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今日はお昼に1話、朝に3話更新しているのでお気をつけください。
(奥に3人の鉱山兵。右は——奴隷が5人。ぶつかる)
僕は【森羅万象】を使って全力でトラブルを回避する。崩れかけた建物の裏を通り、鉱山兵と奴隷が戦っているその横を通り過ぎる。老人と子どもなんて誰も気にしていないのが唯一の希望だった。
鉱山入口は一か所しかない。そこはすぼまっており、当然——多くの鉱山兵が詰めかけていた。木製のバリケードまで展開されている。
50人を越える奴隷と、100人からの鉱山兵と冒険者の混成部隊が激突していた。
「す、ごっ……」
魔法が飛び交い、剣と剣がぶつかって火花が飛ぶ。
強い奴隷も多かったけれど人数と地の利で勝る防衛部隊のほうが優勢だ。
僕はしばらく、人と人とがぶつかりあう鈍い音、叫び声、舞う血しぶきを呆然と見ていた。だけれどすぐに、そんなことをしている場合じゃないと我に返る。
(混乱に紛れていけるか? ——否、ネズミ一匹通さないような防衛ラインだ。ならば手薄のところを襲えるか? ——否、僕の身体能力じゃ、ここにいるいちばん弱い大人を相手にしても負ける。なにか高いところから飛んで渡れるか? ——否、ヒンガ老人を担いで行くことはできない)
僕の頭が素早く計算する。それも【森羅万象】があるからこそできるワザだった。息を吸うように情報が入ってきて、それらはすんなりと頭に定着するのだから。
「……坊主、いや、レイジくん。ここが終わりのようだな」
「まだ終わっていません。まだあなたに太陽を見せていない」
イヤなことに大空洞の出口は西に向いていた。防衛部隊の向こうは森になっていて鬱蒼とした木々が見通しを悪くしているけれど、木々の上部に燃えるような橙色の光が跳ね返って見える。太陽の光だ。
あと少しなんだ。あと少しでここを脱出できる。
他に方法はないのか?【森羅万象】、答えてくれよ……!
だけれどスキルは沈黙していた。
ほんの短い使用期間でわかったことがある。このスキルは応答型のものではなくて、目に見える、耳で聞く、鼻で嗅ぐ範囲の情報を余すところなく僕に教えてくれるということだ。見えないものはわからないし、聞こえないものはわからないし、においがなければ情報も得られない。
情報をどうするかは僕の仕事だ。僕の考えに対し、成功する・しないを教えてはくれるけれど、アイディアをひねり出すのも僕の仕事だ。
「もうあきらめたほうがいい……君ひとりならなんとかなるかもしれない。もし捕まったとしてもワシが口を利いてやるから、ひどい目に遭うことはない」
「……ヒンガ老人。ぬるま湯のようなまやかしを見せられ、偽りの平和の中で考えることさえ奪われる……それのどこが『ひどい目』ではないと言うんですか」
「!」
僕が支えるヒンガ老人がぴくりと動いた。
支えている両腕がぷるぷるする。僕の体力もだんだん限界だ。
「君は……ほんとうに変わったのう……。まるで別人じゃ」
変わったと言うより人格がひとつ増えたんだけどね。
「ならば最後まで付き合うとするか——君にできるかはわからんが、アイディアをひとつやる」
「アイディア?」
「大空洞入口の上部を見てご覧。布の貼られている場所があるだろう」
入口部分はレンガのように四角く切られた石が積まれていたが、上部は岩肌が露出している。そこには確かに、不自然に大きな布が貼られてあった。
「あそこは何年か前に一度穴が空いた場所じゃ。応急処置はしたが、それだけなんじゃよ」
「……つまり、つつけば崩れるかもしれない?」
「さよう」
「…………」
布に隠れて見えないそこに、もしも穴を穿てる余地があるのなら——賭けてみる価値はあるんじゃないか?
【森羅万象】からの答えはない。布に隠れて見えない場所だからか。
「ヒンガ老人、ちょっとここで待っていてください」
「……わかった」
僕が建物の陰にヒンガ老人を下ろすと、老人は傷が痛むのか顔をしかめた。その傷がどれほどのものなのか、あとどれくらいなら老人はもつのか——老人の顔色はもはや青を通り越して白だった。
【森羅万象】は答えを知っていた。老人はあと30分ももたないだろうと。傷の深さもさることながら、血を流しすぎ、急激に老人の体温は低下しているからだ。
僕は多くの人間の死角に入るよう走り、倒れて絶命していた鉱山兵の腰から剣を引き抜いた——重い。こんなのを大人は振り回しているのか……!?
