表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君はまだ、本当の自分を知らない  作者: 曖昧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/29

初めて会った日

 これは僕が初めて緋依と会った日のことだ。


 その時間の電車は、僕がいつも乗っているものだった。朝のホームは、通勤と通学の人で溢れている。


 僕は、三番目の柱の前。階段に一番近い、いつもの位置に立つ。


 決まった時間。決まった場所。


 この一年、ほとんど同じ朝を繰り返してきた。


 イヤホンから流れる音楽も、だいたい同じ。プレイリストの一曲目が終わるころ、電車が滑り込んでくる。


 生活は単調だ。でも、それでいいと思っていた。


 電光掲示板をちらりと確認してから、イヤホンを外す。電車が滑り込んできた。扉が開くと同時に、人が流れ込む。


 僕は三両目の前寄りのドアから乗った。空いていれば、右側の吊り革の下。そこが僕の定位置だ。


 その日も、自然とその場所に立った。


 その時、ふと、前に立っている女性と目が合う。


 社会人だろうか。落ち着いた服装。淡い色のブラウスに、黒のスカート。派手じゃないのに、自然と視線が惹き付けられる。


 けれど一番印象に残ったのは、目だった。どこか、必死に何かを探しているような目。なぜか、彼女から目を離せなかった。


 電車が揺れる。


 吊り革を掴む指先が、少しだけ白くなっているのが見えた。


「あの……」


 彼女が、先に声をかけてきた。


「突然すみません」


 この時間帯は混んでいるため、人の目が気になる。


「いえ……」


 僕は少し戸惑いながら答える。


 見覚えはない。ないはずなのに。胸の奥が、妙にざわつく。心臓が一拍だけ、変な跳ね方をした。


「えっと、僕たち……会ったこと、ありましたっけ?」


 気づけば、そう口にしていた。自分でも不思議だった。初対面の人に言う台詞じゃない。


「なんか、すごく懐かしい感じがして」


 彼女の表情が、一瞬だけ崩れた。ほんのわずかに、息を呑む音。それから、ゆっくりと微笑む。


「いいえ」


 少しだけ声が高い。


「初めまして、です」


 その"初めまして"が、妙に丁寧だった。まるで、言い聞かせるみたいに。ああ、やっぱり。僕の勘違いか。


「そう、なんですね……なんかごめんなさい。変なこと言っちゃって。気にしないでください」


 僕は軽く肩をすくめた。


 すると、彼女は少しだけ視線を落としてから言った。


「……気に、しません」


 その言い方が、なぜか胸に残る。


「もしかしたら、運命かもしれませんね」


 冗談みたいに笑う彼女に、僕もつられて笑った。


「そんなこと、あるんですかね」


 けれど、彼女の目は笑っていなかった。何かをこらえるように、強く瞬きをする。


 その時、電車が揺れて、誰かが彼女の肩にぶつかる。その瞬間、彼女は少し俯いた。


 ……泣いてる?


 一瞬、そう思った。


 でも、次に顔を上げた時には、ちゃんと笑っていた。


「……私、緋依って言います」


 その名前を聞いたとき、なぜか胸の奥が少し痛んだ。


「拓真です」


 名乗ると、彼女はほんのわずかに息を詰めた気がした。僕の名前を、心の中で繰り返しているみたいに、唇がわずかに動く。


「……拓真」


 小さな声だった。電車の音に紛れるほどの。けれど、はっきりと聞こえた。


 初対面のはずなのに、彼女の前だと、遠い日のときめきが蘇ったみたいに、鼓動が妙に(うるさ)くなる。


 嫌な感じじゃない。ただ、どこか懐かしくて。理由のない安心感があった。電車は次の駅に滑り込む。


 降りる人の波に押されながら、僕はふと思う。


 もし、今ここで別れたら、もう二度と会わない可能性の方が高い。そんなのは嫌だ。


「……あの」


 気づけば、僕の方から声をかけていた。


「また、会えますか」


 自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。


 彼女は、ほんの一瞬だけ目を見開く。


 それから、静かに頷いた。


「……はい」


 その返事が、どこか安堵を含んでいるように聞こえたのは、気のせいだろうか。


 電車が止まった。扉が開く。


 僕は、緋依という名前を頭の中で繰り返していた。


 名前しか知らない相手に、どうしてこんなにも心を揺さぶられているのだろうか。


 胸の奥が、少しだけ痛かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
初めて会ったはずなのに、胸が痛い‥‥‥今後どのような展開になるのか気になります!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