表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君はまだ、本当の自分を知らない  作者: 曖昧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/29

変わらない朝

 目覚ましが鳴る少し前に目が覚めた。


 カーテンの隙間から差し込む光で、だいたい七時前だと分かる。隣を見ると、緋依はまだ寝ていた。毛布を顎まで引き上げて、静かな寝息を立てている。


 起こさないように、そっとベッドを抜ける。


 顔を洗って、キッチンに立つ。パンを二人分取り出して、トースターに入れる。冷蔵庫からレタスとハム、チーズ。卵はどうしようかと少し迷って、結局スクランブルにすることにした。


 フライパンの上にバターを落とした途端、部屋を包むような甘い匂いが広がる。


 シンクの中には、昨夜のグラスが一つだけ残っている。水滴が乾ききらず、底に丸く跡を作っていた。蛇口をひねると、少しだけ水が跳ねる。


 こういう時間は嫌いじゃない。


 朝の光が、テーブルの端までゆっくり伸びてくる。部屋はどこか静かすぎる気もする。静かなことに慣れたのは、いつからだっただろう。


 前は、緋依の方が早起きだった。眠そうな顔で「コーヒー飲む?」って聞いてきて、俺が「まだ無理」って言って笑われる、みたいな。


 いつから逆になったんだっけ。


 パンが跳ねる音がして、思考が切れる。


 サンドイッチを二つ皿に並べる。今日は少し厚めになったかもしれない。ラップで半分に切って、マグカップを二つ並べる。


 そのタイミングで、寝室のドアが開いた。


「……あれ」


 寝癖のまま、緋依が立っている。


「今日はもう家出るの?」


 少し不思議そうな声だった。


 僕は一瞬、時計を見る。


「いや、まだだけど。昨日言わなかったっけ?今日、二限に補講入ったんだよね」


 そう言いながら、コーヒーを注ぐ。


 緋依は目を瞬かせてから、ああ、と曖昧に笑った。


「あー……なんか言ってたかも」


 "かも"。


 前も、こんな言い方してた気がする。


「わー! 美味しそうなサンドイッチ!」


 急に明るい声を出して、テーブルに近づく。


 皿を覗き込んで、本当に嬉しそうに笑う。


 その笑顔は、見慣れているはずなのに、どこか薄い膜越しみたいに感じた。


「今日は卵入れた」


「え、ほんと? やった」


 椅子に座って、すぐにかぶりつく。


 美味しい、と言って親指を立てる。


 その動作も、いつも通りだ。いつも通り、のはずなのに。


 昨日、二限の話をしたとき、どんな反応だったっけ。思い出そうとして、やめた。


 別に大したことじゃない。言ったかもしれないし、言ってないかもしれない。僕だって忘れることはある。


 ただ最近、"言ったはず"が少し増えただけだ。


 コーヒーを一口飲む。少し苦い。


「何時に出るの?」


 緋依が聞く。


「八時半くらい」


「そっか。今日帰り遅い?」


「いや、補講だけだから、むしろ早いかも」


「へえ」


 そこで会話が切れる。


 前は、ここからどうでもいい話が続いていた気がする。教授の愚痴とか、コンビニの新商品とか。


 今日は、静かだった。


 緋依はサンドイッチを食べるのに夢中で、僕はコーヒーを飲んでいる。


 テレビはついていない。換気扇の音だけがしている。


 別に、嫌な空気じゃない。でも、少しだけ、噛み合っていない歯車みたいな感じがする。


 時計が八時二十五分を指す。


「そろそろ行くわ」


 立ち上がる。


「うん。いってらっしゃい」


 いつも通りの声。


 靴を履きながら、ふと振り返る。緋依はもうスマホを見ていた。僕がドアを開ける音に、顔を上げない。


「……行ってきます」


 小さく言って、外に出る。


 ドアが閉まる直前、緋依の声がした。


「いってらっしゃい」


 ほんの少し、間があった気がした。気のせいかもしれない。


 マンションの階段を降りながら、ポケットのスマホを取り出す。


 昨日のトーク履歴を開く。


 "明日、二限補講入ったから早い"


 ちゃんと送っている。既読もついている。


 ……まあ、忘れることくらいあるか。スマホを閉じて、駅へ向かう。


 朝の空気は冷たくて、少しだけ深呼吸したくなる。家の中より、外のほうが音が多い。そのことに、ほっとしている自分がいる。


 空はよく晴れていた。何も、変わらない朝だった。


 たぶん。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
先日は企画にご参加ありがとうございました! ここまで読ませていただきました。 一人称ならではの「違和感」の積み重ね。 彼女が未来から来た人なのか、それとも世界自体が歪んでいるのか、気になりました。 き…
緋依さん……なんか怖いです。 。:゜(;´∩`;)゜:。
企画で3話まで読んだ人間が言うのもアレなのですが。 緋依ちゃんはバラバラの時間を送っているタイプのタイムリープ?と考えてしまいました。なんらかの原因で魂か何かの時間軸がバラバラで、そうなると記憶もばら…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