エピローグ(4) 4年後の約束
前話ではたくさんのご感想ありがとうございました。
ゼリィさんに問い詰められて、僕が思い浮かべたのは彼女のことだった。
最初から好意があったのかと言われればそんなことはなくて。
僕の、この奇妙な……鉱山崩落の事件から始まる一連の、大騒動の中で少しずつ彼女に惹かれていったのだと思う。
でも、ゼリィさんに言われなければこの気持ちを自覚することはなかっただろう。
腹立たしいことではあるけれどゼリィさんのおかげかもしれない。
でなければ彼女と僕の関係を……今のままの、居心地のいい関係を崩さないよう僕は生きていっただろうから。
その部屋をノックすると、確かに彼女は在室中だった。
部屋には彼女だけでなく多くの人がいて——護衛の騎士だけでなく、クルヴァーン聖王国から連れてきた文官たちもここにいた。
「……あら、レイジ。どうしたのですか?」
左右の手に書類を持ったエヴァお嬢様は、僕を見ると小さく首をかしげた。
その姿を見たときに、僕はいろいろな思いが胸に込み上げるのを感じた。
初めて出会ったころは「幼い」という言葉でしか表現できなかった、傍若無人だったお嬢様。
それが今では、大人の文官を相手にして対等の議論をしている。
お嬢様がこうなるきっかけになったのが僕なのだとしたら、それは誇らしい——と以前思ったことがある。
だけれど、今のお嬢様は僕の想像をはるかに超えて成長している。
(——うっかりしてたら、僕が大人ぶっていられなくなっちゃうな)
そんな危惧を覚えるほどに。
「お嬢様、少しお話ししたいことがあります」
「今? そうね……そろそろこちらを発たねばならないから、片づけなければいけない案件が多いのですけれど」
「であればなおさらです」
離ればなれになるのなら、今話しておかなくちゃ。
「…………」
お嬢様は僕の顔をじっと見つめた。
その整った美しさにどきりとする。
でも——僕は知っている、彼女の美しさは見た目ではなくて、その中にある、一本筋の通った心だ。
気位、というふうに言ってもいいかもしれない。
「わかりましたわ。——皆様、手続きは続けておいてください。レイジはこちらに」
僕はお嬢様とともに、部屋からバルコニーへと出た。
地上3階のこの部屋は、目の前に大きな庭を見下ろし、その先には首都の町並みが広がっている。
陽射しが出ていて今日は暖かいけれど、吹く風は冷たさを感じる。
でもそれが僕には心地よかった。
これから話すことを考えると、僕の体温はさっきから上昇しっぱなしだからだ。
「それで、どうしたの? なにか問題でもあった?」
みんなの前だと伯爵令嬢然とした話し方をするのが板についてきたお嬢様だけれど、僕とふたりだけのときにはこうして、言葉を崩してくれる。
それがうれしかった。
「その……お嬢様、もう聖王国へ帰られるのですね」
いきなり本題に入れず、僕は遠回りの道を選んでしまった。
「そうよ。お父様が内務大臣に抜擢されるという話があって、そのせいで今は殺人的に忙しいのだわ」
「スィリーズ伯爵を?」
「今まで日の当たる地位は意図的に避けていらっしゃったのだけれど、そうも言ってられないみたい」
「でも伯爵なら軽々とこなしてしまうのでしょう?」
「もう、レイジまで。みんなそうやって期待するからお父様が働き過ぎてしまうのよ。だからわたくしもなるべくお仕事を肩代わりしているの。ようやくお父様も『早く帰ってくるように』ってわたくしを頼ってくださるようになったんだから」
「な、なるほど……」
「……それで、レイジにしては深刻そうな顔だったけれど、どうしたの? お父様の話をしたいわけではないのでしょう?」
「はい」
「もしかして、仲間のことを気にしている? あなたは……英雄になる選択をしなかったのでしょう? ほんとうは仲間たちは英雄になりたかったのかもしれないと思っているのでは?」
「それは……」
僕の心の迷いには、確かにそれはあった。
みんなの未来に関わることまで僕の意思を最優先で決めてしまっていいのかと。
