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「これは、ひどい……」
顔や右半身に深い火傷があった。だけれど左半身は石化のせいで逆になんの影響もないようだった。完全な石化ではないのだけれど火傷には強いのかな。
左半身が剥き出しになっているのは僕にとって好都合だ。
「……ん、レイジ、か……?」
幻でも見るかのようにダンテスさんの目がさまよっている。
「はい。石化に効く薬を作ったので少し塗らせてください」
「……すまん、よく聞こえん。なんと言った……? 頭がぼうっとしてな……」
「大丈夫です。寝ていてください。寝るのがいちばんです」
ごめんなさい、ダンテスさん。僕が今から塗ろうとしている薬の内容はちょっと言えません……。人がいいダンテスさんは受け入れてくれると思うんだけど、人間、知らずに済むならそのほうがよかったってこと結構あるじゃない……?
ダンテスさんも睡眠を欲していたのだろう、やがてまたすーすーと寝息を立て始めた。僕はベッドに乗っかると、ダンテスさんの肌に目がけて変色したミスリルをこすりつけた。
「!」
灰色じみた肌に黒い色がツーとついたと思うと、ほんのりとした光を放った。見た目は、真っ黒だ。だけれど【森羅万象】を通せば石化が回復したことがわかる。
ダンテスさんたちは石化を「呪い」と言っていたけれど、これはやっぱり「毒」なのだ。だからこそダンテスさんは天賦【免疫強化】でしのぐことができているわけで。
毒さえ取り除くことさえできれば、ダンテスさんの石化は回復する。
「よかった……」
鼻の奥がツンとした。
僕は、知っている。ダンテスさんが底抜けに善人であることを。冒険者として生きていく道を断たれて、表には出さないながらも死に場所を探していたことを。
そんなダンテスさんの娘のノンさんが、お父さんの思いを知りながらも必死で生きる道を探していたことを——。
(このふたりが報われない世の中なんて、おかしいもんな)
僕は必死で薬を塗りたくった。石化している部分がなくなるまで塗るのに、ものの10分もあれば事足りた。
【森羅万象】で何度も確認する——問題なし。石化毒はすべてなくなっている。ダンテスさんの呼吸も安定して、火傷さえ持ちこたえれば今後は快方に向かうだろう。いや、石化毒のために奪われていた生命力があるのだから、火傷だってすぐに治るはずだ。
このミスリルを残しておくのは非常に危険なので、持ち去っておきたかった。
僕は隣の部屋に戻り、自分の荷物をまとめる。とはいっても小さな道具袋に入るものがすべてだ。あとはダンテスさんにもらったお小遣いの残額と、ウコンモドキを売って得たお金だけ。
「……行こう」
これ以上、ここに留まればみんなに迷惑を掛ける。
だから、僕は行く。
行かなきゃいけない。
前を向いて行かなきゃ——。
「……行きたくない」
前向きな気持ちになんてなれるわけもなかった。せっかく石化が治ったダンテスさんの、本気の動きを見てみたかった。ダンテスさんが治ったら教会に戻らなきゃいけないのかもしれないけれど、ノンさんの喜んだ顔だって見たかった。それに——ライキラさんが死んでしまった悲しみを残して、ミミノさんを置いていきたくなんてなかった。
「レイジくん?」
僕は注意が散漫になって気づけなかった。部屋の入口に、ミミノさんが戻ってきていたのだ。
「どこに行ってたんだべな。ベッドにいなかったから焦って外まで探しに行っ、ちゃっ、た……」
僕のひどい顔を見て、だろうか、あるいは僕の格好を見て、だろうか——ミミノさんがハッとした顔をする。
「……わたし、今すごく、イヤな予感がしたんだ……そんなわけ、ないべな? レイジくんが出て行くなんてこと、ないべな……?」
僕は今すぐこの場ですべてを打ち明けたい衝動に駆られた。
だけれど、それはできない。きっとミミノさんは僕を守ると言ってくれるだろう。でもそれは破滅への道でしかないのだから。
「銀の天秤」は僕のことをなにも知らずに保護しただけ。そして今日、勝手にいなくなるだけだ。
「ごめんなさい、ミミノさん。僕はもう行きます」
「…………!」
