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★ クルヴァーン聖王国 ★
スィリーズ伯爵が屋敷に戻ると、すぐに娘のエヴァが駈け寄ってきた。駈ける、とは言っても咎められるギリギリの速度で、伯爵の前へとやってくるとスカートを持ち上げて一礼する。
「お父様。レフ魔導帝国の状況はいかがございますか」
娘の、狂おしいほどに焦りながらも、貴族としての礼儀はきちんとしようとする姿を微笑ましく思いつつも、一方でその思いの先にあるのは自分ではなくここにいない少年であることを知っているので複雑な感情もあった。
伯爵は娘と執事長とともに執務室へと移った。
「国境の町では難民となったレフ人の受け入れが始まっているようです。エベーニュ公爵家の公爵領にある町ですから、エベーニュ公爵は大急ぎで領地へと戻っていきました。レフ魔導帝国への軍の派遣は検討していなかったのですが、グレンジード公爵と、聖王騎士団第5隊から7隊と、騎兵1万を差し向けることに急遽決定しました」
「…………」
エヴァはその話をじっと聞いていた。彼女が聞きたいのは他のことだろうけれど、貴族社会において重要なのは、
——新聖王陛下が、先代聖王であるグレンジード公爵に軍を授け、帝国に向かわせる。
という事実だ。
いまだに親子仲のよい聖王家で、父に頼った聖王という姿を見ることもできるし、一方では厄介者の先代を死地に追いやったのではとうがった見方をすることもできる。
(実際は、「腕がムズムズするんだよ! 俺は前線に行くぞ!」と先代聖王が駄々をこねて、配下の500騎だけを引き連れていこうとするのをあわてて聖王陛下が止め、せめて軍を率いてくださいとお願いした……という感じですがね)
そのやりとりを直接目にしてしまったスィリーズ伯爵は内心でため息を吐く。
(とはいえそれは、「他国の問題に自国民を送り込んで死なせたらどうするのか」と悩んでいた聖王を見かねたグレンジード公爵が「自分の責任において」行くと言ったというふうに私には見えましたが。帝国を放置すれば「冷たい国王」だと見られ、首を突っ込んで痛い目に遭えば「失策」と陰口をたたかれる。就任されたばかりの聖王陛下には難しい局面でした)
貴族社会で伯爵がそんなふうにフォローしたところで、元々「聖王の懐刀」と思われているのであまり意味がないのも歯がゆい。この話はあっという間に貴族間に伝わり、向こう数か月の話題は事欠かないだろう。
するとエヴァが、
「その、お父様……アナスタシア殿下や、レイジのことは……」
いちばん聞きたかったであろうことを聞いてきた。
伯爵は首を横に振った。
「続報はありません」
「そう、ですか……」
悄然として肩を下げる娘を見ると、それだけで親の伯爵としてもつらい。
だが希望的な憶測を話しても意味がないし、エヴァも賢いのでただ喜ばせようとした憶測ならば見抜くだろう。
「……この話はしたくなかったのですが」
ため息交じりに、伯爵は言った。
「グレンジード公は、私の同行を望んでいます」
「——えっ、お父様の?」
「レフ魔導帝国や、すでに出兵を決め、動いているキースグラン連邦、光天騎士王国との折衝を行うに当たって、私がいたほうがなにかと便利なのでしょう」
伯爵の持つ「審理の魔瞳」は相手のウソを見抜くことができる。
凶悪なモンスターを前に、相手国を謀ろうと考える者はいない……と考えたいところではあるが、絶対にないとは言い切れない。
グレンジードは、背後から刺される危険を排除した上で行動したいと考えているのだろう。
「私は、行こうと思います」
伯爵はすでに承諾の返事をしていた。
屋敷を長期間空ける以上、エヴァに話さないわけにはいかない。
エヴァは考え込むようにしながら、
「……お父様は、断られるのかと思いましたわ」
「なぜですか」
「帝国を救うための行動は有意義ではあると思いますが、お父様は武官ではございません。外務卿や軍務卿とともに働いていたこともないではありませんか。であれば、今、交代されたばかりの新聖王陛下をおいて聖王都を離れることの不利益のほうが大きいです」
「それは、そのとおりですね」
伯爵は笑みを深める。そこまで考えることができるのであれば、貴族の娘としてはすでに及第点だ。今年13歳になるという少女であるというのに。
「ではどうして」
「それはですね……」
利益、不利益では考えなかった。いや、まったく考えなかったわけではなく、自動的に利益や不利益が頭に浮かんできた。
ただそれらを考慮しなかった。
伯爵は、グレンジード公爵の行動を見て思ったのだ。
(ああ、この人は娘の前でカッコつけたかったのだな)
と。
新聖王に助け船を出すとか、いろんな理由はあるにせよ、グレンジードの動機はたったひとつ、「娘の前でカッコつけたい」だけなのだとそのときはすんなり理解できたのだ。
——なあ、伯爵よ。すまないが、お前もついてきてはくれねえか?
そう言われたときにすぐにうなずいてしまった。
だから、「どうして不利益があるのに行くのか」と問われれば、
「……エヴァ、私にはあなたがいるからです」
と、言わざるを得ないだろう。
娘はレイジの情報を手に入れたくて仕方がなくて、でも聖王都にいる以上はできることが限られている。
では前線ならどうか?
もっと違う情報が、新たな情報が、毎日入ってくるはずだ。
その情報を届ければ、娘はきっと喜ぶだろう。
「わたくしがいるから、ですか……?」
「はい」
つまるところ伯爵もまた、娘の前でカッコをつけたかったのだ。
「わかりましたわ! つまり、わたくしも連れて行ってくださるのですね!?」
「はい——はい!?」
なんだか妙な伝わり方をしてしまった。
「いえ、エヴァ。そういうことでは——」
「ありがとうございます、お父様! 確かな情報は現場から手に入りますものね。わたくし、スィリーズ伯爵家のひとりとして恥ずかしくない振る舞いをいたしますわ!」
「…………」
「…………」
イスから降りて右手の握りこぶしを天に掲げていたエヴァは、
「も、申し訳ありません、言ったそばから、こんな……はしたない……ああ、もう、穴があったら入りたいとはこのことなのだわ……」
真っ赤になった両頬を手で押さえて小さくなった。
(……レイジさん、娘をこんなふうにした罪、償っていただきますよ……)
伯爵はひっそりと決意を固めたのであった。




