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★ 光天騎士王国 港町ザッカーハーフェン 町長邸 ★
「いやはや、『銀の天秤』の皆様を冒険者にしておくのは惜しい。皆様全員で我が国の騎士になるというのはいかがですか」
「そうですぞ。教会組織でも最も多く教皇聖下を輩出しているのが我らが王国教会です。ノン殿もそちらで修行をなされては……」
「こらこら、俺はともかくノンにまで変なこと吹き込むんじゃねえ」
騎士たちが、若い女性でもあるノンに目を向けるとダンテスがその視線を遮るようにノンの前へと出た。
「いや、変なことではございませんとも。なあ?」
「も、もちろん。若くて美しい方がこの国に留まるのは国の利益」
「やっぱり変なこと考えてねえか?」
「もう、お父さん……」
ノンは、自分が父を過保護にした反動で父もまた自分を過保護にするのだろうという自覚はあったものの、さすがに人前でされると恥ずかしい年齢ではある。こちとられっきとした大人なのだ。
「……ノン様、お手紙が届いておりますが」
そこへ、すすすと近づいてきたこのお屋敷の執事に言われ、
「手紙、ですか?」
「はい。王国教会から」
「……なるほど」
ノンはうなずき、挨拶をしてその場を辞してからお屋敷へと入った。
そこで手渡された封書は、確かに王国教会の封蝋がされたものだった。すぐに中に目を通す——いろいろと覚悟はしていたものの、そこに書かれてあったのは、「教会に戻れ」とかそういうことではなかった。
「!」
しかし目を通していくにつれ、内容に驚いて目を見開いた。
振り返ると父のダンテスが心配そうな顔でこちらを見ている——ノンは「大丈夫」という意味を込めて手を振った。父は小さくうなずいた。
「いかがなさいました?」
執事に聞かれ、
「……いささか、町長様にご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」
ノンは、額に手を当てて小さくため息を吐いた。
★
アーシャが去っていった会場で、僕は立ち尽くしていた。アーシャはなにをしようとしているのかと考えながら。
だけれど答えは出てこなくて——女心はやっぱり難しいよな、とか思っていると、
「レイジ!」
ラルクの賊仲間のスカウトさんが走ってきた。
「お嬢が目ぇ醒ました!」
「!!」
僕はそれまで考えていたことも頭から消え去り、スカウトさんとともに走り出す。何事かと多くの人がこちらを見てきたけれど、僕は町長のお屋敷を飛び出し、宿へと向かった。
「ちょっ、ちょっと、早、早ぇーな、おい! さすがお嬢の弟!!」
【身体強化】に【疾走術】、さらには【補助魔法】を重ね掛けした僕は、斥候が本職のスカウトさんよりも早く宿に着き、ラルクの部屋へと飛び込んだ。
「ラルク!!」
魔導ランプの明かりが照らす室内にはベッドに身体を起こしたラルクと、その体調を確認している医者、それにクックさんたちがいた。
「……その声、弟くんか? ったく、夜だってのに騒がしいったらねーよ……」
「ラルク……?」
僕はぎくりとした。
彼女の瞳はこちらを向いているというのに、僕を見てはいなかったのだ。
【森羅万象】がなくともわかる。ラルクは、目が見えなくなっているのだ。
「お静かに。先日の診察のときにはこのような症状はありませんでしたが、なにか変わったことはありませんかな」
医者がクックさんにたずねると、クックさんはその「答え」をわかっているだろうにむっつりと黙り込んだ。
「……ふむ。とりあえず、体調は安定しているようですがこれは吉報ではありませんな。低位で安定しているということです。目が見えなければ激しい運動もすぐにはできないでしょうが、とにかく安静になさってください。いいですか、私は言いましたよ」
「へい」
「では」
エンジニアさんが医者を見送りに部屋を出て行き、入れ替わりにへろへろになったスカウトさんが部屋に入ってきた。
