃんは、ふわふわ飛びながら笑顔で追いかけてくれた。
この一瞬が、とても楽しい。
みんなが笑うと、私も笑っちゃう。
だから私は、お空も飛ぶようにするし、魔物も出てこない世界にもするんだ。
私は自由な子。
みんなの笑顔は、私が守るんだ。
――めでたしめでたしの先へ END
この話では、作者の理想をたくさん詰め込ませてもらいました。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。誤字報告をありがとうございますm(*_ _)m
りすこ