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ダンテスさんはもう、「欲しいもの」が決まっているんだろうか?
僕が不思議に思っていると、
「構わぬ」
初老のレフ高官が皇帝を見て、皇帝はそう言った。
「ありがとうございます。——今回、最も苦労し、また最も功績を挙げたのはここにいるレイジです」
僕? 急になんの話だろう。
「ですが彼は、今こそ髪を染めていますが元は黒髪黒目であるということから『災厄の子』といわれなき差別を受けて来ました。これほど人々のために尽くすことができる男だというのに」
僕は——「災厄の子」という言葉が出てきた驚きよりも、僕を「男」と言ってくれた驚きのほうが勝って、思わず息を呑んだ。
「少年」とか「男の子」ではなくて「男」
それはつまり、一人前の冒険者として認めてくれたということだ。
「俺たちが欲しいものは、レイジが、差別を受けるようなことがないこと。つまり、レフ魔導帝国による身分証明、そして皇帝陛下の後ろ盾です」
まさか、そんなことを……ここで言ってくれるなんて。
横にいるミミノさんがにこっとしている。前にいるノンさんもこちらを振り向いて優しく微笑んでいる。
ああ——この人たちは、最初からそれを望もうと決めていたんだ。
冒険者としての栄光やお金なんかじゃなく。
ただ、僕の身分を。
僕が誰からも後ろ指指されず生きていける身分を。
「——ッ」
目頭が熱くなって僕は顔を伏せた。
ぽたぽたと涙がこぼれて絨毯に吸い込まれていく。ミミノさんがそっと、僕の手を握ってくれる。それが温かくて、また感情が込み上げてきた。
「ふむ……そのようなものでいいのかえ? 渉外局長、余は『災厄の子』などという迷信は信じぬのだが、他国はどうなってる」
「はっ、そうですな。農村や僻地では迷信を本気で信じることも多く、差別はいまだ残っていると言えましょう」
顔を上げられずに聞いていただけだったけれど、答えたのは初老のレフ人だった。その人が渉外局長、つまりアバさんの上司に当たる人だったんだ。
「そのような非科学的なことが?」
「はっ」
「ふむ……ヒト種族の考えることはわからんな」
レフ魔導帝国はその名の通り、魔道具の技術によって大きく発展してきた。だからこそ実在する技術以外の迷信の類は信じないのだろうか。
ダンテスさんは——ダンテスさんたちはきっと、そこも考えた上でこの内容を持ち出したんだ。
「わかった。『銀の天秤』に約束しよう。レイジにはレフ魔導帝国皇帝である余が後ろ盾となり、その身元を保証する」
おおっ、というどよめきが広がっていった。
ダンテスさんの手が伸びてきて僕の頭をくしゃりとなでる。
「……よかったな、レイジ」
「こんなの、卑怯ですよ……」
ミミノさんの差し出してくれたハンカチで顔を拭うと、にこやかに笑うパーティーメンバーがいた。
どよめきがいまだ残る大広間に、渉外局長の声が響いた。
「静かに。皇帝陛下の御前である」
改めて静まり返ったところで、皇帝が言う。
「……殊勝なことだな。しかしこれだけが褒賞というのは少ない気がするが?」
「はっ、陛下。勲一等に対して『身分の保障』だけでは他国に笑われましょう」
「他にはなにかないのかえ? やはり金か?」
もっと出してくれるという。
「え、どうする? レイジのこと以外なにも考えてなかったな」
「お父さん……」
「しょ、しょうがねえだろ。『なにか特別にやってやる』って言われたら言おうか、くらいに話し合ってただけじゃねえか」
やっぱり話し合ってたのか。
「——ここはレイジくんの希望でいいんじゃないか?」
ミミノさんが言うと、ダンテスさんとノンさんが僕を見た。
「そうだな」
「はい。いちばん苦労したのはレイジくんですし」
「い、いや、ちょっと待ってください! 僕ばかりもらってしまうのはよくないですよ」
「いいから、ほら、なにか欲しいものを言え。武器でもいいみたいだぞ」
ダンテスさんに腕をつかまれて、ぐい、と僕は立ち上がらされる。
多くの人々の視線が突き刺さり——さらには皇帝が面白そうに僕を見ているのが感じられる。
「どうだえ?『災厄の子』、改め、余がその身元を保証する冒険者レイジよ。なにを望む?」
僕は口を引き結んだ。
これは——考えようによっては、いいチャンスかもしれないと思えた。
「……陛下、無理かもしれませんが、僕の望みを申し上げます」
無理かもしれない、という言葉を聞いた皇帝の目は、ますます興味深そうに見開かれた。
「僕の望みは——」
謁見の間を出るとどっと疲れが噴き出した。
控え室のソファに、僕ら4人は座り込む。
「いやー……もういいわ。こういうのを『晴れ舞台』とか言うんだろうけど、俺はギルドのカウンターで依頼完了の報酬をもらうくらいの舞台で十分だ……」
ダンテスさんが口にすると、
「はい……でも、いい経験になったと思いましょう。お父さんはこれからもっとお金を稼がないと引退なんてできませんからね?」
「うっ。そうだよなあ……」
「それより、レイジくんだべな……まさかあんなこと言い出すとは思わなかったし、ていうか、全然その話聞いてなかったんだけど!?」
がばりとミミノさんが起きる。
「はは……そうですよね。まあ、話す時間もほとんどなかったですし」
身体を起こした僕も頭をかいた。
昨日まで大立ち回りしていて、昨日の今日で呼び出されている。【回復魔法】でみんな、表面上の傷は癒えているものの疲労や、肉体の芯に残ったダメージは消えていない。
ノンさんに至っては、実は兵士たちの治療に明け方まで走り回っていて、仮眠程度しか取っていないはずだ。
これからレフ魔導帝国はこの大騒動の後処理をしなければならず、さらには復興へ向けて動いていく。大仕事が続くんだ。
「話した内容は、先ほど皇帝陛下に言ったとおりなんですが——」
と僕が、もうひとつの「望み」について説明しようとしたときだった。
「——レイジくん」
扉が開くと、急ぎ足でアバさんが入ってきた。
「どうしました? まさか、僕の言った『望み』が——」
「違う、そうではない。あ、いや、もちろん君の『望み』はあまりに想定外でこれから皇帝陛下と側近で緊急会議が開かれることになって、君はこの国をずいぶん振り回してくれたわけだが……って今はその話ではない」
アバさんは首を振りながら続ける。
「実は……君の知り合いだと聞いている『黒の空賊』だが……彼女が仲間とともに姿を消したのだ」
レイジが口にした「望み」についてはもう少しお待ちください。
皇帝が即答できず、検討しなければならない内容……となると?




