後日談(前)
長くなりましたので前編後編です。
どれくらい時間が経っていたのか、ミミノにははっきりとはわからなかった。レイジが出て行って——あんな小さな子が決然とした顔で別れを告げて出て行って、彼を止めることができない自分が情けなくて、苦しそうな彼を助けられない自分が歯がゆくて、そしてなにより彼はきっと自分たちのことを、なにか、気遣って出て行ったことがどうしようもなくつらかった。
お父さん! という叫びにも似た声が隣の部屋から聞こえてきて、ミミノはハッとした。涙に濡れた顔を手ぬぐいでごしごしと拭くと——それはさっきレイジが自分の顔を拭いてくれたのと同じものだったことに気づいてまた胸がきゅっと苦しくなったけれど——すぐに隣の部屋、ダンテスとノンのいる部屋へと急ぐ。
「どうしたの? まさかダンテスの容態が……え?」
火傷の状況が悪化したのでは——と思いながらドアを開いたミミノは、絶句した。
「……見てくれ、ミミノ。これを」
部屋の木窓は開かれており光が射し込んでいる。床に反射した柔らかな光が照らしていたダンテスの肌は——以前のようなくすんだ色ではなかった。
血の通う肉体になっていたのだ。
「目が覚めたらお父さんの肌が黒くなっていて、あわてて拭いたらこうなってて……」
呆然とした顔でいたノンだったが、
「つまり、えっと……? 石化が治ったということだべな?」
「そうなる。身体はまったく問題なく動くし、いつになく気分は爽快だ……健康体というのはこういうことを言うのか。まあ、火傷はまだ治りきっていないがな」
呆然と横で、ミミノとダンテスの言葉を聞いたノンは、
「お父さん……」
はらはらと涙をこぼした。
「お父さん、お父さん……お父さん、お父さん、お父さん〜〜〜〜」
「泣くな、ノン。……今までつらい思いをさせてすまなかったな……」
「うわぁぁぁぁぁああああんん!」
子どものように泣きじゃくって、ダンテスが彼女の頭を抱え込むように抱きしめる。
ミミノは目を瞬かせる。ノンが、こんなふうに泣くなんて。
(きっと、わたしの知らないところでノンは苦しんでいたんだ……)
当然と言えば当然だ。16歳の女の子。教会という戒律の厳しいところにいるとはいえ、仲間内でのおしゃべりやちょっとした休日の買い物を楽しみたいという年齢じゃないか。
それが、父が半身石化し、放っておくと死ぬという状況に直面する——ダンテスとノンはふたりきりの家族で、ノンが献身的にダンテスを治療しているのを当然ミミノだって知っていた。
だけれどミミノはいつしか、ノンは「できた子」で、「しっかり者」なのだと思っていた。思い込んでいた。ちゃんと彼女の苦しみを見ようともせず。
(わたしは……バカだった。レイジくんがなにに苦しんでいたのかも聞かなかった。「いつか話してくれる」とか勝手に思って。ライキラだってそう。アイツがあんな死に方をしたのも……)
ライキラの死の瞬間を思い出し、心が締めつけられたように痛くなる。
「ミミノ、今までありがとう」
ダンテスにそう言われ、我に返る。
「お前にも……多くの苦労を掛けたな」
「ううん。いいべな。同じパーティーメンバーなんだから……。それよりダンテスはどうして急に治ったんだ?」
「…………」
ダンテスは難しい顔をする——ノンが泣き止んでダンテスの顔をのぞき込む。
「どう、したの? お父さん……」
「……おそらく、だが、何時くらいかはわからないがレイジがこの部屋にいた」
「レイジくんが!?」
「レイジが俺の石化を解いてくれたのだと思う」
しん、と静まり返る室内。ダンテスは夜に起きたことを思い出そうとしながら続ける。
「……意識がもうろうとして覚えていないのだが、確かに『薬』がどうのと言っていた気がするんだ。ミミノ、レイジはどこだ?」
「…………」
「ミミノ……?」
口に出したくなかった。言葉にしなければまだ現実を見ないでいてもいいような気がして。
でも、仲間にウソはつけない。
ミミノは重い口を開いた。
「レイジくんは、出て行ったべな」
「……どういうことだ?」
「出て行かなきゃいけないから、出て行くって……」
「ッ! アイツ……!」
「ちょっとお父さん! まだ立ち上がらないで!」
ダンテスがベッドから降りようとしたのをあわててノンが止める。
「止めるな、ノン。俺はな、レイジから小遣いの無心をされたことを思い出した。なにか欲しいものがあると言っていたんだ……今になって俺はようやくわかった」
「レイジくんが欲しかったもの?」
「ミミノ、お前もギルドで見ただろう。類い希なる薬草の知識、そしてあの謙虚な態度。アイツが欲しいものと言ったらひとつしか思いつかない——石化の治療薬だ」
「へ!? 石化の呪いは薬じゃ治らないべな!?」
「アイツはそうじゃないことを知っていたんだよ。そして実際に俺は治った」
「あ——」
ミミノは思い出す。レイジは薬草の市場で「生命樹の葉」を欲しがった。
あれが石化の治療薬につながったのか?
「だ、だけどそれなら、レイジくんだって最初からそう言ってくれるんじゃ……」
「確信がなかったのかもしれん。ギルドで薬草を卸したときにもどこか挙動不審だったろう。アイツの薬草の知識は相当に偏っている」
確かに、レイジは明らかに薬草の相場や傷薬のシステムを知らなかった。
不思議なところが多い少年だった。
知識は豊富で物腰も柔らかく、立ち居振る舞いも落ち着いている。まるでどこかの貴族の子のようだが、出自はどうやら奴隷のようだった。
「俺の推測は……レイジは、俺の石化を治すために危ない橋を渡ったんだ。たとえば禁制の品に手を出したとかな」
「そ、そんな、レイジくんが……」
「露見した場合、『銀の天秤』に迷惑が掛かるかもしれないと考えた。あるいはすでにバレたのかもしれないな。だから急いで出て行った……。ノン、俺はレイジを探しにいくぞ。こんな大恩を受けたままにしておけるか。アイツが縛り首になるのなら俺が代わりになってやる」
「……お父さん。わかりました」
ノンが表情を引き締め、【回復魔法】を発動させる。ノンの魔力も枯渇気味だったのだろう、つらそうに大きくふぅーっと息を吐いた。その額には汗が浮かんでいる。
「お父さん、これで少しは動けます。でも、昨日死にかけたってことを忘れないで。あと縛り首は全力で回避すること」
「ありがとう、ノン。お前は俺の自慢の娘だ」
「……その娘を悲しませるようなことは、もうしないでください」
昨日、身体を張って冒険者たちを守ったことを言っているのだろう。
「すまない。……ミミノ、お前も行くか?」
「行きたい、けど……わたしはレイジくんを止められなかった」
あのとき全力で止めていれば今わたわたすることにはならなかった。
だけれど、ミミノはどうしてもレイジを止められなかった。彼の強い意志を感じ、竜の討伐戦でなにもできなかった、むしろ命を救われた自分がなにを言えるのかと気後れしてしまった。
「ふっ」
ダンテスは小さくわらった。
「バカだな、ミミノは。一度挑んでダメだったら、もう一度挑めばいいじゃないか。俺たち冒険者は自由が信条だ」
「自由……」
「そう、自由だ」
「……うん、そうだべな。わたしなんだか弱気になってた」
ぱしん、と両手で頬を叩いた。
ミミノの腹が決まった。レイジを、なんとしてでも連れ戻す。
だって、
「レイジは、わたしたちの仲間だもんな」




