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気づけば僕の身体は動いていた。
屋根から飛び降り、音も立てずに裏路地に着地する。【視覚強化】【夜目】【聴覚強化】【嗅覚強化】を駆使しても他に人の気配はないので、暗殺者は5人で全部だと見て間違いない。
この貴族が極悪人かどうかは知らないけれど、なんとなくそうしたほうがいいような「気がした」だけではある。
「まずは1本目、これはお前によって滅ぼされたヌーグ子爵のぶんだ」
「うぐっ」
暗殺者が手にしているのは十字弓だ。携帯しやすく命中率も高い。
矢が放たれると、貴族の左手に突き刺さり手のひらを貫通した。痛みに顔をゆがめたが相変わらず貴族は感情を見せない。
「……ふん。『冷血卿』に流れる血も同じ赤か」
次の矢をつがえるというとき、僕はすでに彼らの背後10メートルの距離にいた。
突然現れた僕に貴族は当然気づいていただろうけれど、表情を変えるどころか視線すら向けなかった。
……すごい人だな。
問題は、ここからどうやって5人を倒すか。一手でもミスればプロの暗殺者ならば逃げたり僕を迎撃する前に、まず貴族を殺すだろう。そうなれば僕がのこのこ出てきた意味はない。
人を無力化するのに巨大な魔法は必要ない。ましてや暗殺者と貴族の距離が近い今、大魔法を使ったら貴族まで巻き添えにしてしまうだろう。
僕は手をグーにして、1から順に数えるようにした。
(ひぃ、ふぅ、みぃ……)
指の先端に現れたのはピンポン球大の黒い岩石だ。【土魔法】の初歩の初歩である「ストーンバレット」とかいう魔法なのだけれど、それはあくまで1つを出現させて飛ばす場合だ。
それに本来、出現する岩石は灰色。黒にしたのは暗殺者のやり方を真似したのである。
(よぉ、いつ)
5本指すべてに出現させて出現を維持するのは並大抵の魔法コントロールではできない。ベテラン魔法使いでも3つが限度と言われている。
「っ!」
それを見た貴族が初めて驚きを顔に表した。
(ああ、なるほど。驚くとそういう顔をするんだね。人間味がない人かと思ったけどそんなことはなくてよかった——)
でもね、顔色を変えたらそりゃ気づかれますよ。
「ん……!? まさか援軍が——ぶぎゃっ」
僕は即座に5つのストーンバレットを放った。それらは目算通り、まるで吸い込まれるように暗殺者たちの後頭部に激突して彼らを昏倒させる。
この技、実は【火魔法】でやって「五指爆炎弾」ってやりたかったんだけどね。この世界じゃ誰も知らないし、ましてや日本にいたときですら僕の周りには知っている人はいなかったと思われる。「ダイの大冒険」は最高だよ。
「…………」
一瞬で暗殺者を沈黙させた僕に、貴族は呆然としていた。
うーむ、近くで見ると恐ろしいほどのイケメン。
対して僕は、トレーニングでやぶけてもいいように、つぎはぎだらけの布の服に、首には手ぬぐいをぶら下げているというその日暮らしスタイル。
目の黒さだけ無視してもらえれば、髪の毛の青灰色はこの世界ではよくあるものだから気にも留められないだろう。ちなみに青灰色なのは、ミミノさんに教わった染髪剤をこっちで手に入る素材で作ったところ、こんな色に変わったというだけのことだ。
「君は何者ですか」
声までイケボと来ている。神は二物を与えずって言葉はウソなんだね。
「通りすがりの掃除夫ですよ。ああ、お仲間は全員麻痺毒で動けないだけのようですから命に別状はなさそうですよ。襲撃者のほうは……たぶん1時間くらいは目が覚めないでしょうけど一応腕だけ縛っておきますね」