ミミノさんはなにかを言おうとして、口を閉じた。ぎゅううと言いたい言葉を全部呑み込むために力一杯口を閉じた。
「——でもいつか、帰ってきます」
これだけは言わなきゃいけないと思った。
「僕は『銀の天秤』のメンバーだから」
「!!」
ミミノさんの横を通り抜ける。口を閉じて涙を浮かべながらも、けっしてこぼすまいとこらえていた。
「……約束、だからね……?」
部屋から出た僕の背中に、ミミノさんの声が聞こえた。
「約束します……必ず戻ってきます。だから」
僕は決意を込めて、まるで怒鳴るように告げた。
「今は、行きます!」
僕は走り出した。宿を出たときにミミノさんが泣く声を聞いた。でももう振り返っちゃいけないのだと思って、信じて、走った。
そうだ。これは永遠の別れなんかじゃない。僕は一時的にパーティーを離れるだけなんだ。
いつか帰る。
きっと帰る。
そのときにはもっと強くなった僕がいるはずなんだ。
もらった恩を、たくさんの温かな思いを、返すために僕は絶対に「銀の天秤」へ帰る——。
朝日はすでに昇っており、領都は一日の活動を始めていた。
とにかく今すぐ領都を出るべきだった。ヒンガ老人が「値がつかぬ」と言っていた天賦【影王魔剣術★★★★★★】だ。なんとしてでもラルクを生きて捕らえて天賦珠玉を引っこ抜くだろう。
ラルクにつながる手がかりはほとんどなく、いちばん有力なのが僕だ。だから、とにかく、今は領都を出るのが最優先だ。
幸いお金はある。乗合馬車とかはあるんだろうか……?
「おっ」
数人に道をたずねると馬車の停留所にたどりついた。そこは大きな円形の土地になっていて、どこそこ行きと書かれた看板のそば、馬車が何台も停まっている。
どうしよう。どこへ行こうか。国境を越えるのは難しいんだっけ? だとするととりあえず隣町とかか……?
「おい」
「ひゃん!?」
首根っこをつかまれた僕は変な声が出た。
そこにいたのは、まったく予想もしなかった人物——「永久の一番星」のリーダーであるオスカーだ。
うさんくさい笑顔は今日は浮かべず、しかめっ面をしていた。
「あ、あの……? なにか?」
「お前、『硬銀の大盾』んとこのガキだよな?」
「はあ」
「ちっと来い」
「ええっ!?」
首根っこを引っ張られ、建物の陰に連れて行かれた。
「な、なんですか急に! 人を呼びますよ」
「それは止めろ。というか困るのはお前だぞ」
「……ど、どういうことですか」
もしかしてアレか? ミスリル盗んだことがバレた? しかもその証拠品は僕の道具袋にはいってるんだよ……世界一食べたくない巻き寿司になった状態だけど。
「朝イチで領兵が冒険者ギルドに飛んできた。冒険者パーティーが連れている黒髪黒目のガキを探してるってよ」
「…………」
「お前のことだよな?」
早い。向こうの動きが早すぎる。僕は冷や汗をだらだらかいた。
「な、なんのことでしょうねえ……?」
「アホ、俺様まで疑ってんじゃねーよ。お前を領兵に突き出すつもりならとっくにロープでぐるぐる巻きにしてるところだ」
確かに。
「ということは、オスカーさんは……」
「ここにいるってことは、領都から出たいんだろ? だから俺が、お前を逃がす」
おおお、まさかの協力者!?
「で、でもなんで……」
「うちのパーティーメンバーが、あのクソッタレ【火魔法】の爆発に巻き込まれかけたところを『硬銀の大盾』に命を救われた。恩返しくらいしなきゃ、男が廃るだろうがよ」
ほんとうは宿に報せるくらいのつもりだったんだけどな、とぼやくように言ってから、
「領都の城門は全部領兵が監視してるぞ。連中、すでに髪の色は黒じゃない可能性も頭に入れて黒目だけチェックしてる」
「げげっ!?」
ヤバイヤバイ! どうなってんのよこの国の情報網! そんなに行動が早いんなら竜と戦うときにももっと活躍してよ!
「……その顔を見るに、お前、そこまで考えてなかったな? 馬車なんぞに乗ってみろ。狭い客室で逃げ場もねーぞ」
「あ、危なかった……。でも出入り口が使えないなら僕はここに残るしかないですか?」
「いや、領都の外に出すくらいはしてやる」
「どうやって……」
オスカーは——オスカーさんは笑って見せた。
「ついてきな。『蛇の道は蛇』ってな」
相変わらずの、うさんくさい笑顔だった。




