第11話 殿、京極様がピンチでござる
1600年(慶長5年) 9月12日 近江国滋賀郡大津城
「殿!城は保ってあと2~3日かと…」
「むぅ…ここまでか…」
上杉征伐に出発した徳川家康に対し、石田三成が家康留守中の近畿にて挙兵。
味方を集めて上杉勢と呼応の構えを見せ、東へ向かう家康軍を追撃した
京極高次は当初石田方西軍へ参加していたが、9月3日に西軍を離れて居城大津城へ戻り、徳川方東軍への参加を宣言していた
これに怒った西軍の毛利元康や立花宗茂らが大津城を包囲し、壮絶な籠城戦となっていた
「殿~~~!堅崎郷の小舟木より使者が参っております!」
「なんだと?小舟木から?」
一人の忍びが小舟木勘三郎の文を携えて来ていた
「殿!書状には何と?」
京極配下の猛将、赤尾伊豆守が尋ねる
「大津城の危機の折りには、城を脱出し堅崎郷へ来られたし と言ってきおった」
「なんと…」
「ここはもう保たぬ。一か八か、包囲を突破して北へ向かおう。
伊豆守、騎馬隊のみで駆けられるか?」
「200騎であればなんとか…」
1600年(慶長5年) 9月11日 近江国滋賀郡堅崎郷
「我ら甲賀衆100名、小舟木殿の下知に従いまする!」
仁助が甲賀忍び100名と共に、小舟木勘三郎の前で膝を付いていた
大津城の京極高次が包囲されていることを知った勘三郎は、主君の危機を救わんと堅崎郷の兵200と共に出陣の準備を整えていた
その最中、不意に甲賀の仁助が100名の忍びを引き連れ、勘三郎の元を訪れていた
「仁助殿、一体何ゆえに…?」
「我が主の意志にござる。名は明かせませんが、我が主は徳川殿の勝利を願ってござる。
ここに居る甲賀衆は、今は百姓や商人・人足などそれぞれ生計を立てておりますが、これが最後の戦奉公と集まった有志にございまする」
勘三郎は困った顔で頭を掻いた
「しかし、此度は死にに行くようなもの。仁助殿たちを巻き込むわけには…」
「京極様にこっちに来てもらえば?」
鈴が事も無げに言った
「鈴。しかしここでは大津城以上に守りは難しかろう」
「比良山中の戦いを忘れた?アレをやれば、少なくとも大津城から迎えた京極様を逃がす算段はできるんじゃない?」
「ううむ…しかし…」
「三郎のおっちゃんたちもヤル気だよ」
三郎とは、甲斐の三郎という鈴の以前の上司だった
偶然高島の市で再会し、勘三郎に紹介して今は堅崎郷に住んでいた
甲斐の三郎が進み出る
「我ら旧武田忍び衆。年寄った者ばかりですが、平和の中では生きにくい者が30名は居りまする。
皆、ひと声かければ明日中にはここへ参りましょう」
「どう?兵200に忍び兵130 結構やれそうじゃない?」
「罠を設置している時間があるまい」
「私が総指揮を執れば2日で完了して見せるよ」
「むぅ…」
能見山が前に出る
「殿!お方様の言われる通り、ここへ京極様をお迎えいたしましょう!」
「………よし! わしが京極様へ文を書く!総員迎撃戦の準備を!」
「「「 応! 」」」
堅崎郷は上を下への大騒ぎとなった
兵として戦えない者はいち早く高島から船に乗り、八幡町へ避難した
田に水を引き、蚊帳を準備し、穴を掘って竹槍を備え
鈴の号令の元、迎撃戦の準備は本当に丸2日で終わった
1600年(慶長5年) 9月13日 近江国滋賀郡大津城
「では殿、先陣を仕る!」
「任せたぞ!伊豆守!」
「ハッ!」
大津城の城門を開き、先陣として騎馬100騎と兵400を伴って赤尾伊豆守が大津城の北を抑える立花勢へ突撃を仕掛けた
立花陣は一時混乱した
その混乱の隙を付いて、旗指物や馬印を出さずに京極高次が一路北へ駆けた
従う者は騎馬100騎のみだった
京極高次率いる100騎の騎馬隊はその日の夕方には堅崎郷に入った
遅れて、翌9月14日の朝には赤尾伊豆守が堅崎郷へ入った
従う者 騎馬10騎 兵50 にまで減っていた
赤尾勢を追って立花宗茂の軍勢1万5千は蓬莱山の麓 和邇郷に布陣
翌9月15日早朝より堅崎郷を攻め上るかに見えた
「布と墨を持てぃ!」
勘三郎が大声で叫ぶ
「殿、何をするのです?」
「ふっふっふ。まあ見ておれ」
言うや、勘三郎が白布に墨書しだす
後に挑発の名手と言われ、『引き寄せ勘三』の名を世に知らしめた戦い
『白髭坂の合戦』がいよいよ幕を開ける