【森羅万象】によると倒れている騎士も御者も問題ないということだった。ちなみにこの騎士は、僕が掃除夫として出入りしている聖王騎士団の人ではなかった。こちらの貴族が直接雇用している騎士だろうと思われた。
僕は手際よく暗殺者のマスクを剥ぎ取り、後ろ手にしてその布で縛り上げた。
「それじゃ、僕はこれで」
見返りも礼の言葉もなにも要らない。僕はさっさとこの場を後にしようと思っていた。
夜中とはいえそろそろ付近の住民も気がつくだろうし、取り調べなんて受けていたら明日の朝からの掃除が滞ってしまう。
……というのは建前で。
(なんかこの人、怖っ)
殺される直前になっても感情を揺らさず、今もなお僕をじっと見ている。
この人のそばにいるのはよくない気がしたのだ。
「君は、何者ですか」
さっきと同じ質問が繰り返された。
「通りすがりの掃除夫ですよ。では」
なんか言わないと永久に同じ質問を繰り返されそうな気がして、僕はそれだけ告げるとさっさと逃げ出した。本気で走ったからついてはこられないだろう——。
というわけで、こと救出シーンに関してはさほどドラマチックじゃないのだ。
問題はこの次だ。
それから数日した昼下がり、僕は聖王騎士団第18隊寮の寮監から呼び出された。
「おお、掃除少年、わざわざ呼び出してすまなかったね」
ちょびひげ、小太りという人の良さそうな寮監は僕に告げる。
「スィリーズ伯爵閣下が君に『掃除』を依頼したいそうだ」
貴族が僕に掃除を?
「『伝説の掃除夫』の勇名は貴族社会にも轟いているのかな。はははは」
「ああ、そういう……ことなんてあります?」
「あるだろうね。ここにいる騎士たちの大半は貴族の血縁者だよ。彼らが実家に帰ったときに君の話をしたとしたら、十分にあり得るさ」
「はあ、そういうものですかね」
詰まるところ僕は油断していたというわけだ。
で、掃除夫の格好で出かけていくと「美術館かな?」と思ってしまうほどの巨大なお屋敷を案内されて、数日前に助けた貴族がそこにいた。
大きな一枚ガラスを何枚も使ったバルコニーは明るい。これほど均質な薄さで、混じりけや気泡の入っていないガラスを手に入れるのに一体いくらつかったのだろう? 白のテーブルとイス、緋色のクッションに座り、優雅にお茶を飲みながら書類に目を通していた伯爵はまるで一枚の絵のようだった。まあ、その背後に2人の騎士が直立不動で待機しているし、僕の後ろにも3人の騎士がいるんだけどね。あ、伯爵の後ろのひとりは襲撃されたときにいた騎士だ。
聖王騎士団とは違い、貴族が独自に雇っている騎士は見た目が違う。聖王の象徴である目が覚めるような明るいブルーは聖王騎士団が使う。こちらの騎士たちは緋色のマントに白く塗られた金属鎧を身につけていた。あの夜はつけていなかったのに今はつけている……ということは、あの襲撃で警戒度を高めているってこと?
機械で製造しているわけではないのですべての装備品が一点物のハンドメイドというこの世の中で、これだけのものをそろえられるのだからこちらのお貴族様はとんでもないお金持ちということだろう。
もちろん聖王騎士団の装備はさらにお金が掛かってるんだけど、あれは税金で造ってる。
伯爵は僕に気がつくと薄い唇を開いた。
「先日は命を救ってくれてありがとう。感謝します」
「……なんのことでしょうか?」
僕はと言えば、あの少ない情報だけで僕にたどり着いたこの人を、警戒しない理由がなかった。
「お掃除の依頼を、ということで来ました。見たところお屋敷の中はピカピカですし、お庭の木々も見事に剪定されています。騎士様たちの鎧も美しく整っているので僕の出番はないようですね」
「娘の護衛を頼みたいのですよ」
おっとぉ、まったく話が噛み合わないぞぉ?




