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食事が終わると、僕とラルクはひとりぶんの食事を持って壁面住居の階段を上っていく。
食堂の騒ぎはこれからどんどん大きくなっていく。大人の鉱山夫はもっと危険な場所へと潜って天賦珠玉を探すのだけれど、そのぶん星も多い——と言っても僕らが星1つのところを星が2になる程度らしいけれど。星が多ければ報酬も増えるので彼らはその報酬を天引きにしてお酒を飲むのだ。僕が鼻をつまみたくなるようなキツイニオイのお酒だ。僕らはニオイから逃げるように階段を上がる。
その最上階にあるボロ屋に住んでいるのが、ヒンガ老人だった。
「ジイさん、飯持ってきたぞー」
「ラルク、ノックくらいしなっていつも言ってるじゃないか」
「いんだよ。別に。ジイさん相手に気ぃ遣ってどーすんだ」
ヒンガ老人に食事を届けるのが僕らの仕事だ。老人はこのボロ屋に住んでいて、鉱山夫たちが揉めたときにケリをつける、言わば村長みたいな役割をしている。そのおかげでこの人は日々のノルマを免れているようだけれど。
しわくちゃな顔に、手入れのされていないボサボサの髪の毛が垂れている。あごのひげも長く、僕は老人がこの家から出ているのを見たことがない。トイレの問題があるから——トイレは共同トイレしかないし——家から出ているはずなんだけど。
藁の寝床を置けば一杯になるような壁面住居で、客用のイスが置かれてあるのなんてここくらいだろう。イスに座った老人は僕が差し出した木の器と鉄のスプーンを両手で丁寧に受け取った。
「よう来たな」
「あたしたちが来ないと、ジイさんだって干上がっちまうだろ」
「さて、どこまで話したものかな」
ラルクの軽口がヒンガ老人に響いたことはない。ラルクは僕を見て肩をすくめて見せたけれど、大人しくイスに座った。
食事をしながら、しわがれた声でヒンガ老人が語る言葉はこの世界の知識だ。
僕たちは、寝る前のこの時間を使って老人からいろいろと教わっている——ラルクは大抵居眠りしてしまうんだけど。
「ラルク、お前は星6つの天賦珠玉を見つけたそうじゃな」
「そうそう! それを聞きたかったんだよ! ジイさん、【影王魔剣術】ってスキルのこと知ってるか? どんな効果なんだ?」
「知らぬのう」
「知らねーのかよ! あーあ、つっかえねー」
「ラルク!」
あまりにひどい言葉遣いに僕はラルクをたしなめたが、ラルクは僕のことなんて気にせずに「あーあ」と天を仰ぐし、ヒンガ老人もまったく気にした様子もなく真っ先に肉を食べていた。この老人はまだまだ元気だ。
「人には等しく、8枠の天賦ホルダーがある。【腕力強化★】のような1枠ならよいが、レアなスキルは4枠や5枠、あるいは8枠すべてを使ってしまうでのう。天賦は慎重に選ばなければならぬ」
「知ってるよジイさん。あたしは【腕力強化★】と【スタミナ強化★】の2つを持ってるし。あと6つってことだろ?」
またもラルクは「あーあ」とぼやいている。あと6枠。彼女が見つけた星6つだとぴったり当てはまる。
「この天賦珠玉は発掘されると国がすべて買い上げる。そしてそれを民に卸す」
「どれくらいの価値があるんですか?」
僕がたずねると、ボサボサの白髪の向こうで瞳が僕へと向いた。琥珀色の目だ。
「星1つは、銀貨1枚。街の食堂で飯が3回食えるほど。星2つは銀貨100枚」
「100枚!?」
毎日星1つを10個発掘しても、食事を30回も食べられるってことじゃないか……。いったいこの鉱山はどれくらいの利益を生んでいるんだろう? それを考えると僕らだってそこそこ稼いでいるってことになるじゃないか。
「……ちなみに、星6つは?」
「値がつかぬ」
「…………」
僕がラルクを見ると、「ほらな?」という感じでラルクも僕を見ていた。
「おそらく国の宝物庫に納められる。国難が起きた際に、国軍いちばんの剣の使い手に使われることじゃろう」
「あーあ……せっかくあたしが見つけた天賦珠玉も、宝物庫で腐らせられるんだよ……」
「天賦珠玉は腐らないんじゃないっけ?」
「もののたとえだよバカ弟」
ムスッとしたラルクの毒舌が僕へと向いた。これはしばらくそっとしておいたほうがよさそうだ。
「えっと、ヒンガ老人。でもふつうの人はスキル枠8つを全部使うんですよね?」
「左様。木こりは【斧術★★】を、魔法使いは【火魔法★★】を、奴隷商人は【隷属権能★★★】を。星1つで8つを埋める者はまずおらん」
「そうしたら国が危機のときに、スキル枠が6つも空いている人がいるんですか」
「世界には、数が少ないながらも【オーブ着脱★★★★】というスキルがある」
天賦は取り外しができる、という情報は衝撃だった。僕が思っていた以上に天賦の持つ可能性は限りがないのかもしれない。
「とは言っても、僕たち奴隷は契約魔術に縛られて天賦珠玉を使えないんですよね?」
