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聖王と伯爵が連れ立って出て行くと、部屋には僕とエルさんが残された。エルさんは「え、よっこいせ」とか言って聖王が座っていたイスに座った。なかなか図太い人……ウサギのようである。
「え、まずはこちらの契約をご確認ください」
テーブルの上をつつーと滑らされてきたのは、契約魔術の紙だった。
——レイジくん。契約魔術を行うには3つ、確認してください。
僕はノンさんに聞いた言葉を思い出す。
(1点目は、紙。これは植物紙だ)
——羊皮紙は効力が高く、「魔術抜け」をするのにも非常に高い難度があります。植物紙は比較的「魔術抜け」がしやすくなるのでこちらのほうがよいです。
ノンさんの「魔術抜け」という言葉にも現れているとおり、教えてもらったのは「契約魔術」を「すり抜ける」方法だった。
(2点目は、契約術式)
——契約魔術を使える人間が直接行うのではなく、紙に魔術を施したものを行う場合は、契約魔術そのものが成立しない場合もあるほどに効果が低くなります。
今回は紙に直接魔術が記されている。
(3点目は、契約方式)
——一般的に使われている契約魔術は、国家が認めた書式によるもの、教会が認めた書式によるもの、各ギルドで独自に使われているもの、個人が開発したものと4種類あります。前者の2種は古くから使われているもので、契約魔術が執行される範囲を制限できる抜け道もまた研究されています。
この紙は、クルヴァーン聖王国の書式だった。
(ノンさん、やりましたよ! ほぼ理想的な契約魔術です!)
これならば契約魔術を結んだ後に、教会のツテを使って解除することができる——と僕が思っていると、
「え、たいした中身はありませんが、そんなに気になるようでしたら契約しなくても構いません」
「……へ?」
「所詮、秘密を守らせるような契約は、え、いくらでも漏れが生じますから。え、人の口に戸は立てられぬものです」
「…………」
ノンさん。紙が回収されました。
ノンさん。教えていただいたことはムダだったようです……。
「……い、いいんですか?」
「国の体裁上、必要というだけです」
さらさらとエルさんが書面に僕の名前を書き入れる。ぱぁっ、と光って術式が発動した。
「え、それにこの程度の契約魔術は、『魔術抜け』と呼ばれる方法も存在しますからな。興味があれば、え、ご教示しますが」
「け、結構です……」
むしろ向こうから「魔術抜け」の話を振ってきたよ! 冷や汗が出てきた。
「そうですか?」
なんでちょっと残念そうな顔してるんだよ! あ、ウサギなのに表情がちょっとわかるようになってきたぞ。
「ていうか、いいんですか? 昨日のことって結構ヤバイことでしょう」
「え、そうですな。むしろわたくしめとしてはこの内容が広まったほうが、え、いいと思っております」
「そう……なんですか?」
「さようで。秘密を続けることに、え、さほど意味はありませぬ。聖王家が神秘的に見えるという程度でしょう。それよりも、え、天賦珠玉に関する知識が正しく広まったほうが、世界的に見れば利益かと存じます」
話のスケールが大きい。
「僕が知りたいことは、教えてもらえるということですか?」
「え、わたくしめの知る限りであれば」
「じゃあ、『裏の世界』ってなんですか? あと『盟約』って?」
「『裏の世界』はこちらから見て『裏』と言っているだけです。え、この世界の裏側に存在しているまったく同じ世界だと言われていますな。『盟約』は『裏の世界』と取り決めた『天賦珠玉』に関するルールだそうです」
いきなりさらっと答えが出てきた。答えを聞いたのにさっぱりわからない。
「すみません……よくわかりません」
「え、もとより、『裏の世界』については現在は観測できませぬ。太古の昔には行き来があったようですが、その往来を止めるために世界をつなぐ門を閉ざしました」
門。
あの調停者が言っていた——「闇ヨ、門ヲ開ケ。光ヨ、道ヲ開ケ」と。
「ウロボロス……巨大蛇が出てきたあれが門ですか」
「え、そうです。環の蛇とは面白い表現ですな。採用しましょう」
服のポケットから取り出された紙束にさらさらとエルさんが書きつけている。なにかに採用されたらしい。恥ずかしい。
そう言えばさっき、聖王はウロボロスの話はしなかったな。報告がまだ届いてないんだろうか。
「今は『盟約』があるために、簡単に行き来はできませぬ。え、ただし調停者だけはそれが可能です」
「調停者、というのは……もしかして竜もそうですか?」
「おや、よくご存じで。え、竜がこちらの世界の調停者です」
「竜は、盟約に従って人間に罰を与えるとかなんとか言っていました」
「おや、竜とも話を?」
ヤバイ、言い過ぎた。僕はあわてて口を閉ざしたけれど、エルさんは僕の様子なんて気にせず楽しそうに言った。
「え、非常に珍しい経験をなされましたな。竜はふだんは人里離れた場所におり、盟約が守られているかを見守っていると言われています」
「そこでまた『盟約』ですか」
「はい。『盟約』にはいくつかの内容があると言われていますが、え、天賦珠玉を取り過ぎるなとか……」
「取り過ぎるな?」
ウサギはうなずいた。
「天賦珠玉は『神が与えたもの』……ですが一方で『循環するもの』でもあると考えています。え、そう言っているのは聖王宮ではわたくしめだけですがね。こちらの世界で消えた天賦珠玉は、『裏の世界』に行き、『裏の世界』で消えた天賦珠玉はこちらの世界に来るのではないかと」
「————」
ぽかんとしてしまった。そんなこと、思いもしなかったけれど、確かに植物のようにぽこぽこ生えてくるっていうのも変な話だよな。
いや、でも循環するのなら総量に限界があるということ? 人口が爆発したら天賦珠玉をもらえない人も増える?
「え、混乱させてしまいましたな」
「少し……」
「これは、実はわたくしめの発案ではないのです。『盟約』と『裏の世界』に関する古文書解読、及び『天賦珠玉』研究の第一人者であられたヒンガ博士という方が提唱したものです。もう、20年以上も前の論文でございましたな……」
「————」
その単語はあまりにも、突然僕の前に現れた。
「今、誰、とおっしゃいました……?」
僕の声はかすれていた。
「キースグラン連邦『フォルシャ王国の頭脳』と呼ばれていたヒンガ博士のことですかな?」
と、こともなげにエルさんは言った。
「連邦内で争いがあり、王国は壊滅しました。その際に、行方不明になったはずです……え、残念ながら亡くなられたようです」




