7
僕の脳裏にあったのは、地球で絶滅したドードー鳥のことだ。
モーリシャス島にいたこの鳥は、飛ベない鳥で警戒心も低く、しかも肉が美味いということで発見されるや乱獲された。人間が島に持ち込んだ犬や、船に乗っていたネズミが、地面に産み落とされた卵やヒナも食べてしまった。
結果、絶滅した。
確か日本でも魚のニシンで似たようなことをやっていたはずだ。北海道沖でニシンがあまりに簡単に獲れるものだから獲りまくり、漁獲量はピーク時の1%程度まで落ち込んだ。1980年代にニシンの数が戻る兆しもあったというのに、それもまた獲りまくり、ニシンの漁獲量はまたも低迷することになる。
獲れすぎていたころのニシンは食べきれるものではなく、肥料に変えたりしていたというのだから……人間というのは国を問わず欲望に突っ走ってしまう生き物なのだ。
「……寝てしまいましたか? レイジさん」
「いえ、まだ起きています」
客間のベッドはアーシャに譲り、僕はソファにごろんと横になっていた。野宿に比べればソファで寝るなんて天国のようなものだけれど、それでも眠気よりも前に頭が冴えていた。
窓は開かれ、レースのカーテンが風になびいている。月明かりをはらんでふくらんでいるようにも見えた。
夜になれば気温が下がり、肌寒いほどだという。
「先ほどの話ですが、実はエルフの森でも同じようなことがあったのです」
「エルフも……ですか?」
「エルフの森は大昔は、今の面積の3倍ほどはあったと聞いています。その森は豊かで、多くの果実を育みました。中でも金色に輝く黄金桃という果実はたいそうな美味で、万病に効いたのだとか。しかし成る木も限られ、その木の所有権を争って血が流れ……ハイエルフ王家が最終的には管理する、と決定されたころには木が何者かによって焼かれていました」
焼かれた、というのはただでさえショッキングな事件ではあるのだけれど、火を禁忌として考えるエルフにとってはなおさら衝撃だったろうことは想像に難くない。
「その後も、エルフの裏社会では黄金桃が取引されたという情報が流れることもありましたが、今ではすっかりウワサ話すらなくなっているということです」
「へぇ……その桃の木はもうないのでしょうか?」
「おそらく。取り合いをした結果、破損されたのではないかと……」
エルフは森の民として、さらには長寿の種族として、のんびりと温厚なイメージがあったのだけれど、今の話を聞くに人間と変わらないな。
僕らはそれからいくつか話をした。
昔話というより、これからどうするかということだ。
この世界に、モンスターだけでなく人がいたということはうれしい誤算だったけれど、僕らはなんとかして「表の世界」に帰りたい——。
「……チョチョリゲスだけでなく、ここでは言語を解する人もまた絶滅の危険に瀕しているのですね」
アーシャの言葉が印象的だった。
★
キミドリパパは僕を前線に連れて行くので、その話を長老たちにして欲しいと言った。でもそれは僕の話に緊急性を感じたからではなく、
「面白い推論だな!」
という、なんとも緊張感のない理由だったのだ。
僕としては放っておいて絶滅されてももやもやするので、
「それじゃあ、まあ、お邪魔します……」
と返事をした。
ちなみに僕を連れて前線に行くという話は竜人軍の中で揉めに揉めたそうだ。
揉めた理由は単純で、
「俺も行きたいぬ!」
「それなら私が行くべきぬらァ!」
「いやいや、ここはあたしが!」
みんな前線に行って「研究」したいらしい。
だけど他種族の「客人」である僕らが他ならぬキミドリパパに頼んだ——という一事をもってキミドリパパの前線行きが決まった。
「正直なところ、絶滅するとはまったく思えんが、これで前線に行けるなら信じてみようぬら! わっはっはっは」
キミドリパパが幼かったころに見たチョチョリゲスの大群は、今も彼の記憶の中で羽ばたいているのだろう。
だから怖いのだ。
人が、目先の利益だけで獲り続けると、あっという間に動物資源は枯渇する。
「なんで我もいっしょに行かねばならんぬれ……」
キミドリパパはキミドリゴルンさんも連れて行くことにした。竜人軍での経験を積ませてなし崩し的に竜人軍に就職させたい——とそんなふうに考えているらしい。
昨日の、研究成果発表会はうまいこと誤魔化したようだ。
「『ぬれ』などという軟弱な言葉は使うんじゃないぬ!」
「そんなのは我の勝手だし、先端の科学を行うには先端の言語を使う必要があるんぬ!」
あと謎の言葉の言い回しについてふたりで言い争っていた。
「まあまあ、パパとキミちゃんの親子ゲンカをこの家で見られる日が来るなんてねぇ……レイジさんとアーシャさんに感謝しなくっちゃぬ!」
それを見てほっこりしているキミドリママに僕は聞く。
「あのー……自分で言うのもなんですけど、僕とアーシャが種族の町から逃げてきたとお考えなんですよね? 信用しすぎというか、受け入れすぎでは……?」
「ええ、ええ、種族を超えた禁断の愛、でしょう!?」
「違います」
即答する僕の横でもアーシャが鼻の頭にシワを寄せている。
「ほら、アーシャもムッとした顔しているでしょう?」
「…………」
アーシャはどうして僕をにらむのかな!?