「当然じゃ。『聖剣術』や『八道魔法』なんていう極めて有用かつ希少な天賦珠玉は莫大な金額で取引されるでの。拾った奴隷が使わんようにせねばなるまい」
「スキルがあればどんな未来も切り開ける……だけど僕らにはスキルを手にできるような未来もない……」
「奴隷としてここにいる以上、未来を望むのはおこがましいことじゃ」
違いない、と言ってラルクはげらげら笑い出した。だけど彼女の笑いは空虚だと僕は思った。よくは、わからないけれど、なんとなくそんな気がしたんだ。ラルクは本気では笑っていないんだって。
「ヒンガ老人。最高の星は8つってことですよね。どんなスキルがあるんですか?」
「……大それたことを聞くものでない」
不意に老人の目が、恐怖に震えた。だけれどその目は今までよりもずっと賢そうで、この人はこんなところにいるべきではないのではないかと僕の胸に疑問がよぎる。
「8を超える星も存在する……」
「え?」
「それらは人には扱えぬもの。ワシは一度見たことがある……この鉱山倉庫の奥に眠っている人智を越えた天賦珠玉を……」
倉庫、とは、たぶん「天賦珠玉倉庫」のことだと思う。
僕らが持ってきた天賦珠玉は検査官がチェックし、目録を作り、倉庫へと運んでいく。その倉庫だけは木造建築が並んでいるこの一帯では異質の、石造りの建物だった。両開きの鉄の扉はあちこち錆びているけれど、侵入者を絶対に通さないという強い意志を感じさせる。
1日の終わり、発掘された天賦珠玉が運び込まれる夕刻には倉庫が開いている。だけれど周囲は鉱山兵が固めている。彼らはそろって鍋の蓋みたいな銀の小盾を装備していて、とんがった鉄兜を装着していた。
あの倉庫に、人智を越えた天賦珠玉がある?
今まで聞いたこともない。
「それって、どんな天賦——」
「話はここまでじゃ。さあ、今日はもう帰れ。今日は早う寝るんじゃ。坊主は眠くないかもしれんが、寝台で目をつむればやがて眠りが訪れる」
ずずずずずずずず……。
また、地響きがあった。ぱらりと天井から砂が落ちてきた。
「鉱山の怒りに触れるでない」
ヒンガ老人は怖い顔をして言ったけれど、それはあまり効果がなかった。僕の横ではすでにラルクがうつらうつらと船を漕いでいたし。
僕は——日々に満足していた。
そして、変わり映えのしない毎日が続くのだと思っていた。
「おっ。今日はこの狸穴行ってみるか」
「ええ? ここって先月も入って、なんにもなかったところじゃないか」
「新しく生えてるかもしれないだろーが。ジイさんが言うには天賦珠玉は夜更けに生まれるんだろ?」
「崖があるからイヤなんだよね……」
「そういうところにこそレアな天賦珠玉がある。あたしの鼻がそう言ってるね!」
「はいはい……わかったよ」
「あーあ。次見つけたら今度こそは隠しておくんだ、あたし」
僕はラルクの後に続いて狸穴——にしてはちょっと大きな通路を進んでいく。大人が通るには少々心許ないところだけれど。
崖に出ると、足元が崩れるんじゃないかとびくびくしてしまう。ラルクが言うには「ダンジョンが崩落するわけないだろ」ということだったけど、ここで地響きが来たらマズイよね、絶対。
崖、というよりとんでもない縦穴は、下から上へと風が吹き抜ける。
はるか下の方から声が聞こえてきた。どうやら何階層も下、縦穴に突き出た広場のような場所で、冒険者が戦っているようだった。
「おー、おー。派手な魔法使ってらー」
「すごっ……」
どおん、と爆発音がして巨大な炎が一瞬、広場を明るくする。オオトカゲみたいなモンスターが数体いて冒険者が剣を振り回す。
「さ。あたしたちはさっさと行くか」
「うん……」
「なんだよ。弟くんは冒険者になりたいのか?」
「僕は、別に」
——なにかを望むことは奴隷の身分では「おこがましい」というのはヒンガ老人の言うとおりだ。
「……僕らが通る場所よりも深いところは、全然雰囲気が違うんだよね?」
「そうらしーなー。なんでも巨大な滝があったり、自分の姿が映る鏡ってのがあるところもあったり、目を開けていられないほどの風が吹く通路もあるんだとか」
「へえ」
「あっちは凶悪なモンスターがごろごろいるんだってさ。そのぶん、レアな天賦珠玉も出やすいみたいだけど」
「今の僕らには関係ないことだったね」
「……そーだな。今のあたしらにはな」
——でも。
「あーあ」とラルクが自分の失敗を嘆くように。
ヒンガ老人が時折、賢者のような目をするように。
僕が、なぜだかわからないけれど、多くの知識を望むように。
変わり映えのしない毎日の中にも少しずつの変化が訪れた。
考えてみれば、すべての出来事が小さな歯車のように噛み合って、大きな力を生んだのかもしれない——僕がこんなことを口にすればラルクはきっと「お前はどこでそんな言葉を聞いてくるんだ?」って言うだろうけれど。
「あー! もう、長い道を延々と来て天賦珠玉ゼロかよー!」
「だから言ったじゃないか。あの崖をまた歩いて戻るのはイヤだなぁ……」
「しょーがねーだろ。あたしの鼻も鈍ったかな?」
あーあ、とラルクはもう一度言った。