ターゲットはひとり。
戦っている集団の後ろにくっついている、僕も知っている人物——食堂のおばちゃんだ。
「チッ、なんだいなんだい、こんなところで足止めを食って……さっさと鉱山兵くらいぶちのめせってんだよ。奴隷どももたいしたことがない——ヒッ!?」
「動くな」
僕はおばちゃんの背後から、彼女の首の真横に剣をぬっと差し出した。
魔法を手に入れたおばちゃんだけれど、逃げ切れずまだこんなところでもたもたしているらしい。
ちなみにラルクの姿はとっくに見えないから、彼女は先に出ていったんだろう。
「動けば振り回す。顔に傷程度ならまだマシだけど、首が切れたらあなたは死ぬ」
「ア、ア、アンタ……黒髪の気味悪いガキ……」
「僕の要求は1つ」
僕は入口上部の布を指し示した。
「あそこになんでもいいから魔法をぶっ放せ」
「あたしの魔力はあとちょっとしかないんだ。そんな酔狂に付き合っているヒマは……」
「そう。残念だよ」
剣を動かしておばちゃんの首に触れる。
「わ、わかった! わかったって! 撃てばいいんだろ、撃てば!?」
おばちゃんは両手を入口上部の布に向けてかざすと、ゴウッ、と周囲の空気を巻き込んでバスケットボール大の炎の塊が射出された。奴隷たちの背を照らし、鉱山兵のとんがり兜に映じ、冒険者たちの怪訝そうな顔を照らし出したその炎弾は見事、布に直撃する。衝撃で炎は爆発四散し、燃え移った布がちりぢりになりながら落ちていく。同時に——がらがらと巨大ながれきが崩れ落ち、ぽっかりと西の空が見える。
突然落ちてきた岩石に、鉱山兵の数人がつぶれ、冒険者は逃げた。ここぞとばかりに奴隷が殺到してついに防衛ラインは崩れた。
「えっ、ウソ! あたしやったわ! すごくない!? ねえ、すごくない!?」
とおばちゃんは叫んでいたけれど、僕はとっくにヒンガ老人の元へと戻っていた。
「……うまくやったな」
「はい……」
傷口の広がり方が、ひどい。ほんの少しの時間離れただけだというのに、老人の顔は土気色になりつつあった。
「行きましょう。もう、すぐそこです」
僕は努めて、老人に迫る死については考えないようにしながら肩を貸して歩き出す。背中に添えた手に、もはや温かさはほとんど伝わってこない。老人の身体は震えて、吐く息も乱れていた。
間違ったことをしているのだろうか。僕が老人を連れ出さなければ、騒動の鎮圧後に老人は治癒されたのだろうか。あるいは回復魔法を使える誰かを探すべきだったのだろうか。
【森羅万象】が伝えてくる情報は、命のタイムリミットがもう少しで尽きそうだということ。……なにが星10だよ、なにが限界を超えた天賦珠玉だよ。ヒンガ老人ひとり、助けられないじゃないか……。
……わかっている。
悪いのは、僕だ。このスキルを使いこなせない僕なんだ。きっともっといい解決方法があったんじゃないかという気がしてならないのは、【森羅万象】を通じて得られる情報を僕が有効に使えていないからだ。
「……ワシの奥歯はな、差し歯なんじゃ」
「は? 突然、なにを……?」
防衛ラインはすでに突破されているので、鉱山兵や冒険者は、逃げ出した奴隷を追っている。数人の鉱山兵が仲間の死体や瀕死の仲間を連れて大空洞内へ入っていくのがわかったけれど、入口付近は誰もいなかった——倒れている奴隷の死体以外は。
「そこに、燐熒魔石という希少な鉱石を仕込んである。ワシが死んだら、これを持っていってくれ……売れば多少の金にはなろう」
「……形見分けということですか」
「そんなに気取ったものではない」
僕らは倒れたバリケードをかわし、死体を踏まないようにしながら進んでいく。
吹き抜けた風に、乾いた、清冽なものを感じて僕は顔を上げた。
「あ……」
すぐそこに、木が生えている。視線を上げれば薄青い空がある。
僕は、ついに……鉱山から脱出したのだ。
