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1994年  作者: 夜空
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12/12

合流

 非常灯の不気味な赤に染まった廊下は、静まり返っていた。アフォンソはSCBAのマスク越しに周囲の気配を伺いながら、とにかく、一時的にでも身を隠せる安全な場所を探して壁際を静かに進んだ。

 前方、数メートル先。少し奥まった位置にある、頑丈そうな通路脇の機械室の扉が目に留まる。あそこなら、外からの死角になるはずだ。

 アフォンソは足音を殺してその部屋へ近づき、中へ入ろうと一歩を踏み出した。

 その瞬間だった。

 ヒュッ!!

 鋭い風切り音とともに、暗闇から突き出された棒のようなものが、アフォンソの顔を猛烈な速度で掠め取った。

「うおっ!?」

 突然のことにアフォンソは激しく驚き、バランスを崩してその場に尻もちをついた。床にバールが転がり、鈍い金属音が響く。

 咄嗟に身構え、襲撃者を鋭く見上げようとしたアフォンソの視界に、非常灯の赤い光に照らされた人影が飛び込んできた。

 長い髪、見覚えのある小柄な体躯。

「……ル、シア……?」

 そこに立っていたのは、ルシアだった。

 ルシアもまた、床に転がった男がアフォンソであることに気づいたようで、固く握りしめていた棒をゆっくりとしまった。マスク越しでも、彼女の瞳が驚きと安堵で大きく見開かれたのが分かった。

「ごめんなさい。あの化け物がやってきたと思って」

 ルシアは声を潜め、申し訳なさそうに、けれど心底ホッとしたような表情を浮かべてアフォンソに手を伸ばした。

「別にいいよ。俺も少し迂闊だった」

 アフォンソはそう言って苦笑し、差し出されたルシアの手を掴んだ。手のひらから伝わる確かな生身のぬくもりが、先ほどまでネイやドゥアルテに追われて凍りついていたアフォンソの心を、じんわりと溶かしていく。彼女の力に引かれ、アフォンソはゆっくりと起き上がった。

お互いの無事を確かめ、立ち上がったのも束の間。機械室の冷え切った空気の中に、気まずく、そして耐え難いほど重苦しい沈黙が支配した。

 アフォンソは呼吸を落ち着かせ、喉の奥に張り付くような声を絞り出した。未練残る目の前の女に、今このリグで起きている最悪の真実を伝えなければならなかった。アフォンソは、頑強な彼女ならこの衝撃を受け止められると判断したのだ。

「……カルロスとは、途中で進路を阻まれてはぐれた。あいつは、上のキャットウォークから外へ逃げたはずだ」

 ルシアは何も言わず、ただアフォンソの言葉をじっと待っている。

「それから……」

 アフォンソは一度言葉を詰まらせ、拳を痛いほどに握りしめた。

「ネイ、ドゥアルテ……ピエールも,オタヴィオも、みんなだ。みんな、あの化け物に成れ果てちまった。俺はさっき、大穴の底から這い上がってきたドゥアルテを、この足で蹴り落とした……」

 その言葉が落ちた瞬間、ルシアの身体がびくりと震えた。

「……そんな、嘘でしょう……?」

 ルシアの瞳から大粒の涙が溢れ出し、非常灯の赤い光を浴びて頬を伝う。つい数時間前まで同じリグの上で冗談を言い合い、共に過酷な仕事を乗り越えてきた仲間たちだ。それが全員、人間ではない「何か」に変質してしまった。その現実の重みに耐えかね、彼女の細い肩が激しく波打つ。

 ルシアの口から、抑えきれない嗚咽が漏れかけそうになった。

 それは、アフォンソにとって予想外だった。

 どんな過酷なリグの現場でも決して音を上げない、あの頑強な彼女がここまで混乱するとは。アフォンソは改めて今、自分たちが置かれている状況の深刻さに気づき、眉をひそめた。

「――ルシア、声を出すな。音を立てるな」

 アフォンソは咄嗟にルシアの肩を強く掴み、その口元を手で遮った。周囲の闇に鋭く視線を走らせ、怪物たちを引き寄せる引き金になりかねない「音」に細心の注意を払う。

 アフォンソはルシアの耳元で、静かだが引き締まった声を響かせた。

「今は泣くな。涙を拭け。お前の声を聞きつけたら、あいつらがすぐにやってくる」

 ルシアの瞳が、恐怖と悲しみで激しく揺れている。アフォンソは同じ現場を生き抜いてきた同僚の目を真っ直ぐに見つめ返し、魂を叩き起こすように力強く言葉を続けた。

「泣くなら、ここから助かってからだ。生きて安全な場所に辿り着いてから、あいつらの分まで思いきり泣けばいい。……だから今は、生きることだけを考えろ。いいな?」

 アフォンソの厳しくも確かな励ましに、ルシアは溢れそうになる涙を必死に堪え、小さく、けれど何度も深く頷いた。彼女の瞳に、絶望に抗うためのプロの作業員としての光が戻ってくる。アフォンソはそっと口元から手を離し、彼女が自力で涙を拭うのを静かに見守った。

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