「クック」
医者が去った途端に、ラルクは不機嫌そうに言った。
「あたしの天賦、盗んだのはアンタか?」
「違う。盗むわけがねえだろ、今さら」
「……まあ、そーだな。盗む方法があって盗む気があるならとっくに盗んでるわな。じゃあ、弟くんだな?」
「そうだよ。僕がラルクの【影王魔剣術】を取り出した」
僕が素直に答えると、ラルクは舌打ちする。
「勝手なことを……早く返してくれ。あれはあたしのだ」
「ラルク、あれはよくないものなんだ。それはわかってるだろ?」
僕の【森羅万象】が分析を続けている。ラルクの視覚が失われたのは【影王魔剣術】のせいであることは間違いない。そして、天賦を使う代償にラルクの生命力は奪われ続け、とっくに視覚は失われていたのに天賦の能力がそれを補っていた——という異常な状態だったこともわかった。
「よかろうが悪かろうが、あれがあってこそのあたしなんだ!」
「違う。あれがなくてもラルクはラルクだ」
「あの天賦珠玉はあたしが見つけたんだよ! だからあたしのものだ! だから返せよ!」
「違う……違うよ。天賦珠玉に振り回されたらダメなんだよ。そのために死んだりしたら、なんのために生きてるのか——」
「弟くんだって、わけのわからない異常な強さは天賦で手に入れたんだろ」
「!?」
ぎくり、とした。
それはそのとおりだし、僕にだってそれを忘れるほどバカじゃない。
だけど——今ラルクを諭している僕が、【森羅万象】によって様々なものを手に入れている僕が、たまらなく愚かに思えたのだ。
どの面下げてそんなことを言えるのだ、と。
「ぼ、僕は……」
「……別にそれを悪いなんて言わねーよ。ただ、あたしのものはあたしのものだ。だから返せ」
「…………」
「弟くん!」
「返さない……これはラルクをダメにするから!」
「お前ッ!!」
枕を投げつけてきたけれど、僕には当たらず斜め後ろにいたスカウトさんの顔にバフッとぶつかった。
「出て行け!! 顔も見たくねーよ!!」
「……ラルク、僕は」
「出て行けって言っただろーが!!」
「お嬢、なにするんだ!?」
憎々しげににらみつけながらベッドから降りようとしたラルクを、クックさんが止めようとする。僕の肩に手を載せて、難しそうな顔でスカウトさんがうなずく。
「また……来る」
「天賦を盗んだような野郎は来るな!!」
ラルクの言葉が胸に突き刺さる。僕は部屋を出ると、とぼとぼと宿の外までやってきた。
確かに——僕はラルクにひどいことをした。彼女が納得ずくで【影王魔剣術】を使っていたことはわかっていたのに、彼女の意見も聞かず、勝手に天賦を外した。
それで、ラルクがあそこまで激怒するとは思わなかったのだ。
僕はラルクを誤解していたのか?
あるいは会わなかった4年間でそんなに変わったのか?
——ラルクは、命を削ることを知っていてもなお、あの天賦を使うだろう。
——弱い人を守るためだ——僕のような弱者を。
——他の誰が言っても、ラルクはあの力を手放さないだろう。力があれば多くの人間を守れることを知ったラルクは。
——僕ならラルクを説得できる。いや、絶対してみせる。
そんなことを考えていた自分はどれほど傲慢だったのか。
「……僕は、【森羅万象】を手に入れて調子に乗ってたのか……」
ぼんやりと空を見上げたとき——ふと、周囲の騒がしさに気がついた。
「——アレなんだよ?」
「——ほら、魔導飛行船だよ。エルフの」
「——夜に飛ぶのか?」
夜だというのに通りには多くの人が出てきている。彼らの視線は空に集まっていた——夜空に、いくつもの光を掲げながら浮いている巨大なシルエットがあったのだ。
「『梟の羽搏き』……?」
僕はようやく気がついた。
あれにはアーシャが乗っていて——あの魔導飛行船が向かうのは「三天森林」であろうこと。
つまりアーシャは、エルフの森に戻ると決めたのだということに。