「この道は鉱山兵の往来が多い。あっちに行こう」
振り返るとそそり立つような絶壁になっており、老人はそれに沿って北へと続く小道を指した。僕は老人とともに北へと歩いていく。
「もしもワシの孫に会うことがあれば、ワシは最後まで誰を恨むことなく死んだと伝えてくれんか……」
「……お孫さん、ですか」
「名をルルシャという。ワシに似ず、利発で、可愛らしい女の子だったな……」
老人の声がだんだん小さくなる。引きずるように歩く足に、どこまで力が入っているのだろう。
僕らは上り坂をゆっくりと、信じがたいほどに遅い速度で上っていた。あと少し先に大岩が立っていて、その向こうにはちょっとした広場があり——そこには目に痛いほどの朝日の照り返しがあった。
進む速度は遅くとも、確実にそこへと近づいていた。
契約魔術が解けてからというもの、僕にはあまりに多くのことが襲いかかり、正直に言えば脳みそは大いに混乱していた。だけれど今は考えるのをすべて止めた。万が一にも転んだりしないよう細心の注意を払ってヒンガ老人とともに歩を進めることだけを考えた。
「おぉ……」
ヒンガ老人の足先が陽光に触れ、次いで前のめりになっていた老人の白髪が、顔が、上半身が、身体のすべてが朝日に覆われていく。
僕もまた、朝日を見たのはこの鉱山に来て以来だった。僕らは上り坂によって木々より高い場所にいた。広がる、海原のごとき樹林の向こうに、燃える赤き太陽がじりじりと昇りつつあった。たなびく雲を赤く染め、樹林に恵みの光をもたらし、地面に立つ僕らを温かくする太陽だ。
「……この身は、罰を受けるためにあり。死ぬことでは償えぬ罪を犯したゆえ。されど、今際にて日の光を浴びるほどの僥倖に浴した。天地を統べる万能の神よ、願わくばこの忌み子に祝福を授けよ……」
祝詞にも近い、旋律を含んだ言葉に僕が顔を上げると、涙をこぼしながらヒンガ老人が僕に微笑みかけているところだった。僕の頭に載せられたシワだらけの手が、優しく髪をなでた。
「レイジ、お前の人生に幸多からんことを願う」
「……ありがとう」
ああ、死ぬのだ。この人は、今から死ぬ。
だというのに僕の幸せを願ってくれた。
鼻がツンとなって目の奥から温かいものがにじみ出てくるけれど、僕は奥歯を噛みしめて感情をぐっとこらえた。
ヒンガ老人の身体から力が抜けた。僕はそれを受けきれずに、そのまま尻餅をついた。僕の横にどさりと倒れたヒンガ老人は——事切れていた。
僕は老人の口に手を突っ込み、奥歯を探った。明らかに手触りの違うそれをつまんで引き抜くと、その黄色く変色した差し歯からはほんのりと青色の光が漏れ出ている。これが、ヒンガ老人の言っていた燐熒魔石とやらだろう。
僕は腰の革袋にこの差し歯を入れた。そして老人の身体を仰向けにし、両手をお腹の上で組むようにする。服の汚れを軽くはたいて、目に掛かっていた白髪をどけてやる。
「……あなたにそんな気はなかったかもしれないけど、僕にとってあなたは間違いなく、この世界での人生の師でした。あなたに恥じない今世を生きると……誓います」
僕は黙祷を捧げる。
空の高いところを鳥が飛び、鳴き声が聞こえる。太陽に温められた僕の身体はぽかぽかしている。
——血の跡があるぞ。上にも逃げた奴隷がいるようだ。
そんな声が聞こえて、複数の人間が向かってくる気配があった。
瞳を開いた僕は、来た道を戻らず、砂利の斜面を滑り降りていく。向かう先の森は僕なんかが入れば一気に呑み込まれてしまいそうだけれど、僕は、二度と鉱山に戻るつもりはなかった。
これにてプロローグはお終いで、
次から1章「旅立ちは密やかに、人知れず。出会いは密やかに、導かれる。」が始まります。
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