「と、とにかくですね、こんなに受け入れられると思わなかったというか……」
「なぜですぬ?」
なぜ、と言われれば、こんなふうに単一種族でまとまっている町があったら、異物は警戒されるだろうし、なにより「表の世界」ではレフ魔導帝国が外国人に対してめちゃくちゃ警戒してたもんな。
「数少ない、この世界に生きる仲間じゃないの。受け入れないなんてないわよぉ」
「————」
ま、まぶしい。キミドリママが聖母のごとき輝きを放っている……!
「わっはっはっは! レイジくん、ウチのハニーに惚れるなよ!?」
いつの間にか親子ゲンカを終えていたキミドリパパが言ってきた。
惚れません。
さすがに竜人族、人妻、成人子持ちはハードルが高すぎる。
前線へ向かう移動方法は徒歩だった。
というより、ジョギングみたいなものだろうか。
竜人族は健脚で一日中駈けていられるのだという。馬に乗ったほうがもちろんスピードが出るものの、馬の数は少ないし、なにより足場の悪い森を突っ切るのに馬は向いていない。
「レ、レイ、レイジ、さんっ……!?」
「アーシャ、しゃべると舌噛むよ」
僕はともかく、アーシャに走らせるわけにはいかないのでお姫様抱っこで抱えていくことにした。腕が疲れたらおんぶに切り替える予定だ。
前を走るキミドリパパにくっついて、木々のまばらな森を飛ぶように駈けていく。
「キミドリゴルン! 遅いぬ!」
「はぁ、はぁっ、ぜえ、ぜぇっ……わ、我は、研究続きで、身体がなまって……はぁ、はぁっ」
キミドリゴルンさん、パパは鎧も身につけて、長槍まで担いでこのスピードなんだから、がんばってついてきてね。
「しかしレイジくん、君はなかなかにパワフルだな! スタミナもあると見える! どうだい!? 竜人軍に——」
「入らないです。というか僕は身体強化系の天賦を持っているので」
答えると、キミドリパパはぎょっとした顔で急ブレーキを掛けた。
「? どうしました?」
「……あ、いや……」
パパにしては珍しく弱々しい口調だ。いや、声の調子が常にボリューム設定MAXだったから一般設定に戻っただけで弱々しく感じるだけで、実際にはふつうの声だ。
パパは再度走り出し、僕はまたそれについていく。
「……竜人族には、ほとんど天賦珠玉はないのだが——地底人の集落にはかなりの数があるということかぬ?」
あ……そういうことか。
こっちではダンジョンでのみ天賦珠玉が手に入る。
だから産出量は非常に少ない……と。
(でもこの世界に天賦珠玉が少ないのかと言えば、そんなことはないと思うんだよな)
クルヴァーン聖王国の特級祭司エルさん(年齢不詳・ウサギ)も、言っていた。
2つの世界では天賦珠玉が循環している、って。
それに2つの世界が同じならば、「一天祭壇」を初めとする8種類の天賦珠玉産出ポイントがあるはずだ。
(探してみるのはアリだけど、僕は天賦珠玉を取るためにここにいるわけじゃない。それにモンスターは「表の世界」よりずっと凶悪だ……安全無事に探せるとは限らない)
レフ魔導帝国の上空が割れたときに見えた巨大なモンスター。
あの化け物は、この世界のどこかにいるのだ。
とりあえず今は、地底人の集落についてはわからないと答えるしかないな。
「……すみません、隠しているつもりはなかったんですが、僕とアーシャは地底人やダークエルフ種族じゃないんです」
「わかっている」
え、わかってたの?
「そういう『設定』ということだぬ?」
全然わかってなかった。なに「どう? 気が利いているでしょ?」みたいな顔してるんですか? 違いますよ?
「ええと……いや、もういいや。とにかく、地底人の集落にどれくらい天賦珠玉があるかは僕にはわからないですね。ダンジョン以外の入手方法はないんですか?」
「大昔は森で見つけたと聞いたがぬ……その森もモンスターの手に落ちた」
僕の腕の中でアーシャがぴくりと動いた。
たぶん、だけど「三天森林」だ。
やっぱりこの世界にも8種の、天賦珠玉を生み出す装置があるんだ。
(モンスターの勢力がどれくらい拡大しているのかはわからないけど、僕があっちの世界に帰る前に、どれか1つくらいは安全に、天賦珠玉を産出する場所を見つけてあげたほうがいいかもしれないな——)
そんなことを考えながら、僕らは先を急いだ。
半日ほどして、日が暮れようかというころ——僕らは竜人族の長老がいる前線へとたどり着いた。