「レイジ……あなたの仲間思いは美徳だけれど、でもそれにとらわれてしまってはダメよ」
「とらわれる……ですか」
「ええ。仲間だってあなたの決断を尊重するとしたのでしょう? であればあなたが決めればいいのだわ。にもかかわらずあなたがくよくよ悩んでしまっては、仲間に失礼よ」
「…………」
よく見ている。お嬢様はほんとうに、よく見てくれているのだ。
僕が気にかけていることを、心配を、僕よりもちゃんと見ていてくれて、ちゃんと「大丈夫」って言ってくれる。
それが温かくて、僕の胸はじんわりした。
「……いい仲間に、恵まれたのね」
「……はい」
「ならわたくしは安心して、聖王国に戻れるのだわ」
バルコニーの手すりに手をついたお嬢様に日の光が降り注いでいる。
そよ風になびく金髪は光を含んで煌めいている。
魔力を込めれば多くの人に力を与える魔瞳は赤く、美しい。
今は13歳のお嬢様には幼さが遺っているけれど、きっとこれからは——お嬢様にも多くの貴族から求婚の申し込みがあるんだろうな。
そんなことに思い当たったとき、
(——いやだな)
と僕は思ったのだ。
お嬢様がどれほど傍若無人で、じゃじゃ馬で、向こう見ずで——勇気のある人なのかを知っているのは僕だけでいい、なんて、思ってしまったのだ。
そのとき、
「お嬢様が好きです」
思っていた言葉はするりと口から出てきた。
「僕は冒険者でいる道を選んでしまいました。そしてお嬢様は貴族です。そこに問題がないわけないことはわかっています。でも、僕の想いは変わりません」
お嬢様は、目を見開いて僕を見ていた。
「覚えていますか……世界を見せるためにあなたを連れ出すと言った約束を。いつになってもいいです。待っていますから……あなたを」
僕はお嬢様の隣に立った。
「この世界で、僕はあなたとともに生きていきたい」
詩のようなフレーズも、甘いささやきも、僕にはないのだけれど。
それでも想いには正直に伝えたいと思った。
すると——お嬢様の瞳から、一筋の涙がこぼれた。
「ッ!? お、お嬢様!?」
「ご……ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……」
僕は高揚していた気持ちから一変して、血の気が引くのを感じた。
僕の言葉のなにがお嬢様を悲しませてしまったのかと。
あたふたする僕がなにもできないでうちに、お嬢様は人差し指で目元を拭った。
「——うれしくて」
という言葉とともに。
「うれしくて……?」
「……ええ。レイジが地位や名誉ではなく冒険者としての自由を選ぶことはわかっていたのだわ。だって、あなたはスィリーズ家に守られるのではなく、国外へ出る道を選んだ人だから」
あ……。
そうか、お嬢様は、今回も僕が「自由」でいることを選択するとわかっていた。
そしてそれはお嬢様と「距離を置く」ことだと考えたんじゃないだろうか。
「立場は違っても、お嬢様を想う気持ちは変わりません」
「……そういうセリフを、さらっと口にできるようになったのね」
「うっ、ぼ、僕だってがんばってしゃべってるんですよ」
慣れないセリフのオンパレードで、僕のキャパはいっぱいいっぱいなのがほんとうのところだ。
「4年……」
「え?」
「4年、待っていて欲しいの。そうすればわたくしは17歳になり、聖王国の貴族社会でも一人前のレディーとして認められるから。ほんとうは17歳の誕生日前後で結婚を発表するのが多いのだけれど。17歳になれば、自分の未来を自分で決められるのだわ」
「えっと……それは、つまり?」
お嬢様は——気丈なお嬢様にしては珍しく、赤くなった顔を伏せてもじもじした。
「も、もう! レイジは勘が鈍いのだわ! 17歳になれば、わたくしは結婚相手を自分で選べるということよ。貴族でなくとも……た、たとえば、冒険者であっても」
「…………」
これは——お嬢様が僕を受け入れてくれた、ということだろうか。
僕は喜んでいいんだろうか。
