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いつの間にか200話過ぎていました。
核が破壊された調停者が背後に倒れると、その身体からは、ビニールプールが決壊して水が抜けていくように黒炎がしぼんでいき、天銀の鎧までもがくしゃりと粉々になった。
「ふう……」
急に、静寂が押し寄せてきた。地面は穿たれ、建物は崩れ、砂塵が舞っている。空気の循環が外界よりも緩やかなのでいつまでも見通しは悪い。
僕は倒れたままのスーメリアへと歩み寄った。
(意識を失っている。体温が低い。見たところ、ろくに食事も取っていない……)
やはりあのまま【狂乱王剣舞】を使い続けていたら、遠からず彼女は死んでいたことだろう。
「——元帥とかいう人、そこにいるんでしょ」
手近な建物の陰に、先ほどの元帥の気配を感じていた。
少し待つと、ゆらりと姿を現した。
「い、今の戦いは……なんだったのだ?」
「僕だって調停者が呼び出されるなんて思いもしませんでしたよ。呼び出したあの……だいぶ太った、悪の親玉みたいな人は誰です?」
言い方が悪かったのか、元帥はぱちぱちと瞳を瞬かせたけれど、
「……ウルメ総本家の当主、サルメ様だ。地底都市の頂点におられる方と言えよう」
「つまり地底人の中でも盟約者ということですか」
「盟約者……神の言葉を聞ける人という意味か?」
「ああ、そちらではそういう認識なんですね」
盟約を神の言葉と判断するのか。
でも確かに、盟約なんてものを誰が考えたのかはわからない。世界2つを股に掛けるような内容を、世界に生きるだけの生命体が決められるものじゃないかもしれない。
そうなると、世界の外。
神様の出番か。
なるほど。
(それにしても盟約者が、調停者を呼べるってどういうことだよ……詳しく知りたいけど、今から聞きに行って教えてくれるものでもないだろうしなあ)
そんなことを思いながら僕は、
「……スーメリアはどうなりますか?」
「君が、彼女を気にするのか」
「せっかく命を救ったんですよ」
「彼女は……」
元帥は言い淀んだ。
それが答えだと僕は思った。
この人は、信用できるかどうかは別として、根が真面目なのだろう。だからサラッと適当なことを言ったりすることができないのだ。
つまりスーメリアの未来は不透明だということになる。いや、この体調を思うに、未来は暗そうだ。
「お、おい君! 彼女をどうするつもりだ!?」
僕がスーメリアを抱きかかえ、立ち上がったので元帥があわてたように言う。
「……僕のところにいるほうが、同族のあなたたちよりずっとマシでしょう?」
「そんな勝手をさせるか——」
言いかけた元帥へ、僕は視線を送る。
それ以上近づけば魔法を撃つぞ、という思いを込めて。
「っぐ……」
元帥は歯噛みすると、うなだれた。
僕はスーメリアを横抱きにして去っていく。外への出口は崩れていたけれど【土魔法】を使えば通ることくらいたやすい。同じように、もう一度崩しておくことも簡単だ。
尾行をつけたまま帰るような趣味は僕にはない。
暗い通路を抜けて行くと、外への扉は開かれたままだった。
「おお、冒険者! 無事だったか!?」
そこにはレフ人の曹長がいた。
他のレフ人は近場に隠れさせ、曹長だけは僕を待っていてくれたらしい。
「その人は——あの強き者か。だが、おかしいな。眠っているからか? 強そうな気配を感じない……」
「説明するのはちょっと時間が掛かるので、今は行きましょう」
「そうだ。どこへ行けばいい?」
僕はうなずいた。
「竜人都市へ。そこなら、皆さんを迎え入れてくれますから」
★ 竜人都市 ★
アナスタシアは戻ってきた偵察チームから飛行船のところでなにが起きたのかという一連の話を聞いて驚き、次にレイジならば当然だと思い、最後には猛烈な不安に襲われた。
レイジが強いことはわかっている。だけれど、こちらの世界では右も左もわからないような状況ではないか。
「うわっちっちぃ!? これじゃ熱湯だぬ!」
レイジの置き土産である大浴場は竜人都市で話題になり、アナスタシアの仕事に「大浴場を沸かす」という項目が付け加えられた。
