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僕らのいるこの世界が、「裏の世界」なのだとしたら、「表の世界」と同じ構成のはずだ。だから、なのかはわからないけれど、妙な語法はあるものの言葉もちゃんと通じている。
キミドリゴルンさんはそれからいくつかのことを教えてくれた。
天賦珠玉はあるが、数は非常に少なく、これを与えられるのは権力者や目覚ましい貢献を種族に対して行った者だけ。
天賦珠玉はダンジョンでのみ手に入る。
過去に大きな戦いがあってからは種族同士の交流はまったくなく、彼らの所在地はわかるものの、なにをしているのかは知らない。
大まかな地形は同じのようで、キミドリゴルンさんたち竜人族がいるのは「表の世界」で言うところの光天騎士王国内の南端で、クルヴァーン聖王国と国境を接している辺りのようだ。
「他の土地がどうなっているか? そうだぬ……数年に一度は竜人都市近辺を偵察に出ているはずだが、どこもかしこも荒れ果てていてどうにもならないぬ」
「荒れ果てている……というのは土地が痩せていて人が住めないということですか?」
「それもあるが、結局のところモンスターが多い。竜人都市まで来るとモンスターは少ないが、北の果てにある断崖の地『カニオン』などはとてもとても、人の手に負えるモンスターではないぬり……」
「『カニオン』?」
「うむ。土地を荒廃させ、生き物を食らう邪悪な魔物の棲む地よ」
うんうんとキミドリゴルンさんがうなずいたが、僕が気になったのは「カニオン」とは
「表の世界」で言うところの「未開の地『カニオン』」と同一なのではということだ。
位置的にはおそらく同じものだ。
「ありがとうございます、キミドリゴルンさん。最後にひとつだけよろしいでしょうか?」
「なんだぬ」
「『裏の世界』や『表の世界』という言葉に聞き覚えは?」
「……ふうむ」
すると、キミドリゴルンさんはあごに手を当てて、
「……どこかで聞いたような……」
「! ほんとうですか!? どこでしょうか!」
「ちょっと待つぬ。もう少しでママが来る——」
「……ママ?」
「げほっ、ごほ、ごほん! ち、違う! 家政婦、そう、家政婦が来るのだ!」
となんか下手くそな誤魔化し方をしていると、
「キミちゃ〜ん! 今日のお夕飯持ってきたわよ!」
勢いよく扉が開かれ、そこにはピンクのエプロンを付けた竜人のおばさんが立っていた。
「…………」
「…………」
僕とアーシャが無言でキミドリゴルンさんを見ると、
「か、家政婦、だぬ……」
彼は覇気のない声で言った。
キミドリゴルンさんは毎日お母さんに料理を届けてもらい、家の掃除や洗濯などもしてもらっているらしい。町からここまでは歩いて30分は掛かるというのに。
「……しかし、2年に及ぶ我が隠遁生活もそろそろ終わりを告げるべきときかも知れないぬ。研究にはめどがついたことだし」
ゆで卵の判別方法くらいで隠遁生活を送っていた——毎日料理を持ってきてもらうのが「隠遁」と言っていいのかは不明だけど——キミドリゴルンさんは、ログハウスを引き払おうかという意思をチラ見せした。
「あら〜ん、キミちゃん、ようやく町に帰ってくるのぉ?」
おばさんは大喜びだった。
そりゃね、毎日ここに通うのは面倒だよね。
「でもキミちゃんががんばってるんだから、ママは応援してあげなきゃねぇ……」
母の愛だ……僕は前世の母を思い出し、アーシャは今まで受けてこられなかった幻の愛に思いを巡らし、思わず目頭が熱くなった。
「キミドリゴルンさん、きっとこの魔道具もなにかの役に立ちますよ!」
「そうですわ。2年間、ひとつのことに没頭できるというのは才能ですもの」
と僕らが力説すると、キミドリゴルンさんは、
「ま、まあな! 我が常ならぬ才を持っていることはわかっていたがぬら! ふははははははは!」
と高笑いした。
よくわかっていないらしいおばさんは、それでも僕らがきっかけでキミドリゴルンさんが町に戻る決意をしたのだと気がつくと、
「あらあら、泊まるところもないのなら、それじゃあウチにおいでなさいな。ここは別荘だけど狭いから、今から行けば日が沈む前に着くわ」
ああ、ここ、別荘だったのね……と最後の最後にあまり必要としていない真相をバラした。
竜人族の町への道すがら、おばさんにも「裏の世界」について聞いてみると、おばさんは詳しくないが竜人族の長老衆に聞けばわかるかもしれないとのこと。こっちはありがたい情報だ。
森はいつしか途切れ、草原の広がる丘陵地帯に出る。
横から飛びだしてきたのは1メートルほどの個体、長く鋭い角が凶悪な一角ウサギだ。僕が魔法で対応しようと前へ出ると、おばさんは僕を手で制した。
「フンッ!」
ローキック一発で首をへし折り、10メートルほど飛んで落ちた。
「あらあら、ウサギのお肉が手に入ってラッキーね」
このおばさん、侮ったらダメだと僕は真顔になった。
「レイジさん、あそこに城壁が見えますわ」
おばさんローキック事件のショックも覚めやらぬまま、僕はすぐに竜人都市の城壁を目にした。
高さは2メートルほどか、不揃いの石の壁が続いている。
西の空はわずかに雲が切れており、血のように赤い陽射しが城壁を照らし出している。
おばさんのように獲物を担いだ竜人のハンターたちが町へと戻っていく。その姿は「表の世界」の冒険者のそれとまったく同じだった。
城門の検問なんてなく、都市へと入るとそこは雑多な町だった。
屋台がいくつも出て香ばしくも美味しそうなニオイが流れている。
レフ人は魔術による技術革新で進んだ都市を設計していたから、なんだか、ふつうの地方都市に竜人があふれているのは僕の目にはものすごく新鮮に映った。
あと茸を食べてないしね、竜人は。
「こっちこっち〜! キミちゃんもほら、ちゃんと歩くぬら!」
「わ、わかっているぬ」
久々の町で挙動不審のキミドリゴルンさんだったが、母親に腕を引かれて恥ずかしがっている少年のようにしか見えなかった。
町全体はさほど大きくないにせよ、多くの竜人が密集して暮らしており、賑わいはすごい。だけど僕は、竜人以外の種族がまったくいないことに気がついていた。
(……ほんとうに、3種族しか残っていないのか)
僕の横を歩くアーシャもまた不安そうに眉根を寄せている。
「アーシャ、手を」
「……え!?」
迷子予防もあるけれど、僕らに向けられる刺すような視線がいくつもある。だから彼女を守る意味でも手をつないでおきたかった。
手を握ろうと左手を差し出すと、彼女の周囲に火の玉が浮かんでは消えた。
「迷うと困るから」
「は、は、はい……」
「?」
アーシャも恐る恐る手を出してきたが、やたら緊張しているのが伝わってきた。
(初めての「裏の世界」の町だし、彼女はもともと軟禁生活を送っていたようなものだしな)
その境遇に少し同情しつつ、僕は夕暮れの竜人都市を進んだ。