「……お嬢様」
「な、なに?」
「抱きしめてもいいですか?」
「っ!? バ、バカなことを言わないの! そういうのは、4年後よ!」
真っ赤になって怒っているお嬢様はこんなに可愛かったっけ、と思えるほどだった。
「我慢できそうにありません」
「わたくしは1年、寝ているあなたを待ち続けたのだわ」
「うぐっ」
それを言われるとツライ。
先がどうなるかもわからず待つだけの日々と、4年待てばいいと期限がわかっている日々とでは重みが全然違うだろう。
「……で、でも、4年もお預けするだけじゃかわいそうだから、ひとつだけ許可してあげるのだわ。ふ、ふたりきりでいるときには、『エヴァ』と呼んでもいいのよ」
お嬢様の、今できる精一杯らしい。
それがなんだか微笑ましくて、
「な、なにを笑っているの!? レイジ!」
思わずほっこりしてしまった。
「いえ……あ、いや。えーっと、その……エヴァ」
「!」
「これからもよろしくね」
お嬢様の——エヴァの背筋がぴんと伸びた。
そうして彼女は、口元を緩ませて笑ったのだ。
「ええ!」
そんな彼女の笑顔は、幸せそうな笑顔は今まで見たこともなかった。
スィリーズ伯爵のひとり娘として、権謀術数渦巻く貴族社会で育てられた彼女は、横暴だったり天真爛漫だったりはしたけれど、こんなふうに警戒心を解いて、相手にすべてを委ねるような笑顔を浮かべたことはなかったのかもしれない。
そしてその笑顔が、他ならぬ僕に向けられたものだということがうれしかった。
うれしいと同時に、僕がエヴァを守らなければいけないんだということに気がついた。
僕もエヴァもお互いを見つめ合っていて、自然と手が伸びて手と手を握り合っていた。
温かく柔らかなエヴァの手を感じていると自然と僕の表情も緩んで、きっと僕もエヴァと同じ顔をしていたに違いない。
だからだろう。
「——ゴホン」
その人の接近に気づかなかった。
「1年もの眠りから目覚めて早々、娘に接近しすぎではありませんか、レイジさん」
ここにいるはずのない——無表情の、しかし静かな怒りを潜ませているスィリーズ伯爵がそこにはいた。
「は、伯爵!?」
「お、お父様!?」
そして僕とエヴァは伯爵の後ろに、窓ガラスの向こう、室内からこちらの様子をうかがっているみんながいるのに気がついた。
ミミノさんが親指を立ててみせて、横ではダンテスさんが天を仰いで手ぬぐいで目元を拭っている……って、そこまでするほどのことかな!?
その横にいたゼリィさんがにまにましているので、ゼリィさんがみんなに伝えて回ったのだろうことがわかる。あとで絞めよう。
エヴァの部下や護衛たちは伯爵という想定外のお客さんに青い顔をしていて、伯爵についてきたのかマクシム隊長もよくわからない顔でキョロキョロしていた。
そして——アーシャとラルクもいた。
アーシャは少し寂しそうに微笑み、ラルクは僕と目が合うとニカッと笑ってくれた。
「……レイジさん、無粋なことを言ってしまうことには申し訳なく思うのですが、今は聖王国が非常に忙しない状況なので、また日を改めてうちに来なさい。——エヴァ、そろそろこちらも限界です」
「わかっていますわ、お父様」
エヴァはすでにお嬢様の顔に戻っていた。
伯爵が室内に戻っていくと、エヴァはちらりと僕を見て、
「……ほんとうは何日も前に戻っている予定だったのだけれど、今日の今日まで引き延ばしていたのだわ。でも……待っててよかった」
ふわりと微笑んだ彼女に、僕はどきりとする。
「もう……行ってしまうんだね」
「ええ、でもすぐに遊びに来てくれるんでしょう? だってあなたは——」
自由が信条の冒険者なんだから。
そう言ってエヴァは室内へと戻った。
僕の胸は鼓動を速めている。
このドキドキは今までに感じたことのある感覚と少し違った。
胸の奥がじりじりと熱くなって、これからやってくる未来に否が応でも期待してしまうような——そんなドキドキだったのだ。
次回、エピローグとしても最終話となります。