水は、小川から引いてきてあり、その工事は竜人総出で行われたために1日で済んだ。
翌る朝、偵察チームの報告を聞いたアナスタシアの火魔法は——加減がくるった。
ぐらぐらと煮えたぎる大浴場は地獄の釜のようになっており、冷や汗をかいた竜人たちがドン引きしながらアナスタシアを見ている。
「す、すみません、ちょっと失敗して……」
「いい、いい、かまわんぬろ。熱湯は、まだ水のままの女湯へと移して温めればいい。減ったぶん、小川から新しい水を引いて冷やそう」
赤の長老が言うと、竜人たちは動き出した。
今日も今日とて長老たちは勢揃いで、腰に手ぬぐいを巻いただけの姿だった。今日も今日とて湯に浸かる気満々である。
湯でふやけたおかげで、脱皮のときの皮の残りがぼろぼろと取れ、肌はつややかになり見た目の年齢が20歳は若返ったと評判で——アナスタシアには竜人の年齢がよくわからなかったが——長老たちはだいぶ気に入っていた。
だが見た目を気にするのは男よりも女だ。女の竜人が率先して熱湯をたらいですくって女湯に移している。風呂に入りにきているのも女竜人のほうが圧倒的に多い。どれくらい多いかと言えば、25メートルプールとほぼ同じサイズの浴場を十重二十重に囲んでいるのである。どんなのかしら、あらまあお隣の奥さんも、やあねえこれ以上若くなったら、あっはっはっは——と朝から騒がしいのである。
一回で入りきるはずがない。
むしろ全員入るなら水の量は半分でよかったのでは? と思ってしまうアナスタシアである。大浴場のお湯があふれることは必至だ。
何杯、沸かさなければいけないのだろうか。
忙しい日になりそうだ——。
結果として「お風呂の子」とアナスタシアが呼ばれるようになったのは、無理からぬことだろう。レイジがいつ戻ってくるのか、続報がまったくなくて不安で不安で仕方なかったけれど、それでもやらなければいけない仕事があるのは気が紛れてよかった。
レイジの消息が途絶えてから3日。
大浴場の女湯は午前1回、午後2回、夕食後1回の4回制になった。女たちはおしゃべりが大好きで、大浴場が社交場になりつつあった。
「——まったく、狩りだ狩りだ言ってて家を空けるのが長い長いと思ってたら、わかるぬ?」
「——まさか、浮気?」
「——そーなのよぉ〜〜。街の外で逢い引きやってんぬ! なに考えてんのよねえ」
「——男は首輪つけとかないとダメぬ」
そんな物騒な話題が、カラカラと明るい声で聞こえてくる。聞くつもりがなくとも温度管理のために浴場にちょいちょい行かなければいけないアナスタシアには、どうしても聞こえてきてしまうのだ。
しかも同じゴシップをいろんな竜人が口にするのである。「街の外で浮気」は女竜人たちの間でホットな話題らしかった。
またこの後も同じ話を聞くことになりそう……と、午後の2回目の浴場をアナスタシアが沸かしているところだった。
「アーシャ! アーシャ!」
街に出ていたはずのキミドリゴルンが走ってきた。
「帰ってきたぬ!」
その一言で、理解した。
レイジのことだと。
アナスタシアは加減を間違えた【火魔法】をぶっ放してしまい、またしても地獄の釜をそこに作りだしてしまったが後ろも見ずに走り出す。
街の入口に、人だかりができている。
「レイジさん!!」
声を放ったとき、感情が漏れて火球が4つほど宙に散った。
人だかりには竜人によく似たレフ人たちがいる。
そしてその中央にいたのは——レイジだ。
「アーシャ」
こちらに向かって手を挙げたレイジに、思わず涙ぐんでしまう。走っていく足が止まりそうになり、だけれど早く会いたいから、話したいから、触れたいから——アナスタシアはもう一度走り出す。
「レイジさん、おかえりなさ——」
すぐそばまでやってきたアナスタシアが、言いかけて、言葉が途切れた。
レイジの横に、見知らぬ女の子がいて、彼女がレイジの服をぎゅうと握りしめていたからだ。
——男は首輪つけとかないとダメぬ。
女竜人の声が耳元で聞こえた。あっはっはっは……という笑い声とともに。




