第10話 殿、いざ関ヶ原でござる
1592年(天正20年) 7月 近江国滋賀郡堅崎郷
「おかしらぁ!水が出ました!」
「殿と呼べ!でかしたぞ孫六!」
我らが堅崎郷では、増える住民の口を賄う為に本格的に米作りに挑戦していた
現在の人口 250名
動員可能兵数 150名
今やいっぱしの郷士以上の勢力を有していた
人口が200人を超えたあたりで、勘三郎は交易による穀物の入手に限界を感じた。
生活用の小川だけでは水も足りなくなっていた。
そこで、本格的に元井戸を掘り、八幡町で実用化された竹製の水道の整備を行い、あわせて灌漑設備にすることを目指していた
技術指導には元甲賀の忍び 仁助が当たっていた
鈴は仁助の顔を見た瞬間固まったが、当の仁助は今は八幡町で商家の手代として生計を立てているとのことで、以前の事はお互い水に流してほしいと仁助の方から頭を下げられていた
「元井戸は首尾良く取れそうか?」
「それが…」
「どうしたのだ?湧いた水に不具合でもあるのか?」
「井戸の影響で川の水も増水しまして、水道を引くまでもなく水量が豊富な川になりまして…」
「なんと…まあ、せっかく作ったのだ。農業用水と飲み水を分けて使うことにしよう」
「放てーーー!」
ダダダダァーーーーン
先の戦いで鉄砲の威力を知った勘三郎は、朝倉旧臣の山本市郎兵衛を鉄砲組頭に、20丁の鉄砲を運用していた
鉄砲兵の調練は金がかかるので二か月に一度とし、それ以外は20名に増員された旧小舟木騎馬(鹿?)弓隊を鉄砲隊に武装変更していた
彼らは平時は優秀なマタギとして堅崎郷の山の産物を支える狩猟部隊である
必然、山中で動く獲物を相手に高精度な狙撃訓練を常時行うこととなった
おお… 意外に精鋭部隊っぽくなってきてるじゃないですか。殿
1595年(文禄4年) 4月 近江国滋賀郡堅崎郷
「皆さん、鍬・鋤の準備はいいですか?」
「「「おお~!」」」
堅崎郷の採集奉行・真野が並み居る面々を前に意気を上げる
ここ数年開催できていなかったタケノコ祭りだが、川の治水の為に土手に植えた竹林がようやくモノになり、春には立派なタケノコ産地となっていた
「ぐふふふふ。焼きタケノコにタケノコの煮物。鳥を詰めて焼いてもおいしいですねぇ♪」
「うれしそうね。真野ちゃん」
「お方様。それはもう、春はなんといってもタケノコですから!」
「まあ、おいしいけどね」
真野も既に40歳を超えていたが、食い意地だけは一向に衰えなかった
よほど幼い頃の食糧事情が悪かったのか…
ちなみに現在
勘三郎 42歳
能見山 52歳
真野 41歳
鈴が最初出会った時20ウン歳だったから…
「女性の年齢は詮索するものじゃなくてよ」
あ、はい
ちなみに、勘三郎の一子 嘉太郎能継は14歳
今年元服し、本格的にマタギの修行を始めていた
装束はもちろん、伝統の山賊スタイルだ!
「父上、私も鹿に乗りとうございまする」
「うむ、ならば鹿十郎を遣わそう。大事にいたせ」
「はっ!ありがとうございます!」
初めて乗る鹿に大きく尻を跳ね上げられながら、嘉太郎も空を飛んだ
「ぬぁぁぁぁぁぁぁ!」
「わっはっはっは」
…親子ですなぁ
1598年(慶長3年) 8月 山城国紀伊郡伏見城
「内府殿、お拾の事、くれぐれもよろしく頼みましたぞ」
「お任せ下され。この内府、必ずやお拾君を盛り立てて見せまする」
「なにとぞ、なにとぞ、よろしくお願い申す」
この年、天下を制した豊臣秀吉が死んだ
彼が起こした朝鮮出兵は、秀吉の名を乱世の終わりを告げる英雄から、戦を継続させる暴君としての汚名へと変え、民に愛された英雄豊臣秀吉は民の怨嗟の声の中で最期を迎えた
彼の死と同時に朝鮮へ出兵していた諸将は日本へ帰還し、朝鮮出兵の最中に醸成された武断派と文治派の対立は既に抜き差しならないものへとなっていた
「次はわしの番よ」
天下への野望に目を滾らせる徳川家康は、大坂城に入ると豊臣政権内部の主導権を取り、一種専横ともとれる独断政治を行っていく
天下は次なる大乱の気配に満ちていた
1598年 8月 近江国滋賀郡堅崎郷
「ぬぉぉぉぉぉぉぉ!」
ドボンッ
「殿!せっかく耕した田が台無しではないですか!」
「うるさい!親に対して生意気ではないか!」
「父上が本気でかかってこいとおっしゃるから…」
息子の嘉太郎とあぜ道で相撲を取っていた我らが頭領小舟木勘三郎は、息子に投げ飛ばされて派手に田んぼに落ちていた
一面に水を湛えた棚田の数々は、堅崎郷の食糧事情を大幅に改善していた
「能見山!手を貸せ!」
「まったくもう…」
ブツブツ言いながら手を差し出す能見山の手を掴んだ勘三郎は、豪快に引っ張った
ボシャーーーーン!!
「わはははははは!」
犬神家スタイルで田に突っ込んだ能見山がジタバタと足を動かす
これはシャレにならないと慌てて嘉太郎と共に救出していると、後ろに炎をまとった鈴と能見山妻女のたつがあぜ道に立っていた
「アンタたち……誰がその服洗うと思ってんの…?」
お方様…ニコニコ笑顔が逆に怖いです…
原型がわからなくなるほど頬を腫れ上がらせた勘三郎たち3人は、仲良くふんどし一丁で川で洗濯をしていた
「殿が巻き込むからこんな目に…」
「やかましい!黙って汚れを落とさんと次はないぞ…」
「父上…母上に勝てる武人は居るのでしょうか…」
「わからん。アレは今やわしでも勝てぬ」
「元々尻に敷かれてたでしょうに」
「うるさい!能見山も他人の事は言えぬであろう!」
大溝城主京極高次は、1591年(天正19年)に北条征伐の後の領地替えで近江八幡山城を与えられ、その後1595年(文禄4年)7月に滋賀郡大津城6万石の太守となっていた
堅崎郷はこのまま無事に乱世の終焉を迎えられるのか!?




